雨上がりの夏の日。どんよりとした雲が未だ天を覆っており、何ともすっきりしない天候である。更に言えば、うんざりするほどに蒸して暑苦しく、寝苦しい夜となるのは明白だった。
そんな中、せめて気分だけでも涼やかになろうと、古くから重宝されてきた夏の風物詩に頼る者がいても不思議ではない。
ある夏の日の夜9時。少女たちが集まったのは、そういうわけだった。
「寝苦しい夜の恒例行事! 柑奈(かんな)の心霊ツアー2011っ! どんどんぱふぱふー!!」
ぱちぱちぱちぱちぱち!
まばらに人が通る夜道で、少女がテンション高く言った。
共にいる者たちは対照的に静まりかえっている。
「もお、みんな! もっと元気よく! ほら、幽霊に会いたいかー? おー!」
『お、おー』
勢いよく腕を振り上げる少女に面食らいながら、他の者たちは小さな声とともにゆるゆると腕を上げた。
「むー、ノリ悪い…… ま、いっか。ところで雪歌(せつか)ちゃん。この子たちのお名前は? あ、柑奈は天笠(あまがさ)柑奈。柑奈って呼んでね」
にぱっ。
破顔一笑した少女、天笠柑奈。
対して、戸惑った様子で少女2名が自己紹介をする。1人は長篠夏茄(ながしのかな)、1人は深咲桜莉(みさきおうり)と名乗った。
そして、彼女たちの隣に佇むもう1人の少女は、柑奈の言葉の中にもあった雪歌こと、黒輝(くろき)雪歌である。
雪歌と柑奈は小学校時代の友人。雪歌は天ヶ原女子中学、柑奈は龍ヶ崎中学にそれぞれ進学した。そして、雪歌と夏茄、桜莉は進学先の天ヶ原中学での友人。以上のような繋がりをもって、今この時の集いが生じたのである。
「って、初対面なのかよ? 来た途端さっきのテンションでか?」
そこで反応を示したのは、当集団の唯一の男性、長篠冬流(ながしのとうる)だった。
彼を瞳に映し、柑奈は小首を傾げた。
「あれ? 中学生にしては老けてるねー。映画とか大人料金とられるでしょー?」
「失礼なハイテンション娘だな。俺は長篠冬流。夏茄の叔父だ。うちの可愛い夏茄を、こんな時間に1人で外に出すわけにはいかねぇからな。つきそいだ。まったく面倒くせぇ」
と口にしながらも、冬流の瞳は生き生きとしていた。こういった行事が大好きなのだ。更に言えば、人ならざる者の存在や人知を超えた事象、そういったものが大好物だった。夏茄よりも、どちらかと言えば彼の方がこれから始まる非日常への旅路を楽しみにしていた。
「冬流さんはね、あの如月睦月なんだよ? 前に柑奈ちゃんにも本貸したでしょ?」
雪歌が言うと、柑奈は顎に手をあてて考え込んだ。動作がいちいちわざとらしく、小芝居が好きなのであろうという印象を受ける。
ちなみに如月睦月とは、冬流の児童文学作家としての筆名である。雪歌は彼の大ファンなのだ。
ぽん。
そこで、思い出した、という風に手を打つ柑奈。
「あの叔父バカシリーズの人だね!」
「そう! で、こちらの夏茄ちゃんが、天使な可愛い姪御さんなの!」
夏茄を指し示したのは雪歌だ。
柑奈は夏茄をまじまじと見つめ、にこりと笑った。
「イメージと違うね!」
「どーゆー意味?」
金網をよじ登り、1行はとある敷地内へと足を踏み入れた。雨で濡れたからだろうか。土の臭いが鼻をくすぐる。平素石灰で引かれれている白き線は消えかけており、明日の朝はまずそれを引く作業から天ヶ原女子中学ソフトボール部の活動は始まるのだろう。
「で、何で我らが天ヶ原女子中学なの? 別に心霊スポットじゃない――よね?」
桜莉が自信なく周りに訊いた。
夏茄、雪歌共に首を振っている。そのような話は聞いたことがない、という意味だろう。
「天ヶ原中学といやぁ、このあいだ除霊みたいなことをしたって聞いたぞ」
そこで、一番の部外者から思わぬ情報が開示された。
「な、何それ? 叔父さん、何でそんなこと知ってるの?」
「俺が世話になってるシーズン出版には、オカルト記事を扱う記者もいるみたいでな。弥生――俺の編集者が噂で聞いたんだ。つい2週間前くらいのことだったらしいぞ」
ぞっ。
天ヶ原女子中学に通う面々が顔色を青くした。自分たちが普段過ごしている場所が、実は心霊スポットだったなどというのは笑えない。平素足を踏み入れない場所が非日常の一部だというのなら、それはまさに他人事であり、そこまでの恐怖ではない。しかし――
「え、じゃあ、6月に入ってから週単位で何かあったのって…… 3年の先輩が怪我したのとか、1年生が倒れたのとか」
「先生が入院したりもしてたよね?」
「で、2週間前からは何も起きてないよね?」
しーん。
沈黙が3名の間に流れた。
一方で、柑奈は明るく笑っている。
「あはは。そんなので済んでよかったって。死んじゃうってのはまあ稀だけど、精神を病んで1年入院とか、憑かれたせいで突然奇声を上げて猫みたいに跳び回って友達減ったとか、霊の影響で中途半端な霊感身に着けて日常的に霊が見えるようになっちゃったとか、いやーな被害もいっぱいあるんだから。ここは対処が早かったからまだいい方いい方!」
………………………………………
先ほどよりも重苦しい沈黙が落ちた。
そんな中、冬流は楽しそうに笑んでいる。
「それで? その話ぶりだとここはもう霊はいなくて安全なんだろ? なのに心霊ツアーとして成り立つのか?」
ちっちっちっ。
冬流の問いに、柑奈は人差し指をふりふり、舌を打った。
「甘いねー、叔父バカ先生。本当に危ないとこなんて連れていかないよ。そんなとこに連れていくのは素人。クライアントの安全を保障しつつ、恐怖だけを与えるのがプロです」
ほっ。
柑奈の言葉に、少女3名は胸をなでおろし、息をつく。
一方で、冬流は少しつまらなそうに腕を組む。
「何だ。じゃー、何か見えるかもワクワク、ってーゆー期待持つだけ無駄かよ。ちっ」
彼の言葉に大多数が苦笑する中、柑奈だけは暗闇に支配された校舎を見渡し、
「……あっれぇ。おっかしーなー」
不思議そうに小首を傾げた。
かつかつかつかつ。
静まり返った夜の廊下に、靴音だけが木霊する。迷いなく進む柑奈に続き、少女3名がきょろきょろと不安げに辺りを見回しながら歩みを進める。更にその後ろを、冬流がゆっくりと歩く。
「幽霊がいないってのはいいけど、それは別としても夜の学校って怖い……」
「そ、そうね。こういう時って普段は思い出しもしない話思い出すし。天中(あまちゅう)にも7不思議があるの知ってる?」
「知ってるけど、それを今言う?」
雪歌、桜莉、夏茄がそれぞれ言った。
「知ってるよー」
彼女たちの言葉に応えたのは、なぜか違う中学の柑奈だった。
「え、何で?」
「ここの仕事したの、柑奈の親類でねー。参考情報として資料に添付されてたんだ。それを盗み読んだの。まずは――血塗られた階段!」
びしっ!
大げさな動作で、目の前の階段を指差す柑奈。
血塗られた階段とは以下のような噂だ。昔、当該階段で足を踏み外し、1人の女生徒が命を落とした。夜中になると、その女生徒の死体が出現し、階段が1段多くなるというのだ。
「何ともベタな怪談だよねー。うちの中学にも似たような話あるよー」
あははと、柑奈が満面の笑みを浮かべた。
面々は苦笑し、和やかな気分になる。が――
「とか思ってたんだけど!」
びくっ。
「どうやらね。ただの噂じゃなかったみたいなの。この間の浄霊の時、確かにここに女生徒がいたんだって…… 血塗れで、ぐったりしてて、小さな声で、痛いよ、痛いよ、って……」
「ひいぃいいぃいいぃい!」
抱き合う女学生3名と成人男性1名。
「悪さをする霊じゃなかったみたいだけど、そのままにしたら可哀想だからって彼岸へ送ってあげたってさ。だからもうその霊はいないよ」
「な、なんだぁ。もお、柑奈ちゃんってば」
「あははー、ごめんねー。でも効果は抜群でしょ? あ、ちょっと電話してくる。しばらくここでお話でもしててー!」
たったったっ。
小走りで去っていく柑奈。その後ろ姿を見守り、少女たちは小さく息をついた。
「流石、雪歌が肝試しならって推薦するだけはあるわね。一気に涼しくなったわ」
「本当だよねー。ねー、叔父さん」
「ん、ああ……」
歯切れ悪く応える冬流。
その様子を気に掛けるでもなく、少女たちは楽しそうに語り合っている。
一方で、冬流は眉根を寄せて、考え込むように瞳を閉じた。
(『その霊は』いない、か…… 深読みしすぎかね)
ぶるっ。
「きゃあああぁあっ!」
「いやあぁあぁああっ!」
「許してええぇえぇえっ!」
「ぎゃあああぁああぁあっ!」
6つ目の不思議を検証し、盛大な叫び声を上げる4名。雪歌、桜莉、夏茄、冬流であった。
比較的余裕があり、どちらかと言えば喜んでいるような悲鳴を上げているのが前者2名。
余裕皆無で、涙を浮かべているのが後者2名。
「ちなみに6つ目の不思議は100%嘘だよ。ここには何も居なかったって」
「嘘かいっ!」
「酷いよ、柑奈ちゃん!」
「嘘でも怖い……」
「観自在菩薩(かんじざいぼさつ)行深般若波羅蜜多時(ぎょうじんはんにゃはらみったじ)……」
くすくす。
各名の反応を楽しそうに眺めつつ、柑奈は視線を移した。その先は、7つ目の不思議が住まう場所。校舎裏に佇む小さな建物である。
「さて、あとは倉庫だね」
「そこは何か居たの?」
尋ねた桜莉に、柑奈は微笑む。
「居たらしいよ。でも、悪い子はお仕置きしたって言ってたから、危険はないよ」
その言葉に、女学生3名はほっと息をつく。
しかし冬流は――
(また、何となく含みのある言い方だな…… 危険『は』ない、か)
滅多なことを言うと、夏茄が必要以上に怖がるので、冬流は深くは突っ込まないことにした。それゆえ、独りで不安と闘うこととなった。
がらっ。
倉庫の引き戸を開けると、埃臭い空気が廊下に這い出してきた。当該倉庫は、全く使われていないということはないが、それでも、数カ月に1度開くかどうかという利用頻度だ。新鮮な空気が望めないのは仕方がない。
「ここにはね、付喪神(つくもがみ)が沢山いたの」
「付喪神?」
疑問を口にしたのは夏茄だ。
そんな彼女の隣で、冬流は腕を組み、おもむろに口を開いた。
「付喪神。長い年月を経て魂を得た道具の総称だな。大事に使い続ければ善い魂が宿り福を呼ぶが、ぞんざいに扱えば悪い魂が宿り災いを呼ぶ。まあ、人と同じだな。機嫌を損ねるなっつーこった」
「ふーん」
ぱちぱちぱち。
柑奈が楽しそうに拍手した。
「そーそー、そんな感じ。さすが叔父バカ先生。詳しーね。ちなみにこの倉庫の7不思議を紹介すると、夜ここに入るとすすり泣く声が聞こえるんだって。けど、勇気を出して探しても人影は見つからないの。諦めて帰ろうとすると――」
『見捨てないでえええええぇええええぇえぇぇええええっ!!』
『ぎゃあああああああああああああぁああああっっ!!』
突然の叫び声に、柑奈を除く全員が叫ぶ。腰を抜かし、それぞれ地面にへたり込んだ。
夏茄は冬流と、雪歌は桜莉と抱き合って震えている。
かちっ。
と、そこで柑奈がポケットから何かを取り出し、皆に見えるように掲げた。それは、ICレコーダーだった。
「えへへ。録音だよ。びっくりした?」
「びびびびびびび」
「し、心臓止まるかと思った……」
「あ、う、ふえっ……」
「しゅ、趣味悪いぞ、お前」
泣きだしそうな夏茄をなだめつつ、冬流は柑奈をひと睨み。
対して柑奈は、悪びれる様子もなくカラカラと笑っている。
「ごめんなさーい。でも肝試しとしては最高でしょー?」
皆が呆れた様子で息を整えている中、柑奈はなおも明るく笑い続ける。
そうしながら、ふいにさみしそうに瞳を伏せる。
「この7つ目の不思議、よく考えると辛いよね。ここにある道具たちは長年、この学校で皆のために頑張ってきたんだよ。それがある時を境に見向きもされなくなって、見捨てられたようにここに放置される。辛くて辛くて、泣いて泣いて、それで、我慢できなくなって悪さをする魂が現れる」
柑奈は積まれている机のひとつに手をかける。溜まった誇りを払い、優しく撫ぜた。
「悪さをして人を傷つけたら退治される。それは仕方がないことだけど、でも、やっぱり辛いよ。先にこの子たちを裏切ったのは人間なのに、何でこの子たちだけが辛い目に合うのかな?」
…………………………………
静けさが場を支配する。
と、その時――
『あああぁあああぁああぁあぁあああぁあああぁあっっ!!』
叫び声が響いた。
皆、顔を見合わせ、それから苦笑する。
「もぉ、柑奈ちゃん。2回目はいくら何でも引っかからないよ?」
「突然しめっぽい話し出したと思ったら、こーゆー趣向? やだなー」
雪歌、桜莉が言った。
一方、柑奈はぽりぽりと頭をかき、苦笑している。
「? どうした?」
冬流が尋ねた。
「え? あー、そのー。柑奈、ICレコーダーにはさっきの『見捨てないで』しか入れてないんだよねー」
『え゛』
あはは、と笑う柑奈とは対照的に、他4名は顔色をなくしていく。
「霊、まだいたみたい。てへ」
その言葉を契機として、4名はいっせいに駆けだした。その姿は、脱兎の如きであった。
はぁはぁはぁはぁ。
グラウンドまで至り、1行はようやく立ち止まった。そして、中腰で佇み、肩で息をする。
そこへ、ゆっくりとした足取りで柑奈がやって来た。
「みんな足速いねー。叔父バカ先生も意外と若いし」
「わ、若いとか若くないとか関係ねぇ! お前、危険はないっつっただろ!」
冬流が半泣きで叫ぶと、柑奈はきょとんと呆けた。そうしてから、けたけたと笑う。
「やだなー、叔父バカ先生。危険がないのは嘘じゃないよー。ちゃんと危険がない場所しか行かなかったんだから」
『は?』
柑奈の言葉に、冬流以外の3名が目を点にした。
一方で冬流は深く息をついてへたりこむ。
「やっぱ霊、いたんだな。お前の言葉、いちいち含みがあったもんなぁ」
「ありゃ、ばれてた? 柑奈はそんなつもりなかったんだけど、流石作家なのかな。細かいことに気付くねー」
にぱっ。
相変わらず明るい口調で話す柑奈。
そんな彼女に対し、
「あの、柑奈ちゃん。天中、まだ霊いるの?」
勇気を出して雪歌が尋ねた。
「イエス、だよ。付喪神が、ね。今日付けで結構増えたねー。悪さしそうなのはどうにかしたけど――まあ、他は放置かなー」
指折り数えながら応えた柑奈。そんな彼女の指は、10、20と順調に数え続ける。その分だけ、この中学に付喪神がいるということだろう。
ぶるぶるぶるぶる。
夏茄が震えている一方で、桜莉が奮って立ち上がった。
「た、退治しないの?」
「うん。心底やばそうなの以外は。この時期、全国的に大量発生するはずだから、全てを対処するのはちょっとねー。夜中にちらちら砂嵐画面を表示するくらいの悪戯ならご愛嬌ってとこかな」
この夏、日本全土を巻き込む1大イベントがある。戦後から何十年と日本のお茶の間を支えてきたムードメーカーの引退。彼らがその転落人生を恨まないはずはない。
「皆もアナログテレビ、ぞんざいに扱わない方がいいよ」
その後、長篠家へ帰り着いた冬流と夏茄は、物置に入れられていたアナログテレビを大急ぎで運び出した。長篠家の旧ムードメーカーは、もはや何も映すこと能わぬ身ながら、未だ長篠家の居間に丁重に配置されている。