伝説の飴細工職人
3月の行事編「ホワイトデー」。親方は気難しくも情に厚いお方です。

 3月のある日。中学校から帰宅した夕刻に、長篠夏茄(ながしのかな)はぼおっと通りを眺めていた。特別に何かを見ていたわけではない。本当にただ呆けていただけだ。
 ふぅ。
 無意識に息をつき、彼女は頬杖をつく。机の上には数学の教科書とノート。本日出された宿題をやろうとしていたのだが、どうにも手につかない。
 その原因は――
「冬流(とうる)ちゃん、何処へ行ったのかしらねぇ」
「っ!? お、お母さん! ノックくらいしてよ!」
 唐突に背後から聞こえた声に、夏茄は驚愕して振り返る。
 扉の前には彼女の母、長篠春風(はるか)がいた。
 春風は娘の文句など意に介さず、頬に手を当てて瞳を閉じ、小さくかぶりを振る。ちなみに、彼女はきちんと扉をノックしていた。夏茄が気付かなかっただけだ。
「そりゃあ、冬流ちゃんはたまにフラっといなくなるけど、その時は大抵何処に行くかとか言ってくれるものね。それが突然の行方知れず。少し心配よねぇ」
 彼女の言葉のとおり、春風の義弟であり夏茄の叔父である長篠冬流は、1週間前から行方が知れない。
 とはいえ、書置きは為されていた。『しばらく留守にする』という簡潔なものではあったが、明確に冬流のものと分かる独特な筆跡の書置きが居間の卓上にあったのだ。行方知れずは彼自身の意志のもと行われているという動かしがたい事実。
 ゆえに失踪届やそれに準ずる措置はとられていない。そもそも冬流も成人した大人であるからして、そこまでする必要はないだろう。
 ちなみに、冬流の兄であり春風の夫、さらには夏茄の父でもある長篠秋良(あきら)は、即座に警察に電話しようとしたのだが、春風により説き伏せられた。それでも今だ、1日に1度は警察に相談した方が良いのでは?とこぼす。兄バカなのである。
「……別に。心配することないでしょ。いつも子供っぽい叔父さんのことだもん。29歳という年齢にはそぐわない自分探しの旅とかじゃない?」
「そう? まあ、夏茄がいいならいいけど」
 くすくすと笑いながら、春風は言った。
 その言い様に夏茄は不満げに瞳を細めたが、何も言わない。何かを言えば不愉快な突っ込みを受けるだろう、と察したためだ。
「じゃあ私は夕飯の準備があるから。宿題、ちゃんとやるのよ」
「わかってる」
 くすくす。
 もう一度おかしそうに笑い、春風は部屋を出て行った。
 ふぅ。
 再度ため息をつき、夏茄は机につっぷした。宿題に集中することはできそうにない。
(もー。叔父さんどこ行ったのよ。携帯電話は置いてってるみたいだし……)
 携帯せずにいては携帯電話の意味がないだろう、とイライラしつつ、夏茄は顔を上げる。再び窓の外へと視線を向けようと。
 そして――
「……!」
 がたっ!
 立ち上がると、夏茄は部屋を飛び出した。

 がちゃっ!
 今開けようとしていた扉が唐突に開き、長篠冬流は瞳をぱちくりさせた。
「どうした、夏茄?」
「……じゃない……」
 ハァハァと肩で息をし、夏茄は何事か口にした。
 しかし、冬流の耳には届かなかった。
「あ? 何だって?」
「っ! 『どうした』じゃない! って言ったの!」
 暗くなりだした空に大声が響く。
 近所の人間が何事かと彼らの方を見やるが、夏茄は構わずまくしたてる。
「突然いなくなって連絡もしないで! 突然帰ってきて! とぼけた顔で『どうした』!? ふざけないでよっ!!」
「ま、待て待て。何を怒ってる。それと大声出すな。近所迷惑だぞ」
「知らないわよ!」
 ぱたぱたぱた。
 騒ぎを聞きつけ、春風がエプロンで手を拭きつつやってきた。
「あらあら。冬流ちゃん、お帰りなさい」
「ああ。つか、夏茄どうしたんだ?」
 聞かれると、春風はちらりと夏茄に瞳を向ける。そうして、くすくすとおかしそうに笑った。
 当の夏茄は顔を真っ赤にし、憤懣やるかたなしといったご様子だ。
「寂しかったのよ」
「なっ! 違――っ!」
「違いません。さ、中に入って。2人とも。不満をぶちまけるにしても、家の中でお願いね」
 ぱたぱたぱた。
 出てきた際と同じように、春風は日常的な足音を立てながら台所へ戻る。
 そして、玄関先には2名が残された。
 彼らは1度視線を合わせ、それから周囲を見やる。ご近所の目が注がれていた。
 確かにここで大声を上げているのは迷惑かもしれない。加えて、恥ずかしい。そう認識し、夏茄は玄関口をあけ、叔父を招く。そして、彼が家内へ入るなり、扉を閉めた。
 ばたん。
「……で、どこ行ってたの?」
 幾分冷静になり、それでも、不満顔だけは携えたままで、夏茄が尋ねる。
 それに対し、冬流は小脇に抱えた大きめの箱を得意げに掲げる。
「これを作っていたのさ。見て驚けよ。なかなかの出来だぞ」
「何よ、それ」
 眉根を寄せた姪を目にし、叔父はいたずらっぽく瞳を細める。
 さんざん心配させておいてその態度はなんだ、と夏茄は再び不機嫌になるが、それも長くは続かなかった。
「じゃーん!」
 冬流が抱えていた箱のふたを開ける。そこには――
「……熊……よね。これ、飴?」
 姿を現したのは蛍光灯の明かりを反射する雑食動物の姿。デフォルメされて愛らしい外見をしている。和む雰囲気からして、ヒグマよりはツキノワグマだろうという感想を抱いた。そんなことはどうでもよいけれども。
「おう。飴細工だ。お前、熊好きだったろ。ほれ。俺が書いた話の中でも、熊が出てくると大喜びで」
「そんな大昔のことは覚えてないけど…… どうしたの、これ?」
「作った」
 冬流の自慢げなひと言。
 その1語を耳にし、夏茄はいぶかしげに眉根を寄せる。
「作った? わざわざ? 1週間も留守にして?」
「おう」
 満足そうに胸を張る叔父を目にし、夏茄の胸には怒りが再燃した。
「どんだけ暇なのよ! バカ!!」
「ちょ、おいおい。バカとはあんまりじゃねぇか」
「バカだからバカって言ったの! 心配させておいて無意味なお菓子細工趣味にうつつをぬかしてたとか信じらんない!!」
「意味ならあるっつーの!」
「何よ!!」
「ホワイトデーだろーが!!」
「……は?」
 予期せぬ冬流の言葉に、夏茄は間抜けに呆けた。
 そうしてから玄関脇にかけられているカレンダーに瞳を向ける。本日は4時間目が体育で、6時間目が道徳だった。そんな時間割なのは月曜日だけだ。そして今週の月曜日は3月14日。確かに、世間一般ではホワイトデーと呼ばれる日である。そういえば、友人何人かが何故かお菓子をふるまってくれたが、あれは今日がホワイトデーだったからなのか。
 夏茄はつらつらとそんなことを考え、それから飴の熊に瞳を向けた。
「熊。なんで、作ったの?」
 この質問は熊を作ったこと自体へのものではなく、いつもは既製品なのになぜ、という意味でのものだ。
「お前がバレンタイン、手作りだったからな。ならこっちも手作りだ。叔父として姪に負けられん。こっちは飴細工職人に直接教えてもらいながら作ったんだぞ。凄いだろ?」
 ふんぞり返り、腰に手をあてて言う。
 彼はそのような動機で、1週間前から隣県の飴細工職人の元へ向かっていたのだ。以前、雑誌の記事で『職人の心意気』という欄を担当した際に、42歳のとある職人と知り合ったのだった。
「はー。そーなんだ。すごーい。なんとゆーか、ありがとー」
 多分に呆れ、夏茄は頬をひきつらせて礼を言う。怒る気すら失せたようだ。
「おう」
 満足そうに笑い、冬流は機嫌よく飴細工の入った箱を夏茄に渡す。そうしてから靴を脱ぐ。
 しかし、そう機嫌よくしてばかりもいられない。
「でも叔父さん」
「あん? 何だ?」
 にこり。
「来年からはもっと違うとこにお金かけて。飴細工の受講料とか、隣県への移動費とか、受講中の滞在費とか、その分を全部こちらに投資してくれた方が嬉しい」
 がくり。
 姪の言葉を耳にすると、叔父はうなだれた。
「お前、可愛くないのな。もう少し夢を持て。仮にも児童文学作家の姪だろ?」
「それは関係ないでしょ。そもそも叔父さんが夢見がちすぎなの」
 双方ともに不満げに口を尖らせる。
「小さい頃はあーんなに可愛かったのにな。時間は残酷だぜ」
「うっさい」
 夏茄の端的な言葉とジト目を受け、冬流はため息をつく。そうしてから洗面所に足を向けた。
 もうじき夕食時。家主の長篠秋良(あきら)もそろそろ帰ってくるはずだ。
 冬流は失われた輝かしい子育ての日々を想い、苦笑と共に再度のため息。姪の現実すぎる脳みそに加え、留守にした時間が長かったおかげで、出版社からのエッセイ執筆依頼の締め切りという嫌な現実を思い出したためだ。かくも現実とは残酷なものなのなのか。
「あ、そうだ。叔父さん?」
 そこでかけられる声。
 この期に及んで、まだ残酷な現実を叩きつけられるのだろうか?
 冬流は暗澹とした心持で振り返る。
 しかしそこには――
 にこっ。
 嬉しそうな笑顔が、かつて小さな女の子が浮かべていたものと同じ笑みが、輝いていた。
「おかえりなさい、冬流叔父さん」
「――ああ。ただいま、夏茄」

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