大切な貴方たちへ愛を込めて
バレンタイン編。愛しの愛しのあの御方へ精一杯の想いを込めて。

 女学生たちは、昼食を食べ終えると鞄からそれを取り出した。ビニール袋、紙袋、ケーキ箱とそれぞれ外装が異なりはするが、中身は統一されている。すなわち、チヨコレイト。
 もぐもぐ。
 女学生の1人がビニール袋の中身を食し、口を開く。
「夏茄(かな)のは見事に溶かして固めただけね。これなら失敗しようがないとはいえ、ちょっとは工夫しなよ」
「固めた『だけ』じゃないし。ほら、これとか犬型!」
 得意げに茶色い菓子を掲げるのは長篠夏茄(ながしのかな)。天ヶ原女子中学2年1組出席番号25番の少女である。
 彼女の掲げる『犬』を瞳に映して呆れ顔を浮かべるのは深咲桜莉(みさきおうり)。同じく2年1組の出席番号33番である。
「それ、犬? 犬に謝れ」
「な――! こ、これが犬じゃなきゃ何だって言うのよぉ!」
「取り敢えず、地球上には存在し得ない何か」
 鋭い切り返しに、夏茄は歯ぎしりをして桜莉を睨み付ける。しかし、実際のところ彼女の指摘は正しい。夏茄の作成した物体は、どう贔屓目に見ても生物を模した形を成していなかった。
 桜莉は夏茄の視線を受け流しつつ、自身が持ってきた紙袋を開ける。
「『犬』を作るにしても、お店とかで型買いなよ。なんで自分で頑張ろうとするかなぁ。ほら、私なんてクッキー砕いたのを型に入れといて、そこに溶けたチョコを流し込んだだけでこんなに無難なものが出来たし」
「つっまんないの」
 即座の批判、というよりいちゃもん。食べてすらいない。
「……せめて食ってから言え」
「味なんて問題じゃないしー。無難すぎて評価する価値すらないしー」
 お互いにけなし合い、かつ、にらみ合う2人。
 しばしそのように過ごし、そうしてしばらくすると――
「と、不毛な争いはここら辺にして、本題に移ろっか」
「そうね。さて、お嬢さん」
 言うと、桜莉は隣に瞳を向けた。そこには出席番号12番のクラスメート、黒輝雪歌(くろきせつか)がいた。
「なに? 桜莉ちゃん」
 訝しげに尋ねる雪歌。先程までの言い合いから、唐突に自分に話題が向く理由がわからなかった。
 一方、夏茄と桜莉は机に置かれたケーキ箱に瞳を向ける。その中身は、一見するとお店で買っただろう、と思わせる程に綺麗な見た目のチヨコレイト菓子たち。しかし、よくよく目を凝らしてみると、手作り特有の造形の甘さが見え隠れし、とにかく既製品ではないことが窺えた。
『……何でこんなに気合い入れた?』
 ユニゾンで問い詰める2者。
 雪歌は曖昧に笑んで目をそらす。
「え、えっと、そーゆー気分で。あ、夏茄ちゃん。帰りにおうち寄っていい?」
 その問いかけを耳に入れ、夏茄、桜莉は納得した。彼女たちの頭に浮かぶのは、若干29歳という年齢ながら、彼女たちよりも精神年齢が低いだろう、という男性の顔。
 ――私ら、練習台ってわけね

 長篠家の居間には夏茄の叔父、冬流(とうる)だけが居た。父の秋良(あきら)が仕事で居ないのはもとより、母の春風(はるか)もまた買い物で居ないらしい。
「……なぜ桜莉が居る?」
 不機嫌そうな第1声。鋭い瞳を携えた冬流が深咲桜莉の前に立ちはだかった。
「うっさいボケ。つきそいだハゲ」
 桜莉もまた目つき鋭く応じる。
 彼らの仲は数年前より恒常的に悪い。
 しかし、今回は彼らの喧嘩がメインイベントではない。夏茄が直ぐさま止めに入る。
「はいはい。ストップストップ。叔父さん、今日は雪歌がメインゲストなんで、桜莉は居ないものとして」
「その言いようは何気に酷くない?」
 桜莉が文句を入れたが、夏茄はあっさり無視した。彼女の背中を押して隅へと引っ込む。
 そして――
「と、冬流さん!」
「何の用だい? 雪歌ちゃん」
 打って変わって柔らかい物腰の冬流。
 隅の方で桜莉がイラっとした。
 加えて、夏茄はハラハラしていた。この先の結末が、友人が悲しむか、家族が犯罪者になるかの2択なのだからして、彼女が心配するのも当然であった。
「あの……」
 頬を染めて俯く女子中学生。
 成人男性は微笑みを浮かべつつ、首を傾げる。
 そのまましばしの時が流れ――
「これ!」
 すっ。
 ついに雪歌が動いた。鞄から綺麗にラッピングされた箱を取り出し、冬流へ差し出す。
「これを――」
 ぐぐぐっと、居間の片隅から見守っていた夏茄と桜莉が身を乗り出す。
「これを『ルーンカクタスの魔法使い』のムーラン様に!」
 がたんっ。
 突然の物音に、冬流と雪歌が視線を移す。そこには、床に伏す2名の姿があった。
「何やってんだ、お前ら?」
「……あ、いえ。お気になさらず」
 冬流の問いかけに、夏茄は他人行儀に応えた。そうしてから、桜莉とひそひそ話を始める。
「ルーンなんとかの魔法使いって何?」
「確か叔父さんの作品のひとつだったような…… ムーランはたぶん登場人物」
 そう。実のところ、長篠冬流は児童文学作家なのである。筆名を如月睦月(きさらぎむつき)と言った。魔法などを題材とした作品を世に多数出している。
 雪歌は、夏茄や桜莉と知り合うより前から、如月睦月氏の大ファンなのである。
「ありがとな、雪歌ちゃん。住所が龍ヶ崎町の児童から毎年ムーラン宛にチョコが来てたが、やっぱ雪歌ちゃんだったか」
「受け取って頂いてましたか?」
「ああ。まあ、ムーランに食って貰うことは不可能だが、俺の方で大事に食わせて貰ってたよ」
「嬉しいです!」
 本当に嬉しそうに瞳を細め、雪歌が叫んだ。
「……本好きってこういうもんなの? キャラクターにチョコ送るの?」
「私に聞かないでよ」
 はああぁあ。
 何やら疲れを覚え、桜莉と夏茄は盛大にため息をついた。そして、遠い目を窓の外へ向ける。
 それゆえ彼女たちは――
「あ、あの、それで、今年は実は冬流さんにも…… ど、どうぞ」
「ん? ああ、俺にもくれるのか。ありがとな」
 為されたその取引に気づかなかった。
 目的を果たした女子中学生は、満面の笑みを浮かべ、頬を桜色に染める。
 29歳の児童文学作家は、ここまでキャラを好いて貰えるとは作者冥利に尽きるな、などと見当違いな感動にうちひしがれ、胸をいっぱいにしていたのであった。

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