茶色と白の間の日
結果は、ある者にとって優しく、ある者にとって残酷だった
KS大学の前期試験合格発表から丸一日が経った。奇跡的に無事合格できた僕は、いやっほおぉお、と叫びながら飛び回っていてもいい状況なのだけれど……
「まさか、宗輔が受かったってのに、幹継が落ちちまうとはなぁ…… まあ、元々幹継の方が成績悪かったとはいえ、俺的には、どっちかといえば宗輔の方が落ちそうだと思ってたんだが」
「中々言ってくれるねぇ、力斗」
あんまりな発言に反応すると力斗は苦笑して、悪い悪い、と口にした。
ま、力斗が言ったようなことは、僕自身も少し考えていたことだし、別に気にしてはいない。
それよりも、幹継だ。後期試験がまだあるとはいえ、大丈夫なのだろうか。彼自身は、前期試験に全く手ごたえを感じていなかったようで、早々に後期試験の準備を始めてはいたけれど……
「まったく…… 刈谷力斗がこれほど役に立たないとはね。私、先月にちょっと忠告しなかった?」
と、突然に言った御堂さん。
何のことだろう?
「う…… そ、そりゃ、幹継が厄介な相手に恋慕してるかも、とか言われたけどさぁ。それで具体的にどうしろってのさ。相手が誰かなんて分かんねぇし、そもそも、分かってたって俺が代わりに告るわけにもいかんし、ユー告白しちゃいなYO、とか幹継に言ったって、それはそれでないじゃん?」
幹継が誰かのことを好きとか、そういう話らしい。けど、それと入試とどう関係があるのやら。
「そこを巧くこなすのが一流のお調子者ってもんでしょ。役に立たないわね」
にべもなく言う御堂さん。
力斗は言葉に詰まって黙り込む。
「ま、まあまあ。そんなこと言ってても仕方ないじゃん? 牙引っ込めよ、玲紗」
「……まあ、確かに言ってても仕方ないか。それよりも、合格パーティーはお預け決定として、有川幹継の先生役は継続して刈谷力斗で、ってのは妥当かしら?」
僕がやるわけにもいかないし、力斗でいいと思うけど。
「一度失敗している人が先生ってのもなぁ、と私は思わなくもないんだけど?」
またまた手厳しいのは御堂さん。
「う」
力斗が呻いた。
「じゃ、私が――」
「志穂は奇跡的に合格した人間なんだから、教えるなんてスキル持ち合わせてないでしょうに。それは私も同じだし、言うまでもなく、宗輔もそうね」
まったくその通りだね。
となると――
「残るは私かな。でも、今まで教えてきた刈谷くんの方が、按配が分かってていいと思うんだけど……」
そうのたまうのは、茶色いアレで僕を気絶させようとしている女神様。
なるほど。そういう意見を聞くと、そうかもなぁと思う。
「ま、それも一理あるわね。とすると、来夏と刈谷力斗の二人で教えるってのもありじゃない? 来夏が主で、刈谷力斗が補佐とか」
「けど、あんまり大勢で押しかけても、それはそれで集中できないんじゃないかな?」
確かに。
『うーん……』
中々に難しい問題だ。っていうか、グループのうち一人だけが落ちるとか、デリケートな問題にもほどがある……
……………ふぅ。
「姉さん。遠慮せずに入っていいよ」
びくっ!
俺の後頭部に目などついていないはずなのだが、部屋の扉の影にいる姉が飛び上がって驚いている様子は、なぜか容易にうかがい知ることができた。そして、しばらく経つと、きい、と扉が開く音。
「つ、つぐみ。大丈夫?」
「大丈夫だよ。そりゃ、少しくらい気にしているけど、でも、試験を受けた時の感触から、落ちただろうことは予想できてたしね。心配してくれて有り難う」
実際、前期試験の解けなさっぷりは笑えるほどだった。あれで受かってたら、大学側の採点ミスに違いない、と確信できただろう。
姉は、そっか、と呟いてから安心したように息をついた。俺の言葉に嘘がないことが分かったのだろう。そして、腕まくりしつつ、こちらへ向かってくる。
「じゃー、後期試験のためにお姉ちゃんが一肌脱いじゃおっかな」
「……覚えてるの?」
「失礼だなぁ、つぐみは。まだ一年しか経ってないんだから覚えてるよ。……たぶん」
そう口にしながら過去問を手に取った姉は、俺の予想通り硬直した。脳は一年という年月に耐えてくれなかったようだ。
彼女はしばらく考え込んでいたが、徐に過去問を机の上に戻した。そして、誤魔化すように微笑んでこちらを見る。
「去年の問題よりも難しくて、あたしにはちょっと解けないなぁ。去年はあたし、全問正解する勢いだったんだよ。本当だよ?」
この過去問は去年のだよ、とは言わないでおいた。
「そういうわけで勉強では役に立てないけど…… 何か他にできることある?」
正直特にないけれど……
「あ。夜食とか作ろっか。単語カード作りとかの事務処理も押し付けていいよ」
俺が迷っていると、一所懸命に役目を羅列していく姉。
……ふぅ。どうしてこう、いちいち可愛いのやら。集中できない理由を全て姉に押し付ける気はないけれど、それでも、その五割くらいは彼女が原因だろう。
「つぐみ?」
心配そうにこちらを見つめる姉。
「好きだ」
何やら口走ってしまった俺。
……………
しばしの沈黙のあと、俺は我に返り慌てて言い訳を考える――が……
がばっ!
突然抱きついてきた姉が、俺に言の葉を繰ることを許してはくれなかった。てか、これはどういう状況ですか?
「あたしも好きー」
はい?
いや、ちょっと待て。あれか? これは夢か? 現実的じゃなさ過ぎるだろう。姉には彼氏がいるわけだし、そうでなくても、弟の俺から告白されてこの反応はおかしいだろう。いやしかし、それでも一縷の望みを持ってもいいのだろうか? 生まれてからずっと一緒にいるわけだし、俺同様に姉がそういう想いを抱いたとして、然程おかしいということもないのかも――
「何か嬉しい。つぐみが中学入ったくらいから、こんな風な兄弟愛の確認があった試しないし、久しぶりだよねー。どういう風の吹き回し?」
……まぁ、だと思ったよ。勘違いなんかしてないぜ? さっきのはちょっとしたお茶目心ってやつだ。そんな馬鹿な勘違いを素でする奴がいるかよ。
「姉さんから兄弟愛を一方的に享受するだけじゃ不公平かと思ってね。たまには口に出してみたんだよ。口に出さなきゃ伝わらないこともあるわけだし」
口に出しても伝わらないこともあるけれど……
「そっかぁ。もう、つぐみは可愛いなぁ。待ってて。おむすび作ってきてあげる。お腹空いたでしょ」
まだ十二時前だしそれほど空いてもいないけれど、素直に甘えることにする。
せめて兄弟愛くらいは受け取っておこうじゃないか。そしてこれからは、俺も兄弟愛だけを与えていくとしよう。馬鹿すぎる脳みそは、ここらで入れ替え時だろ。
さて。完全に吹っ切れたかどうかはよく分からんが、ちょっとは集中力も増すだろう。頑張りますか。
と、そうだ。明日の予約を入れておこう。向こうからじゃ連絡取りづらいだろうしな。
『あ、メールだ』
ぼけーっと過ごしていた五名が、それぞれ自宅で電子によって構成された手紙を受け取った。
五名は翌日から、能力の違いこそあれ、ある一人のために心血を注ぐことになる。その結果、日本を代表する桃色のアレが咲き誇るかどうかは、また別のお話である。