春が訪れ、長篠(ながしの)家にもぽかぽか陽気のお昼寝ごこちがやってきた。
長篠冬流(とうる)は居間のソファに横たわり、すやすやと心地よい眠りについていた。平日の15時頃にごろんと横になり、それからたっぷり2時間おねむである。何とも羨ましいご身分だ。
彼の義姉である長篠春風(はるか)は、あらあら可愛い寝顔、とのんきな笑顔を浮かべてタオルケットをかけてあげていた。義理の弟には甘い性質のようである。彼女の夫、兄バカである長篠秋良(あきら)の悪影響か。
「ただいまー」
そんな中、元気な挨拶と共に帰ってくる者がいた。長篠家長女、夏茄(かな)である。彼女はこの春に中学2年生に進級したばかりであった。新学年となり後輩もでき、しっかりしないとと気持ちを高ぶらせている真っ最中であった。
ゆえに――
「って、叔父さん。いい年した大人が平日の昼間にお昼寝だなんてかっこわるいよ?」
ゆさゆさ。
ソファに身を沈める叔父をゆすり、目を覚まさせた。
「……んー。おー、夏茄。おかえり」
「ただいま。てか、いいの? たしかエッセイの締め切りが近いと思ったけど?」
問われると、冬流は口を真一文字に閉じ、そっぽを向いた。現実逃避中だったらしい。
はぁ。
夏茄はため息をついて、肩をすくめた。
「夢の中でいいネタ手に入れた?」
「……お前はこのところ嫌味がきびしいぞ。小姑か」
「言われたくないならしっかりしてよね」
ぱたぱた。
言い残し、夏茄は自室へと引っ込んだ。着替えに行ったのだろう。
残された冬流は、腕を組んでうなった。夢の中には、いいネタがなかったらしい。
ぽちぽちぽち。
「うーん」
人差し指で適当にキーボードを打ちつつ、冬流はうなった。居間でのことである。春風が夕食の準備をしており、いい匂いが漂っていた。
雑誌に目を通していた夏茄は、小さく息をつく。
「締め切り、いつだっけ?」
「……………明後日」
そりゃ大変だ、と苦笑し、夏茄はパソコンのディスプレイを覗き込んだ。ワープロソフトに書きこまれた文章は、たったの数行である。彼女の記憶がたしかならば出版社からは原稿用紙10枚分とのご依頼だ。どう贔屓目に見ても足りない。
仕方ないなぁと、彼女は大きくため息をついた。
「叔父さん。前はエッセイに、私のこと何度も書いてたよね?」
「あ? まあそうだが、お前がやめろって言ってから書いてねぇぞ。嫌なんだろ?」
そこで夏茄は口を尖らせる。
「そりゃあ嫌だよ。友達に見られたら恥ずかしいもん。でも、今回は本当に危なそうだし、なんかあるんならいいよ。特別」
にこっ。
「ほら。編集の人、あんまり困らせちゃかわいそうだし」
付け加えられたひと言。それを耳にし、叔父は書くことを決めた。
それから1か月後のある日。夏茄は教室で、友人の黒輝雪歌(くろきせつか)に声をかけられた。
「ねえねえ、夏茄ちゃん。如月睦月(きさらぎむつき)って夏茄ちゃんの叔父さんなんだよね?」
如月睦月は冬流のペンネームだ。たまに本屋でみかけ、照れくさい心持になるが、友人にダイレクトに口にされるとさらに気恥ずかしい。
「ま、まあね。何で?」
「じゃあこれって夏茄ちゃんのこと? この号に如月睦月のエッセイが載ってるの。小説とは違うユニークな語り口で面白いよね?」
後半の問いかけには、夏茄は首を縦に振りがたい衝動にかられる。彼女としてはエッセイの語り口こそが叔父のそれに近く、小説の文章などをよんでいる方が笑えてくる。勿論、そのようなことを口には出さないが。
そして、前半の問いかけにたいしては、そーいえば何書いたんだろ、という疑問を思い浮かべた。まだ見ていない。
「この前、私のこと書くことにしてたと思うけど、どんなこと書いてた?」
「夏茄ちゃんって『ツンデレ』なの?」
がんっ!
突然の奇矯な単語に、夏茄は思わず机に頭をぶつけた。
「だ、大丈夫? 夏茄ちゃん」
「大丈夫……じゃないけど、えっと、つんでれ?」
「え、うん。ほらここ。私の姪御は『叔父さんの為じゃないんだからね! これ以上遅れたら編集さんが気の毒だから許すんだからね!』と言って、このエッセイの執筆について、女神のような寛容さと思春期の反抗心で、類まれなる近現代特有の許可をくれた。すなわち、ツンデレ属性を付加した許可を。私はここに記そう。私の可愛い姪御の、思春期まっただ中のツン要素と、たまに表出する可愛げあふれるデレ要素を。っていう口上で始まって、あとは夏茄ちゃんのツンとデレの紹介がひたすら。タイトルはうちの姪御はツンデレ可愛い」
ぷっ。
『あははははははははははっ!』
教室中に逆巻く笑いの嵐。他のクラスの生徒が何事かと教室を覗き込むほどに、笑い声が響き渡っていた。中には涙を流して苦しそうにしている輩までいる。
そんな中、夏茄は顔を真っ赤にして歯を食いしばった。
「帰ったら覚えてろよあんにゃろおぉお……」
形相はもはや般若のそれだった。