終わりと始まりの日
春分の日編。慈しめや、尊き生命の息吹を。

 長篠(ながしの)家の玄関にて、運動靴の紐を結んでいる少女がいる。彼女の名は長篠夏茄(かな)。14歳。中学2年生である。
「夏茄、どこへ行く?」
「叔父さん」
 居間へ続く扉から顔を出し、夏茄の叔父、長篠冬流(とうる)が尋ねた。彼は29歳という年齢ながら、頭の中はまるで小学生だ、と近所で評判である。
「お隣、春野(はるの)さんち。ウィンと遊びに」
 長篠家のお隣さん、春野家ではウィンという名のパグ犬を飼っている。夏茄はその犬がお気に入りだった。
「駄目だ! ウィンじゃなくて俺と遊べ!」
 そこでわがままを言う叔父。
 夏茄は呆れ顔を浮かべ、それから満面の笑みを浮かべた。
「断る」
 がちゃ。
 言い放ち、彼女は出かけた。

「くっそー。締切がなけりゃなー」
 かちかちかちかち。
 ノートパソコンのキーボードを乱暴に叩きつつ、冬流がぼやいた。
 かた。
 テーブルにマグカップが置かれる。冬流の愛用しているもので、小学生の時に夏茄が修学旅行先の体験学習で作り、冬流へ贈ったものだ。書かれている絵はチワワである。
「はい。どうぞ、冬流ちゃん」
「お、サンキュー。春風(はるか)さん」
 湯気と共に心地良い香りを漂わせるカップを瞳に入れ、冬流が礼を言う。義理の姉、春風は微笑み、どういたしまして、と応える。そうしつつ、ソファに座った。
「でも、珍しいわね。いつもの冬流ちゃんなら締切があろうとなかろうと夏茄を優先するじゃない?」
 確かにそれが常である。しかし、今回ばかりは仕方がなかった。
「実際の締切は6日前だからなぁ。流石にまずいんだ。電話口の弥生(やよい)の声が久しぶりにマジだった」
 弥生とは、シーズン出版の編集者四季(しき)弥生のことである。児童文学作家如月睦月(きさらぎむつき)こと冬流の担当編集者だ。
 くすくす。
「それは大変ねぇ」
 呆れるでもなく、いっそ機嫌良さそうに春風が言った。子供っぽい義理の弟が可愛くて仕方がないようだ。
 わんわんわん!
 外から鳴き声が聞こえた。ウィンのものだ。
 小さく、夏茄の声も聞こえる。
「ウィンめぇ! 俺が遊べないというのに楽しそうにしやがって!」
「あらあら」
 微笑みを浮かべ、春風は立ち上がる。
 そこでふと、居間に置いてある共用のパソコンに瞳を向ける。電源がつきっぱなしであった。
 トコトコ。
 歩み寄り、春風は電源を切ろうとする。
 と、そこで画面にウェブサイトが表示されていることに気づく。ウェブ上で形成されている辞書サイトであった。春分の日についてまとめて記載されている。
「……ああ。なるほど」
「ん? どした、春風さん」
 トコトコ。
 冬流もまたパソコンへ近づく。春風同様に画面を瞳に入れた。
 ………………………
 しばし、黙読する時間が過ぎた。
 そして――
「人間だって生物だぞ! 夏茄!」
 叫ぶ冬流。
「それでウィンちゃんと遊びに行ったのね」
 呟く春風。
 ウェブページには次のように記載されていた。
 祝日法第2条では「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを趣旨としている、と。
 本日は3/20、春分の日。
 いつくしまれた犬は満足そうに走り回り、いつくしまれない人は不満そうにキーボードを叩いた。そんな冬の終わりの春の始まり。

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