今昔くもり星ランデヴー
7月の行事編「七夕」。変わらないというわけにはいかない。それでも、全てが変わるわけではない。

 どんよりと曇った夜空には、当然の如く星々の煌めきは影も形もない。地上を這う生物にとっては、雨粒が大地を濡らさずにいてくれることが、せめてもの救いとなるだろう。しかしながら――
「とーるちゃん…… いいてんきじゃないと、ひこぼしとおりひめ、あえないんでしょ?」
 桃色のパジャマ上下に身を包んだ少女が、カーテンの隙間から外を眺めつつ、言った。
 名を、長篠夏茄(ながしのかな)という。約1カ月後の8月2日に8歳となる、7歳児だ。
 風呂上りなのだろう。腰の辺りまで伸ばされた黒髪は、しっとりと濡れている。
「ま、一般的にゃそう言われるな。ほれ、こっち来い。髪ぃ乾かさないと風邪引くぞ」
「……うん」
 とことこ。
 夏茄は暗い表情で踵を返し、声をかけた男性の元へ向かう。
 男性の名は、長篠冬流(とうる)。当年とって22歳の、夏茄の叔父である。
 ぶおー。
 ドライヤーから温風が吹き出し、夏茄の髪をなびかせる。そうしてあらかた乾ききった頃合いに、冬流はドライヤーのスイッチをいじり、生じる風を冷気に切り替えた。
「気持ちいいですか、お姫様?」
「……うん」
 冬流のおどけた問いかけに対し、夏茄の応えは沈んでいる。
 常であれば『お姫様』と呼ばれるときゃっきゃと喜ぶのであるが、どうしたのだろうか? 冬流はひょいと夏茄の顔を覗き込む。
「どうした?」
 尋ねると、夏茄はパジャマの前をぎゅっと握りながら伏し目がちにし、上目遣いで冬流を見た。そして、口を開く。
「あのね、とーるちゃん。たんざくのねがいごと、かえていい?」
「そりゃあ構わねぇが……」
 長篠家の窓際に置かれた笹には、4枚の短冊が飾られている。それぞれ、冬流、夏茄、そして夏茄の父母、秋良(あきら)、春風(はるか)のものである。
 冬流はその笹の近くに置かれている予備の短冊を手に取り、サインペンと共に姪に渡す。
「ほら」
「ありがと。とーるちゃん」
 受け取ると夏茄は、ぽんっとサインペンのキャップを外し、大胆な大きい字を短冊に刻む。
 10数秒後、夏茄は短冊を大事そうに持ち上げ、冬流を見上げた。
「はい。おねがいします」
「あいよ」
 差し出された紙片を手に取り、笹へと歩みを進める冬流。そのさなか、視線を手の中のそれに向ける。
 そこには――

『おてんきになって ひこぼしとおりひめがあえますよーに』
 テレヴィジョンに短冊が映し出された。6年前の七夕時期のホームビデオの一場面である。
 それを居間のソファに腰掛けて観ているのは、長篠秋良、春風、冬流の大人3人組だ。
「か、可愛いっ! この頃の夏茄の破壊力はパないわね、あなた!」
「そうだなぁ。この時カメラを回してたのは春風だったな。いい仕事だ」
 ぐっ。
 親指を立てて満足そうに笑う秋良。
 春風も同様に親指を立て、にっこりと笑った。
「最近の夏茄は生意気というか何というか、可愛さ大幅減だからな。絶っっっ対、彦星とか織姫とかの為に何かしたろうとか思わんぞ、あいつ。ったく、この頃が懐かしいぜ」
 愚痴ったのは冬流だ。ふぅ、と憂鬱そうに息をついた。
「……ちょっと、叔父さん。可愛くなくて悪かったね」
 大人3名の背後――廊下から、空色のパジャマ上下に身を包んだ少女が、不満げに口を尖らせて言った。夏茄である。
 風呂上りなのだろう。肩の辺りで切り揃えられた黒髪は、しっとりと濡れている。
「おう、お姫様。髪、乾かしたろうか?」
「別にいいし。てゆーか、お姫様って…… 恥ずかしくないの?」
 はあぁあ。
 大きく溜め息をひとつ吐き、夏茄は洗面所に引き返していった。程なくドライヤーの生み出す送風音が聞こえてくる。
「これだよ、まったく。やだねー。反抗期」
「あら。わたしは今の夏茄も可愛いと思うわよ。冬流ちゃんもエッセイで書いてたじゃない。ツンデレ可愛い」
「つんでれ、とは何だ?」
 顔にはてなマークを携えて尋ねた秋良に、春風はにこりと微笑み、要するに可愛いってことよ、といい加減な説明をした。
 一方で冬流は、はあぁあ、と盛大に溜め息を吐いた。
「場合によるだろ。これ、見ろよ」
 ぴっ。
 冬流が差し出したのは短冊だった。長篠家では、毎年律儀に笹を調達し、短冊を飾っている。
 大人組の願い事は毎年似たり寄ったりで、小遣あと5千円増やして、シャネルのバッグ、平行魔法世界との融合、などなどである。どれが誰の願いかは推して知るべし。
 そして、冬流が手にしている短冊に書かれている願いは――
『家内安全 夏茄』
 現実的かつ無難だった。
 …………………………………………………………
 はああぁあ。

 ぶおー、かちっ。
 ドライヤーのスイッチを切り、夏茄は洗面所を出た。廊下の途中にある窓の外は、漆黒の闇が広がる。星明りも、月明かりも漏れていない。
 この時季は高確率でそうだが、曇っている。今年は更に、ぱらぱらと小雨がちらついていた。
「……………叔父さん、覚えてないんだろーなー。まったく、自分の言ったことには責任を持ってほしいわ」
 ふぅ。
 頭をふるふると左右に振り、夏茄は嘆息した。
 そうしてから、雨粒の零れる曇天を見上げた。夜中ながら、どんよりと暗い雲が微かに見えた。

『なぁ、夏茄。彦星と織姫の為に願い事使うのもいいけどよ。別に、そこまであいつらに気を遣わなくてもいいんだぞ?』
『でもかわいそうだよぉ。いちねんにいちどしかあえないんでしょ?』
『……まあな。けどよ、1年に1度だからこそ、曇りだろうと雨だろうと根性出して会えばいいだろ、あいつら』
『ふえ?』
『本当に会いたきゃ、本当に好きなら、そうじゃねえか? 俺は――』

 くすっ。
「雨のデートは憂鬱かもしれないけど、お気に入りの傘とか、オシャレな長靴とか、そういうので楽しめばいいよ、ね。頑張れ、2人とも」

『今日しか夏茄に会えないんだとしたら、槍が降ろうと何が降ろうと、何が何でも会いに行くぜ?』

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