茶色い日 Second Season:View of Shiho
私の戦いはまだ始まったばかりよッ! って感じかな
右手を持ち上げ、手首に巻きついた時計に目をやる。そろそろ九時五十分。待ち合わせの時間まであと十分だ。
おかしいなぁ…… 幹継くん、まだ出てこないのかなぁ……
私は、幹継くんの家から少し離れた場所にある電信柱の陰で、そのようなことを考えた。
……こら、そこ。ストーカーとか言わない。恋する乙女に、偶然会ったふりして駅前までご一緒する、っていう権利くらいくれたっていいじゃない。
いや。そんな、独りで誰にでもなく突っ込みしてる場合じゃなくて……
どうしたのかなぁ、幹継くん。具合悪いのかなぁ。それとも、この間の後期試験のあとはさっぱりした顔していたけど、実は遊んでる場合じゃないくらい不安だとか?
けど、それならそれでメールで連絡くらいあってもいいよね。
ポケットに入れているケータイを取り出す。画面に目をやっても新着メールはない。
おかしいなぁ…… どうしたのかなぁ……
ま、まさか、実は私にだけメールをくれてないとか? やっぱり、この間のバレンタインのアレが迷惑だったのかな…… でも、数日前の試験前勉強会では普通に接してくれたし、そんなことはない……はず、だよね。
うぅ、でも……
あー、なんか落ち込んできたなぁ、もう! って、あ。
「やべぇ、寝坊したッ! 遅れるッ!」
「ちょ、つぐみ。鞄忘れてる!」
「うわっと。有難う、姉さん。いってきます!」
「いってらっしゃーい」
よかったぁ。出てきたぁ。一安心だね。
と、そんなこと考えている場合じゃない。早く追わないと待ってた意味が…… それに、約束の時間に遅れちゃうし……
たったったったっ!
全力疾走で軽快に足を動かし、十秒ほどかけて幹継くんに追いつく。
「おっはよー! みっきつっぐくーん!」
「ん? ああ、お早う。来栖さんも寝坊?」
「そんなとこー!」
ホントは二十分前から幹継くんちの前にスタンバってたけどね。我ながら、よく通報されなかったものだわ。
ま、それはともかく、本日のミッションを開始――
「あ、そうだ。約束に遅れてしまうかもしれないけど、ちょっと止まってくれる?」
「え? あ、うん」
出鼻くじかれた。
幹継くんはバッグを探って何か――四角い箱を取り出す。何だろ?
「どうぞ」
「これは?」
「チョコクッキー。四角いココアクッキーの上にホワイトチョコがコーディングされてるんだってさ。クッキーは好き?」
え、あれ?
「まあ、好きだけど…… どうして?」
「何が?」
「だって、バレンタインでは……」
結局チョコ渡してない――っていうか、受け取り拒否されたのに。
「うん、まあ、チョコは貰わなかったけど…… 気持ちに対するお返し、かな」
そう答えてから、幹継くんは再び走り出そうとする。
「ま、待って!」
「え?」
ちょっと混乱してて、どういう状況なのかいまいち読みきれてないけど…… せっかく用意してきたんだから、とにかく渡しとこう。ちょうど立ち止まったわけだし。
「はい、これ」
「これは?」
さっきと立場が逆なのがちょっとおかしい。
「ホワイトデーのプレゼント。私のは、ホワイトデーなのに普通のチョコだけど」
「何で?」
まあ確かに、今日という日の性質を鑑みるに、そして、先月にチョコをつき返されたことを踏まえるに、どうしてって感じだけど……
「私、諦めが悪いの。潔く諦めたりなんかしないから。だから、それもそういう意味のもの」
言い切ると、幹継くんはリボンで飾られた箱を目にし、
「なるほど。それじゃ、これから大変だ」
そう呟いて、彼は微笑んだ。そして、
「ありがとう」
って、あれ? 受け取った? 先月の二の舞になるのをちょっと覚悟してたんだけど――
軽く戸惑っていると、幹継くんはバッグに受け取った箱を入れ、遅れるから急ごう、と促して走り出した。私も駆け足を再開する。
……えーと、ちょっと待ってよ。これは、その――
「ねぇ、幹継くん。ちょっとは、先月よりは、期待してもいいって考えていいのかな?」
思い切って訊く。
すると――
「ご期待に沿えればいいと、俺も思ってるよ」
彼は振り返り、笑って、そう口にした。
えっと…… これはテンション上げていいとこだよね? ね!
はぁ…… はぁ……
ちょっと疲れたかなぁ。ほぼ全力で走ったわ。それでも五分くらい遅刻してるけど。
えーと、来夏たちは何処だろ。
「ああ、いたよ。あそこだ」
と、幹継くんが指差す先には、私たち以外の四名が揃っている。力斗くんを囲んで何やら賑やかにしている。
「どうしたのかな?」
「さあ? まあ、行ってみればわかるんじゃないか?」
それもそうだ。
私たちは軽い駆け足で彼らに近寄る。
「おっはよー! 遅れて御免ねー!」
元気いっぱい挨拶アンド謝辞を口にすると――
「あー! 志穂が来たー! 待ってたよー!」
「まったく! 遅いわよ!」
「ほんと、待ちわびたよ」
何やら熱烈に歓迎された。はて?
「何事?」
「ほら! 刈谷力斗! さっさと渡しなさい!」
訊いても無視された。そして、玲紗は力斗くんに詰め寄っている。本当に何事?
「せっつかなくても渡すってば。まったく……」
と、力斗くん。
渡す渡さないって、たぶんホワイトデーのチョコとか、そんなとこだよね。でも、それで何でこんなに大騒ぎ?
そんな風に疑問に思っていると、力斗くんは何やらボヤきながら鞄を漁っている。そして、しばらくすると目的のものを見つけ出し、こちらを見た。
「さて、志穂ちゃん。すっかり雰囲気もへったくれもなくなっちゃったけど、改めまして、ハッピーホワイトデー!」
そう口にした力斗くんの手の中には――
「ゴディバ!?」
さすがに驚いた。ここまでのお返しは予想外です。毎年この時期の玲紗の実利主義っぷりに呆れていたけれど、チロルチョコがこれに化けるのなら、力斗くんに毎年チョコをあげてもいいかも、という気になってくる。
「ちょ! ほんとにいいの?」
「勿論! 今更、返せなんて野暮は言わないぜ?」
「志穂。早く開けよう。食べよう」
今のは玲紗。
「できれば僕も少しだけ欲しいな」
これは宗輔くん。
「刈谷くん。私もちょっとだけ貰っていいかなぁ?」
来夏ね。
「俺もちょっと興味がある」
と、幹継くん。
そんな面々に対して力斗くんはため息を吐き、
「俺はかまわないよ。判断は志穂ちゃんにまかせる」
……うーん。私が言うのもなんだけど、ご愁傷さまです、って感じ?
とはいえ、ここは仲良く食べるところでしょう!
「よっし! 皆で食べよう!」
『おー!』
今日の遊びは、ゴディバ試食会から始まった。