玄関先のシーサイド in SUMMER
海の日編。大きく広い海原に憧れた愚者はソレを創ろうとした。

 照りつける太陽が道行く人々の体を襲う。国民の休日たる本日、龍ヶ崎町民たちは暑さに滅入りながらもそれぞれの目的地を目指した。ある者は図書館へ涼みに、ある者は友人と共に映画へ、ある者は電車を乗り継いで近所の海へ赴く。
 そして、龍ヶ崎町に住まう児童文学作家、永遠の子供、アラサーピーターパンシンドロームの異名を持つ長篠冬流(ながしのとうる)はというと――
「……………なぜだ」
 長篠家の居間で、ソファにどっかと座って不満げに呟いた冬流。
 そのような叔父上殿を瞳に入れて、彼の姪御である長篠夏茄(かな)は呆れた様子でため息を吐いた。読んでいた女性誌をテーブルの上に置き、汗を書いているコップを手に取って麦茶をごくりと飲み下す。そして、口を開いた。
「何が? 叔父さん」
「何で海行けないんだっつってんの!」
 駄々っ子のように叫ぶ29歳を瞳に入れて、夏茄は呆れたように嘆息した。
「あのねぇ。文句言いたいのはこっち。叔父さんが岩瀬(いわせ)先生に『大きな子供』って認識されてるせいで、叔父さんを保護者に設定しての海行きに反対されたんだから」
 本日7/16は、長篠家の家長である秋良(あきら)は仕事、母、春風(はるか)はママ友と約束があった。また、一緒に海へ行く予定だった深咲桜莉(みさきおうり)や黒輝雪歌(くろきせつか)の両親も共に予定があるという。そのため、夏茄の伯父でる冬流を保護者として出かけようとしたのだが……
 ちなみに、岩瀬先生というのは夏茄のクラス、天ヶ原(あまがはら)女子中学校2年1組の担任教師である。名を奈那海(ななみ)といい、冬流とは小中高の同級生だった。
「ちっ。なら文句は岩瀬姉に言えよ。あー、海行きたい海行きたい海行きたーい!」
 ますます駄々っ子のようになる29歳児を横目に、夏茄は女性誌を置いてファッション誌を手に取る。少ないお小遣いではブランド服など到底手が出ないが、ファッション誌にあるのと似たような服を安価な量販店で買い求めるのが彼女のスタイルだ。
 叔父上殿はなおもぐちぐちと言っているが、それがいい具合にバッググラウンドミュージックと化した頃――
「そうだ!!」
「な、何?」
 大きな声に驚いた夏茄は、冬流に訝しげな瞳を向ける。
 すると、冬流はにやりと笑って、夏茄を見る。
 夏茄は非常に嫌な予感がした。

「すっずしーぜーっ!」
 長篠家の玄関先で無邪気にはしゃぐのは、29歳児。ビニールプールに水を入れ、ばしゃばしゃと水着姿で楽しんでいる。太陽光を反射して煌めく水面が、そこはかとなく哀愁を漂わせる。
「……恥ずかしくない?」
「何でだ?」
 本当に不思議そうに尋ねる叔父を目にして、夏茄は何も言えなくなった。何でもない、と呟いて視線をそらす。
 その時、長篠家の前を見知った男女が通った。
「おや、冬流。楽しそうですね」
「長篠くんは今日も犯罪一歩手前ですね」
 和やかな雰囲気を携えた和装の男性は、天理水仙(てんりすいせん)。冬流よりも2歳年上の神職者だ。小丘の上の稲荷神社を管理している天理家長男である。
 その隣、穏やかな笑みを浮かべて辛辣な言葉を口にしたのは、天理小凪(こなぎ)。冬流と同級生の巫女で、天理家の長女である。
「水仙! ……と、天理。天理は帰っていいぞ」
 冬流は露骨に態度を変えて、水仙を小凪を迎える。
 天理家の面々は共にくすくすと忍び笑いをこぼして、口元を押さえた。
「相変わらずですねぇ、冬流」
「そんなに水仙が好きですか?」
 冬流は昔から水仙に懐いていた。神社の息子ということで、神道に造詣が深く、それでいて、冬流のような子供的思考の人物を優しく包み込む度量があった。ファンタジー脳で永遠の子供たる冬流にとって、これほど付き合いやすい人間もいないというものだ。
 炎天下にて会話する3者。その傍らで、夏茄が小さく頭を下げた。
「こんにちは、水仙さん、小凪さん。お久しぶりです」
「こんにちは」
「夏茄ちゃん、こんにちは。夏茄ちゃんは水着にならないの?」
 くすくすと笑いながら問いかける小凪。態度からして冗談なのは間違いないだろう。
「はは。暑いとはいえ、さすがに……」
 曖昧に笑む中学2年生。常識的な反応だった。
 一方で、非常識な厨二がビニールプールで涼みながら兄妹を見やる。
「つか、お前らどこ行くんだ? アラサー兄妹が2人でお出かけっつーのはあんま一般的とはいえねーぞ」
 アラサー男子がビニールプールで遊ぶことこそどうなんだ、という意見はこのさい無視しよう。
 水仙は微笑んで、着物の裾に腕を入れて話す。
「せっかくの海開きですからね。散歩がてら行こうかと」
「長篠くんこそ喜び勇んで海に行きそうですが……」
 天理家面々の言葉に、冬流は頬を膨らませてそっぽを向く。
 その様子を訝しげに見る水仙と小凪。
「あー、ほんとは叔父さんを保護者にして、私と友達2人で海行こうと思ってたんですけど…… 先生に止められちゃって」
「なるほど…… 岩瀬さんね。相変わらず、長篠くんと仲が良いんだから」
 ころころと鈴の音のような笑い声を響かせて、小凪が言った。
(仲良いっていうのかな、アレ)
 以前に、2人が睨み合い、かつ、罵り合う様を目の当たりにした夏茄は、頬にひと筋の汗を流して苦笑する。
 一方で、冬流はばしゃばしゃと水を右足で蹴りつつ、顔に喜色を携えて水仙につめよる。
「つか、海行くなら俺らもつれてけよ! 水仙が保護者なら岩瀬姉も文句ねえだろ!」
 人の迷惑を考えない29歳児である。夏茄はともかく、冬流のお守りは中々に疲れると評判だ。
 しかし、天理家2名は快くうなずく。
「いいですよ。賑やかな方が楽しいですからね」
「そうですね。長篠くんで遊ぶのも久しぶりですし」
「いいいいぃいいいいいよっしゃああああああああああぁあああ!!」
 歓声を上げて拳を振り上げる冬流。
(……え? ていうか、小凪さんちょっと変なこと言わなかった?)
 夏茄の疑問はどこ吹く風で、叔父上殿ははしゃぎまくっている。水仙の肩をしきりに叩き、感謝の意を何度も何度も表明する。
 それでいて――
「海に行けんなら、このさい天理の貧しい水着姿にも我慢してやんよ。つか、29歳で水着とか犯罪だぞ? 犯罪! 夏茄の水着なら国宝級だがな!」
 小凪に対しては凄まじい暴言をのたまった。テンションが上がったことによる軽口であり、悪気はないのだが……
「ちょっと、叔父さ……」
 夏茄が思わず注意しようと口を開いた、その時――
 ばしゃっ。
 冬流の体が突然崩れ落ちた。
「え? 叔父さん?」
「あらあら。熱中症でしょうか?」
 いつの間にやら夏茄の隣に佇んでいた小凪が、にこやかな笑みを携えて言った。
「え? あれ?」
 夏茄の認識では、小凪はつい先ごろまで水仙の隣、ビニールプールを挟んで反対側に居た。しかし今、彼女の隣に、そして、冬流が立っていた真後ろに居る。
 姪御がしきりに首を傾げているなか、小凪はビニールプールでぐったりしている冬流を起こして、夏茄へと笑顔を向ける。
「タオルを持ってきてください。体を吹いてお布団に寝かせましょう」
「あ、えっと、はい!」
 何はともあれ、冬流が倒れたのは事実だ。呼吸は安定しているようであるため、大事には至らないと思われるが、介抱はすべきだろう。
 夏茄は長篠家の玄関扉を開け、三和土に靴を脱ぎ捨てて家の奥へ向かう。
 そのため……
「こら、小凪。暴力はいけませんよ」
「さて。何のことでしょうか? 水仙」
 玄関口で為された天理家の会話は、彼女には聞こえなかった。

 その日、天理家の兄妹と共に、更には友人2人に連絡を取って海へと出かけた長篠夏茄は、帰宅後に意識を取り戻した叔父からぐちぐちと文句を言われた。
 海行きたかったなー、俺も海行きたかったなー、と。
 それゆえ、彼女は改めて、自分の伯父たる長篠冬流が大きな子供である、という評価がなるほど的を射ていることを、心の底から実感したのであった。
「……………はぁ」
 ため息も出るというものだ。

「つーか、俺、なんで寝てたんだっけ?」
 夏は不可思議なことがありますゆえ、皆々様も十分ご注意の上、お過ごしあそばせ。

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