雪桜ところにより夏
4〜5月の行事編「GW そのA」。夏と桜と雪の饗宴。

 5月1日。1駅先の町にあるボウリング場にて、長篠夏茄(ながしのかな)はぼーっと電光掲示板を眺めていた。
 プレイヤー欄には、ブロッサム、ユキ、サマーという3つの名が記載されている。
「サマー、出番よー」
 ブロッサムこと深咲桜莉(みさきおうり)が、サマーこと夏茄に声をかけた。
「はいはい。ていうか、サマー言うな。まったくもぉ。登録名も勝手に決めてさー」
「ふつーじゃつまんないでしょ」
 ふぅ。
 夏茄は小さくため息をついた。
「まぁまぁ、夏茄ちゃん。桜莉ちゃんも悪気はないんだし」
 なだめたのはユキこと黒輝雪歌(くろきせつか)である。
 ちなみに、3人中で1番スコアがいいのが雪歌だ。150と少し高めの数字が電光掲示板の右端に見える。夏茄と桜莉はそれぞれ、75と80であった。
「トップのユキ様に言われたら機嫌を直すしかないわね。さてと」
 腰を上げ、夏茄はボールラックに歩み寄る。8ポンドの青色ボールを手に取り、持ち上げた。
 ずしっと腕に来る重さが、彼女に再度ため息をつかせた。ボウリングは苦手だった。現在10フレーム目で、いまだストライクを取れていないことからもそれは明らかだろう。たまにまぐれでスペアがとれる程度の実力である。
「さて」
 レーンの先のピン達を睨みつけ、夏茄は歩みを進めた。ボールを持った右腕を振り子のように動かし、左足を踏み出すと同時に放った。  がたっ。
 ボールがレーン手前で大きな音を立てて落ち、そのままゆるゆると進んでいく。
 ぱたぱた。
 そして、ボールは右端へと向かい、ピンを4本倒して暗闇に消えて行った。
「いよおぉしっ!」
 嬉しそうに叫んだのは桜莉だ。ビリはトップの言うことをひとつ聞くことになっているため、必死だった。
 こんっ。
 ボールラックに夏茄のボールが戻ってきた。続けて2投目である。ここでスペアを取れれば、まだ望みは高くなる。
「よし」
 気合を入れ、夏茄は一歩を踏み出した。先ほどよりも一層集中し、レーンの先を見つめ、そして、ボールを放った。
 がたっ。
 ボールが落ち、レーンを突き進む。するすると進むそれは、真ん中を通り、そして右へゆるりと向かった。
 ぱたぱたぱたぱた。
 残っていたピンが全て倒れた。
「ええぇえー!」
 独り桜莉だけが不満の声を上げた。
「夏茄ちゃん、やったー!」
「いえーい!」
 ぱぁん!
 ハイタッチをする夏茄と雪歌。
「で、でも、まだ5点差。あたしが逆転する可能性の方が高いわ」
「うっ」
 桜莉の言葉に、夏茄が呻く。彼女の言うとおりだと思ったのだ。
 しかし、雪歌は小首を傾げた。
「え? 夏茄ちゃん、もう一投できるよ?」
『え?』
 友人の言葉に訝しげにし、それから夏茄と桜莉は電光掲示板を見た。
 たしかに、いまだサマーのターンである。
「10フレームでは、2投目まででピンが全部倒れてれば3投目があるんだよ」
「……………ちっ」
「……………よし」
 それぞれ呟く2名。これまでの人生において、10フレーム目でピンを倒しきったことがなかったために知らなかったようだ。
 改めて夏茄は深呼吸をし、いつの間にやら戻ってきていた青色のボールを手に取る。
「がんばれー、夏茄ちゃん」
「がんばるなー、夏茄」
 正反対の声援を背に受け、夏茄は覚悟を決めた。
 たっ。

「ほい。オレンジジュース」
 桜莉は手にしていた缶ジュースのうち、果汁100%と銘打たれたオレンジ色のものを雪歌に差し出した。
「ありがと」
 にこりと微笑み、雪歌は受け取った。
「夏茄にはファンタ、と」
「どうも。てか、ほんとにお金いいの?」
「同情はいらないわ! 敗者にも誇りはあるの!」
 噛みつかんばかりの勢いの桜莉に、夏茄は苦笑する。
 そして桜莉は、手元に残ったおしるこジュースをあけ、一気にあおった。ちなみにホットである。
 ぐびぐびぐびっ。
「火傷しないよーにねー、桜莉ちゃん」
 にこにこと微笑みながら、オレンジジュースに口をつける雪歌。
 夏茄は彼女のそのような様子を瞳に写し、再び苦笑した。微妙な腹黒さが可愛いような、そうでもないような、と。
 結局、ボウリングゲームのトップは168点で雪歌、2位は90点で夏茄、ビリは89点で桜莉だった。そして、トップの雪歌が桜莉に要求したのが――
「ジュース買ってきてくれる? あ、桜莉ちゃんはホットのおしるこね。勿論自腹だよ?」
 であった。
 1点差で敗れた身としては、明日は我が身と苦笑せずにいられない夏茄だった。
「ほんとはね。夏茄ちゃんがビリだったら嬉しいなーって思ってたんだー」
「えっ」
 突然の雪歌の言葉。
 夏茄は頬をひきつらせ、思わず友人の顔を見つめた。
「だって、如月睦月(きさらぎむつき)にサインしてもらいたいなーって思ってたから」
 続いた言葉に、夏茄はほっと胸をなでおろす。いじめの前兆というわけではなかったようだ。
 ちなみに、如月睦月とは夏茄の叔父、長篠冬流(とうる)のペンネームである。
「なんだ、そんなこと。別にそれくらいならいつでも頼まれるよ」
「ほんと!?」
 ぱあっと顔を輝かせ、雪歌が夏茄に迫った。
「うん。にしても、なんでそんなに叔父さんが好きなの? そんなに人気ないのに」
「えー面白いよ、如月先生の小説。それに、著者近影がかっこいいし」
 えへ、と頬を染めて微笑む友人を瞳に写し、14歳に29歳が手を出したら犯罪だなぁ、などと考える夏茄。
 ぷはぁ。
 そこで、桜莉がおしるこを飲み終えた。
「きっつい! あっつい!」
「お疲れ様ー」
 雪歌に満面の笑みを向けられ、桜莉は頬をひきつらせた。いい性格だなこいつ、という思考が窺い知れる。
 その一方で、夏茄に呆れた視線を向ける。
「何よ?」
 訊いた。
「ふつー身内が『かっこいい』とか言われたら謙遜しない? それとも、『冬流おじさんがかっこいいのは当然だし』ってこと? あいかわらず叔父コンねー」
 叔父コン。いわゆる、叔父コンプレックスである。彼女たちの間の造語だ。
「え? 夏茄ちゃん、実はライバル?」
「29歳叔父と14歳姪の禁断の恋。少女マンガちっくで素敵ねー」
 にやにやと笑っている桜莉からは、言葉通りの思考など全く窺い知れない。明らかにただからかっている。
 いわゆる、うっぷん晴らしというやつだろう。
 夏茄は顔を真っ赤にして、
「ち、違うもん! 冬流ちゃんのことなんて嫌いだもん!」
 叫んだ。それから、はっと口を両手でふさぐ。
 以降はその発言をもとにして更にからかわれたとか。

 ボウリングのあと3時間程カラオケに興じた帰り道。夕焼け空を眺めながら、夏茄は大通りを歩んでいた。
(……ふぅ。叔父さん、いつ帰ってくるのかな)
 一昨日の夜、夏茄の父の秋良(あきら)に『島根の山奥に泊まってる』というメールが届いた。それっきり連絡はない。
 1度でも連絡があったのだから心配する必要はないのではあるが、別の意味――短編の締切という意味で心配が尽きなかった。今のところ編集さんからの催促の電話などはないが、明日が締切なことを考えると、今日明日には電話がかかることだろう。どう言い訳したものやら、というのが長篠家の今の憂慮すべき事項だった。
 それに、またひとつ憂うべきことが増えた。
 夏茄の鞄には冬流の著書が1冊入っている。雪歌のものだ。
 雪歌を冬流に会わせ、そのままサインさせてあげられたらよかったのだが、冬流は現在、絶賛家出中である。ゆえに、雪歌にお気に入りの1冊を手渡され、サインを頼まれたのだ。
「出来れば『雪歌ちゃんへ』とか親しげな1文を添えてもらえると嬉しいかな」
 えへへと頬を緩め、友人は言っていた。
 その時の可愛らしい表情を思い出し、夏茄はなぜかむっと腹を立てた。そして――
(雪歌さんへ、にしてもらおう。何となく!)
 人知れず、妙な決意をしたのだった。

PREV<< □TOP□ >>NEXT