秋の日の合戦
8月の行事編「敬老の日」。その闘いには勝者などいらぬのだ。

 青空が天を覆う秋の日に、長篠(ながしの)家の面々は気龍寺(きりゅうじ)の墓地に顔を出していた。長篠家の墓と彫られた石碑の前で目を瞑り祈る。
 線香の煙が天高くにある平和の国に届くまで、長く長く瞑目した。
 そうして――
「さて、ではお供えものを食べるか。夏茄(かな)は何がいい?」
 父、秋良(あきら)が尋ねると、1人娘の夏茄はきょろきょろと供えられている食べ物を探る。
「じゃあ、そこのチョコがいい」
「俺も俺も!」
 夏茄の言葉に続いたのは29歳児としばしば揶揄される冬流(とうる)。夏茄の叔父である。
「ん? チョコは1つしかないぞ」
 秋良が無情な事実を口にした。
 冬流はニヤリと笑み、両の手をクロスさせて勝利をもたらす武器を予知し始めた。
「よぉし! 夏茄、じゃんけんだ!」
「いいよ。私、そっちの甘納豆にするから。お母さん、取って」
 しかし、勢い込んだ冬流を、夏茄はするっと流す。
 がくりと肩を落とし、冬流はチョコをむさぼり食う。
「くすくす。夏茄に構ってもらえなくて残念ね、冬流ちゃん」
 夏茄へ甘納豆を手渡しつつ、夏茄の母、春風(はるか)が言った。
 声をかけられた冬流は、墓地に向き直り泣き真似をしながら天国の父母に報告をする。
「父ちゃん、母ちゃん。最近夏茄が可愛くねぇんだ。恐ろしい姿で夢枕に立ってやってくれ」
「ちょっ、やめてよ! いくらお祖父ちゃん、お祖母ちゃんでも、恐ろしい姿でこられたらイヤ!」
 墓前でギャーギャーと騒ぐ叔父と姪。
 彼らを瞳に映しつつ、秋良は申し訳なさそうに微笑を浮かべる。
「本当ならば春風の実家にも墓参りしたいとこなのだが……」
「あら。うちは遠いからいいわよ。ここでまとめて敬っちゃえばいいでしょ?」
 まとめていいものなのか、と苦笑し、しかし、秋良はもう1度手を合わせる。長篠家同様に早世した妻の父母を想って。

 本日9/19が敬老の日とは言っても、長篠家に関わる者で老人と呼べる人物は1人も居なかった。積極的に探せば遠縁に1人や2人居るのやもしれないが、そこまで遠縁の者をわざわざ訪れて…というのは如何なものかという意見は大いにある。
 というわけで彼らは墓参りをして、健在であれば老人であっただろう者たちを毎年この日に敬っているのである。
 そして――
「ウィンのドッグフードも買ってこーよ」
「春野のババアにもそれでいんじゃね? あいつ口うるせぇし、躾できてねぇ犬みてぇじゃん」
 お隣の春野ハナさんという70歳のお婆さんへのお土産を選びつつ、夏茄と冬流が言った。
 親族を敬えない分、身寄りのないお隣のご老人を敬おうというのが毎年のことなのである。ハナもグチグチと口うるさくいいながらも、彼らの行為を喜んでいるとか。
「こら、冬流。口が悪いぞ。まったく。ハナさんに1番懐いているのはお前だろうに」
「ばっ! 別に懐いてねぇよ! 人聞きの悪ぃこと言うなよな、兄ちゃん!」
 人聞きは別に悪くないだろう、と呆れつつ、秋良は小さく嘆息した。
「ハナさんには緑茶セットにして、ウィンちゃんには――夏茄選んで」
「うん。ウィンはいつもこの銘柄だよ。『待て』でずっと待たせたあとに『よし』って言った時のあの嬉しそうな顔が可愛いの」
 うっとりとした表情を浮かべる夏茄。
 父母は苦笑するのみだが――
「動物好きもいきすぎるとキモイぞ」
 無情な叔父の言葉。
 パシィン!
 姪御の鋭い平手がきらめき、店内に小気味のいい音を響かせた。

「ふん。性懲りもなく来たのかい? まったく、迷惑な連中だよ」
 引き戸を開けて長篠家の面々を見渡してから、腰の曲がった老婆が言った。名を春野ハナという。
「こんにちは、ハナさん。何かご入り用でしたらお申し付け下さい。普段お世話になってますので、何でもさせて頂きますよ」
 にこりと微笑み、秋良が言った。
 その隣では冬流が舌打ちしている。
 両極端な兄妹を瞳に映し、ハナは煙たげに顔をしかめた。
「ふん。敬老の日、ねぇ。わたしゃあ、まだ70歳。老人と呼ばれるのは我慢ならんねぇ」
「けっ。充分ババアじゃねぇか。可愛くねぇの」
 ぎろっ!
 減らず口をたたく冬流を、ハナは睨み付ける。
「おぉ、怖ぇ怖ぇ。まるで山姥――ぐおっ! な、なにすんだ、夏茄」
「うっさい」
 なおも暴言を吐こうとする叔父を、姪が脇腹をこづいて止めた。
 その間に、にこりと母が微笑む。
「ハナさんを老人扱いしたいわけではないんですのよ。ただ私どもは夫婦揃って父母を亡くしておりますので、近しい者に敬意を払う機会を失していまして…… よろしければ私どものために奉仕させて下さると嬉しいのですが」
 にこにこ。
 絶えない微笑みを、ハナはつまらなそうな表情で見つめる。そうして十数秒が過ぎ、ついにハナが諦めたように息をついた。
「毎年毎年、物好きな連中さね。いいよ。お上がり。ちょうど窓の上の方が汚れていて気になっていたんだ。チビの冬流はともかく、秋良ちゃんになら届くだろ」
「だあぁれがチビだババア!!」
 ハナに詰め寄る冬流。
「はんっ。どっからどう見てもチビ助さね。あんたが役に立つことなぞ今生ではないに決まっとる。もう帰りな」
「誰が帰るか! 吠え面かかしてやるっ!!」
 勢いよく腕まくりする冬流。そうしてから物置へ向かう。バケツとぞうきんをとりにいったようだ。
(さすがハナお婆ちゃん。叔父さんのコントロールが上手い。……叔父さんが単純すぎるという意見もなきにしもあらずだけど)
 叔父を見送りながら、夏茄は嘆息する。そうしてから、手に提げていたビニールの袋を胸に抱く。その中にはドッグフードが入っていた。
「ハナお婆ちゃん。私はウィンの世話するね。散歩行ってきていい?」
「おお。ええぞ。夏茄ちゃんはウィンが好きだのう」
 冬流に対する時とは違い、優しい笑みを携えるハナ。よその家の者たちとはいえ、息子世代よりは孫世代の方が可愛いらしい。
「うん。小さい頃から遊んでるんだもん。弟みたいで可愛いんだ」
 そう答えて外へ向かう夏茄。
 その後ろ姿を瞳に入れ、ハナは楽しそうに笑っていた。
「可愛いねぇ」
「うちでは犬を飼う余裕はありませんでしたから、その節は助かりました」
 と、春風。
 彼女の視線を受け、ハナは再び笑みを引っ込め、馬鹿にしたように口元を歪める。
「はっ。何のことさね」
「お義母様がお亡くなりになって夏茄が寂しがってた頃、ウィンちゃんが来てくれてどれだけ救われたか分かりません」
「偶然さ」
 端的に応えるハナ。その手にビニール袋が押しつけられる。
「これ、緑茶セットです。いつもありがとうございます」
「……ふん。安物さね。これだから若いもんは…… 手土産くらい奮発したらどうさね」
 ビニール袋をのぞいた後のにべもない言葉に、秋良が苦笑する。
「申し訳ない。安月給でして」
「冬流の分もあろうな。やくざな職に就きおってからに。儲けとるんと違うんかいね?」
 秋良は苦笑に苦笑を重ねる。
「あいつの本もあまり売れてませんからね。儲けてはいませんよ」
 その応えを聞くと、ハナは我が意を得たりとばかりにニヤリと笑う。
「はっ。まあそうだろうね。あのつまらなさじゃあねぇ」
「おいハナ! 見ろや、この糞ババア! 全部拭いてやったぞ!!」
 と、そこで響く冬流の罵詈雑言。
 ハナは直ぐさま瞳をつり上げ、息を大きく吸い込む。
「やるからにはちゃんとやりなっ! そこの隅が汚れてるよっっ!!」
「どこだよ! 細けぇな! ちょっとくらいいいだろが!!」
「駄目に決まっとろうが!! 減らず口叩かんと、さっさとやりなっっっ!!!」
 とっとっとっ。
 軽く駆けながら、ハナは冬流の元へ向かう。そして、彼の頭をぽかりと叩いた。
 そうして始まる悪態合戦。
「……相変わらず仲が良いわねぇ」
「……ハナさんは父さんに似てるとこがあるからな。冬流が懐くのも分かるよ」
 とはいえ、ああも悪態ばかり叫ぶのは如何なものだろう。
「だああぁあ! うぜえ! とっとと死ねや糞ババア!!」
「残念だったね! あたしゃ200まで生きるんだよ!!」
「妖怪かっっ!!」
 秋の空に響く応酬。夫婦は苦笑し、それぞれ働き始めた。
 妻は掃除機を抱え、家中を清らかにしようと気合いを入れる。
 夫は鎌を手に庭へ出て、雑草を切り裂きにかかる。
 そして娘は――
「さ、ウィン。散歩いこーねー」
 満面の笑みを浮かべながら手綱を手にとる。家の中の騒ぎなどどこ吹く風だ。
 そして最後に、騒ぎの中心たる叔父はというと……
「どうだ! これで文句ねぇか、ハナ!!」
「馬鹿お言いでないよ! そっちも汚れとろうが! 言われたことしか出来ないのかい!! この唐変木っっ!!」
「あ゛あ゛!? ならこれでどうだああぁあっっ!!」
 ごしごしごしごしごしごしごしごし!!
 元気に拭き掃除をしていた。
 楽しそうで何よりな秋の日の午後であった。

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