冷たい風が吹き始めた秋の日の長篠(ながしの)邸。夕食後、夏茄(かな)は自室にて数学の宿題と闘っていた。
しかし、困ったことに集中できていない。その原因は――
う〜ん…… う〜ん……
悩ましげな呻き声がどこからか響いてくる。
その発信源は夏茄の叔父、冬流(とうる)の自室であった。彼の部屋は夏茄の部屋の隣に位置する。
冬流は如月睦月(きさらぎむつき)という筆名で児童文学を執筆している。平素世話になっているシーズン出版から、2日後までに短篇を1篇書いてくれ、と依頼されているのだ。
(ふぅ。うるさいなぁ。まー仕方ないけど)
気になることこの上ないが、夏茄は努めて気にせず、数式との格闘を再開した。
如月睦月先生は自室で頭を抱えていた。机上のノートPCの液晶画面は白一色。立ち上げている文章編集ソフトの1ページ目が生み出す色彩である。
アイディアは出ず、締切は待ってくれず、夢も希望もありはしなかった。
う〜ん…… う〜ん……
とんとん。
その時、閉ざされた扉が、遠慮がちながらもついに主張した。
しかし、冬流は全く反応を示さない。
う〜ん…… う〜ん……
がちゃ。
ゆっくりと開かれた扉からのぞくのは、冬流の姪たる夏茄の顔である。いよいよ我慢がならなくなり、ひと言物申しに赴いたよう。
「叔父さん。ネタが出てこないのはもう充分わかったからさ。静かにしてよ。宿題に集中したいの」
「夏茄(かな)。夢と希望に溢れた発言をひとつ頼む」
相手の言葉など意に介さず、冬流は頭を抱えて机に向かったまま、姪っ子に助けを求めた。
14歳といううら若き少女ならば、児童文学作家たる自分の創造力をかきたてる発言をしてくれるやも、と期待して。
しかし――
「……んー、そーだなー。年末ジャンボ1等当選、とか?」
にこっ。
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う〜ん…… う〜ん……
長い沈黙のあと、冬流は再びうめきだす。
ふぅ。
夏茄は諦めたように嘆息した。
「ヘッドホンで音楽でも聴きながらやることにする。頑張ってね、叔父さん」
がちゃ。
う〜ん…… う〜ん……
長い夜になりそうだった。