晴れ渡る寒空の下、小丘の上にある稲荷神社へ続く石段を前にしている影が4つ。
3つは天ヶ原(あまがはら)女子中学の学生のもので、長篠夏茄(ながしのかな)、深咲桜莉(みさきおうり)、黒輝雪歌(くろきせつか)の影である。初詣にやって来たようだ。
そして、残り1つは長篠夏茄の叔父長篠冬流(とうる)の影だ。児童文学作家である彼は、彼のファンである雪歌の要望で、夏茄についてやって来たのだ。
「冬流さん。明けましておめでとうございますっ!」
深々と頭を下げる着物姿の雪歌を瞳に入れ、冬流はにこりと感じよく微笑んだ。
「明けましておめでとう。雪歌ちゃん。今年も、夏茄共々よろしく頼むよ」
「は、はい! よろしくお願いします! あ、その、今日はわたしの我儘でお呼びしてすみませんでした」
「気にしないでくれ。呼んでくれて嬉しいよ」
「は、はいっ!」
仲良く話している作家と読者から少し離れ、桜莉が憮然とした表情をしていた。
「あたしには挨拶なしか?」
「桜莉。叔父さんに挨拶されて嬉しい?」
「いや。きもい」
「じゃあ、いいじゃん」
夏茄の言うとおりなのではあるが……
「それでもあからさまに無視されるとムカつく」
「わからなくもないけどね」
苦笑しつつ、夏茄は雪歌の元へ向かい、彼女の手を引く。
「ほら、雪歌。叔父さんも。さっさと上いこ。ここで黙ってても寒いし」
「あ、そだね」
雪歌が反応を示し、夏茄と共に石段に足をかける。
桜莉もそれに続き――
「桜莉」
「は? 何よ馬鹿作家」
呼び止められた桜莉は、鬱陶しそうに尋ねた。
冬流はこめかみに筋を立てつつも、1年の初めくらいはと罵詈雑言を飲み込んだ。
「あけおめ。ことよろ――はなくていいか。よし。義理は果たしたな。上いこう」
「あけましておめでとうございます馬鹿野郎。お前のこれからの1年に呪いあれ」
にっこり。
かっかっかっかっかっ。
双方微笑みつつ、足音高く境内を目指す。幸先の悪い光景に、残りの2名は苦笑した。
ざわざわざわざわざわ。
3箇日も3日目と大詰めではあるが、未だ初詣ラッシュは収まりを見せないらしい。境内には数多の人がいた。
「うっわぁ。3日なら空いてるかと思ったのに、鬱陶しいなぁ」
「確かに。でも、1日の昼よりはマシだね」
夏茄が声をかけると、冬流は頷いた。
「そうだな。1日は石段の下まで列が続いてたからな」
1日にやって来た際には境内へ至るまでに30分は待たされた。夏茄などは諦めて帰ろうとしたが、冬流に強引に留められて寒空の下で震えていた。
そんな記憶を呼び起こし、夏茄はため息をつく。
「冬流に付き合わされて大変だったみたいね。お疲れ」
「分かってくれて嬉しいわ。ま、今日は5分くらいで拝殿まで行けそうだし、お願い事しておみくじ引いてさっさと帰ろう」
「お願い事、何にする?」
拝殿へと続く列に並ぼうとする夏茄、桜莉、雪歌。その後ろに声がかかる。
「お前ら、手水舎(ちょうずや)で身を清めるの忘れてるぞ」
『ちょうずや?』
桜莉、雪歌が訝しげにしている一方で、夏茄は、はあぁあ、と盛大なため息を吐いた。
「参拝の時に身を清める場所らしいよ」
まず夏茄は、疑問符を浮かべている友人に軽く説明した。彼女は1日に叔父と来た際、1度同じように注意を受けたため知っていた。
続けて、面倒臭そうな瞳を叔父へ向ける。
「てか叔父さん、今日もやるの? 面倒だからいいじゃん」
「礼儀は大事だぞ。俺はお前を礼儀知らずな子に育てた覚えはない」
胸を張って言う冬流。
夏茄は嘆息した。
一方で、友人2名はそれぞれ両極端な反応をしている。
「さすが冬流さんです!」
尊敬の眼差しを向ける雪歌。
「めんどくさい奴」
鬱陶しそうな瞳を向ける桜莉。
結局4名は、他の参拝客の視線を浴びつつ、柄杓を手に作法を通したのだった。
列に並んで数分。4名はついに拝殿へたどり着いた。
「さて、いよいよか。お前ら、まずは賽銭を入れて鈴を鳴らすぞ」
「はい!」
『はいはい』
冬流の言葉に、1名は素直に返事をし、2名は気もそぞろに返事をした。
ちゃりん。からんからん。
小気味のいい音が響く。
「続いて深く2礼」
ぺこり。ぺこり。
「2度、柏手」
ぱんっ。ぱんっ。
『…………………………………………………』
それぞれで願いを胸に祈る。
「最後に深く1礼」
ぺこり。
揃って礼をし、彼らはさっとその場をどいた。次の参拝客に場所を譲る。
そして、トコトコとおみくじを引きに向かった。
「よっし。1日は凶と末吉だったからな。今日こそは大吉だ」
「凶って逆に珍しいわね。流石というか何というか」
桜莉が馬鹿にした笑みを浮かべた。
冬流は瞳を吊り上げる。
「るせぇよ。ったく」
「あら。長篠くん。またいらしたんですね。今日は女の子がたくさんで、隅に置けませんこと」
おみくじを売っている巫女さんが声をかけてきた。コロコロと可愛らしく笑っている。
天理小凪(てんりこなぎ)という名の冬流の元同級生であり、人で賑わう当稲荷神社を管理している天理家の長女である。
「小凪さん。こんにちは」
「こんにちは、夏茄ちゃん。今日はお友達と初詣ですか?」
「はい。『初』じゃないけど」
苦笑する夏茄に、小凪も苦笑してみせる。
「大変ですね。長篠くんみたいなのが家族だと」
「おい天理。『みたいなの』とはご挨拶だな。つーか兄貴はどうした?」
小凪には1つ上の兄がいる。水仙(すいせん)という名で、冬流とは気が合うのであった。
「長篠くんの愛しの水仙は所用で出かけていますよ。残念でしたね」
「気味わりぃ形容詞つけんなよ。ちっ。いいからおみくじ引かせろ」
「ええ。勿論いいですよ」
くすくすと笑み、木箱を手渡す小凪。
彼女の横顔を見つめつつ、1人の少女は少しばかり気を落とした。
「冬流さん、やっぱりモテるんだ。はあぁあ」
「いや。アレは単にいじられてるだけじゃね?」
「桜莉、正解」
などと女子中学生が口にしている一方で――
「なああああぁあああぁああにいいいいいいいいいいぃいいいぃいっっ!!」
声が響いた。
参拝客の視線が1点に集う。長篠冬流へと。
「ちょ、ちょっと叔父さん。どうしたのさ」
恥ずかしいなーと思いつつ、姪御が尋ねた。
他の者たちも同様に訝しげにしている。
彼らの視線を一身に受け、長篠冬流はがくりと肩を落とし、盛大なため息をついた。
「大凶」
ぶっ。
桜莉が真っ先に噴き出す。
「願望、叶わず」
ぶふっ。
続けて夏茄も噴いた。
「商売、努力せよ」
くすくす。
小凪がおかしそうに微笑んだ。
唯一、雪歌のみが気の毒そうにまなじりを下げている。
「あの、その、あまり気にされない方が…… ちなみに願望って何なんですか?」
人に言えば叶わぬと巷でささやかれてはいるが、既に神に『叶わぬ』と太鼓判を押されている。言っても問題は一切ないだろう。
冬流はゆっくりと口を開いた。
「今週末のエッセイ締切が延びますように」
……………………………
忍び笑いのみが響く時間が過ぎた。
そしてしばらくすると――
「えーと、そのー、良い作品を期待してますね!」
『つーか、努力しろ』
両極端な言葉が投げられた。
後者の言葉を投げた2名がゲラゲラと笑い転げる。
そのような中、巫女はにこりと微笑んだ。
「願いを間違えましたね、長篠くん。そも、神は貴方を助くるものなのです。まずは長篠くんの努力が必要なのですよ。年始の御祈願は『私はこれこれこういうことを努力いたしますのでご助力お願い申し上げます』という宣誓と考えるべきなのです。まあこれは、私の考えですけどね」
神が何もかも叶えてくれるわけもなし。小凪のそれは生産的な助言といえた。
しかし、絶望に打ちひしがれた者に正論など無用の長物だ。
「どちくしょおおおおおおおおおおおおおおおぉおおおおおぉおおおぉおっっ!!」
澄んだ空に雑言が響いた。