家の隙間に妖精はいるか否か
エイプリルフール編。幻想と現実は紙一重。

 ばさっ。
 4月のはじめ。日曜日の朝に長篠秋良(ながしのあきら)は朝刊の1面をめくり、3面の記事に瞳を走らせる。
 その隣をバタバタと騒がしく走り回るのは、長篠冬流(とうる)と長篠夏茄(かな)。秋良の弟と娘である。
「こら。騒がしいぞ、2人とも」
「だって、お父さん! 朝から叔父さんが嘘ばっかり吐くんだもん! 成敗しなきゃ!」
「エイプリルフールなんだ。いいじゃねぇか」
 目を吊り上げて叫ぶ夏茄。
 舌を出して、意地悪く言う冬流。
 14歳の娘はまだしも、29歳の弟はいつもながら大人気ない。秋良は嘆息した。そうしながらも、ふとあることに気付く。
「時に冬流。いつから夏茄に嘘を吐くようになったんだ?」
「へ?」
「んー、小6からじゃないか? 夏茄が桜莉(おうり)と知り合って生意気度がグンと跳ね上がった後からだし」
 秋良の疑問に、夏茄は訝しげに眉を顰め、冬流は考え込んで応えた。
 ちなみに桜莉とは、深咲(みさき)桜莉という夏茄の友人である。小学校の高学年からの付き合いである。
「そうか。4月1日に家に居ることがあまりないから気付かなかったな」
「春風(はるか)さんには一昨年の時点で既に突っ込まれてたぜ。やーい。兄ちゃんだけ仲間外れー」
 とても29歳に見えない反応をする叔父を瞳に入れつつ、夏茄はすぅっと息を吸う。
「ちょっと待った!」
 大音量が居間を駆け抜ける。成人男性2名は言葉を止め、娘もしくは姪を見た。
「叔父さんって、最初っから嘘つき野郎じゃなかったっけ?」
 尋ねられると、秋良と冬流は瞳をパチクリさせる。そうして、ふと苦笑した。
 確かに、夏茄の叔父上の態度は、常に『嘘つき野郎』然としている。実際はどうだとしても。
「まあ、その気持ちはわかるけどな、夏茄。冬流はある日を境に、嘘をあまり吐かなくなっていたんだ」
「ある日?」
 訊き返す夏茄。
 そんな彼女に向けて頷き、秋良は語り出す。

 21世紀になるかどうかという頃合いに、冬流は高校にもいかず、夏茄の世話をしていた。これは夏茄の世話をするのが目的ではなく、元々不登校であった時に、秋良・春風夫妻から夏茄の世話を頼まれたためであった。冬流も当初は面倒だと感じていたものだが、直ぐに夏茄の愛らしさにメロメロになった。
「とーるちゃー。だっこー」
「おーいいぞー。どっか出かけるか?」
「うん。おそといくー」
 元気に応える夏茄を瞳に入れ、冬流は微笑んだ。そして、玄関へと向かう。
「出かけるのかい、冬流、夏茄?」
 尋ねたのは長篠夏樹(なつき)。冬流の母であり、夏茄の祖母である。
「できゃけるのー」
 にぱっと笑い、夏茄が言った。
 夏樹は相好を崩し、夏茄の柔らかな髪を撫ぜる。
「気を付けて行くんだよ。冬流。まだ外は寒いからね。ちゃんと上着をきてくんだよ」
「へいへい。じゃ、着替えるか、夏茄」
「うん!」
 クローゼットのある部屋へ向かい、冬流は女児用の服を漁る。布地が厚めの赤いパーカーを取り出した。
「ほれ。ばんざーい」
「ばんざーい」
 すっとパーカーを着せ、冬流は続けてズボンを漁りだす。しかし、夏茄がそんな彼の裾を引っ張った。
「とーるちゃ。すかーとぉ」
「んー。けど、外寒いぞ」
「すかーと!」
 頑として譲らない様子を瞳に映し、冬流は苦笑しつつ紺色のスカートを取り出す。そして、黒色の女児用レギンスも一緒に取り出した。
「じゃ、これも履け」
「うん」
 にっこりと笑う夏茄。
 小さくても女の子だなぁ、と苦笑する冬流は、ふと顔を上げた。そこにあるのはカレンダーだった。そして、今日の日付は――
「今日はエイプリルフールか」
 何気なく呟くと、夏茄が大きな瞳を瞬かせ、小首を傾げる。
「えいぷりふー」
「エイプリルフール、な。今日は嘘を吐いてもいい日なんだ」
「うそはついちゃだめなんだよ?」
「今日はいいんだって。夏茄も言ってみ」
 断言され、夏茄はうーんと考え込んだ。普段は嘘などつかないため、何を言えばいいのか心底悩んだ。そして――
「とーるちゃのこときらいだよ」
 にぱっ。
 眩い笑顔。
 冬流はがしがしと夏茄の髪を右手で撫ぜ、自然とにやける顔を左腕で隠した。そうして1、2秒、平静を取り戻した顔を姪に向け、嘘を吐き返す。
「知ってるか、夏茄。うちには妖精さんが住んでるんだ」
「よーせーさ?」
「ああ。手の平サイズの人で、虹色に輝く羽が背中にあるんだ。動きがすばやくて滅多に見れないんだが、凄く綺麗なんだぞ」
 子供にはこのくらい夢のある嘘を吐かんとな、と満足そうに頷き、冬流は話をしめた。
 とたとた。
「ん? どうした」
 唐突に物陰を探りだす夏茄を瞳に入れ、冬流が尋ねた。
 すると、夏茄は振り返って満面の笑みを浮かべ、
「よーせーさー、さがしてるのー」
「え゛」
 嘘を吐くこと前提の会話の流れで話したというのに、何の疑いもなく妖精の存在を信じる姪御。その愛くるしさに心を温めながらも、冬流は絶句した。
「よーせーさ。どこー?」
「……下手な嘘つけねぇな」

「とゆーことがあったから、冬流は夏茄に対しては滅多に嘘を吐かなくなってたんだ。あのあと、妖精が本当は居ないと知って夏茄が号泣してからはなおさら……ん? 夏茄はどこに行ったんだ、冬流?」
「顔紅くして逃げたぜ」
 と、冬流。
 弟の顔を目にして、秋良はポリポリと頭を掻いた。
 中学生という微妙なお年頃にとって、幼少時の可愛らしい思い出など責め苦以外の何物でもない。自分たちにも心当たりのある感情を想い、成人男性2名はやれやれと苦笑した。

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