暑夏を生き抜く三噺
人は暑い夜を乗り越えるため、古来よりそうして過ごしてきた。

 控えめな蝉の声が夕刻の名残のように響き渡る夜半に、4名の女子中学生が集っていた。その場所は黒輝(くろき)邸。黒輝財閥当主、黒輝霜寒(そうかん)とその家族が住まう邸宅であり、女子中学生たちがパジャマを着て寝転がっているのは、霜寒の1人娘、黒輝雪歌(せつか)の自室であった。
 部屋にいるのはまず黒輝雪歌当人、そして、友人の長篠夏茄(なかしのかな)、深咲桜莉(みさきおうり)、天笠柑奈(あまがさかんな)の4名である。雪歌、夏茄、桜莉は天ヶ原女子中学の2年生、柑奈は龍ヶ崎中学の2年生だ。
「あはっ。雪歌ちゃんの家でお泊まりなんて久しぶりー」
「そーだね。やっぱり、違う中学校になっちゃうとね」
 雪歌と柑奈は同じ小学校の出身だ。雪歌たちとは違う中学校に通っている柑奈が此度の会合に参加しているのは、そういった過ぎし日の繋がりがあるためでもある。もっとも、それ以外の理由もありはするのだが……
『つか、とっとと始めねぇか?』
 どこからか女子にあるまじき野太い声が発せられた。しかし、雪歌の部屋にその声の主として該当する男の姿はない。ともすれば、心霊現象だろうか……
 おどけた様子で垂らした手を顔の前に持って行き、ひゅーどろどろー、と柑奈がおきまりの効果音を口ずさんだ。
『ったく。誰が幽霊だ。幽霊よりは吸血鬼になりたいね。強そうだし』
「あいかわらず馬鹿だねー。叔父バカ先生ー」
 くすくすと小さな笑みを浮かべて、柑奈は床に転がったノートPCのマイクに声をかける。PCアプリケーションを経由して、知り合いの男性とWEB電話で会話しているのだ。その男性とは――
「てか、叔父さんも物好きというか…… そこまでして怪談話に参加しなくてもいいじゃない」
 そう。男性は夏茄の叔父、長篠冬流(とうる)であった。彼は女子中学生のお泊まり会、兼、怪談大会に直接乗り込むわけにもいかず、仕方なく声だけで参加することにしたのである。そのためにWEB電話のためのアプリケーションをPCにインストールして、電器屋でマイクも購入したというのだからして、本当に物好きである。
『外で肝試しやんなら気兼ねなく参加したんだが、家ん中でパジャマパーティ兼怪談大会じゃあなぁ。こうでもしなきゃ参加できん』
「いや、だからね。参加しない、という選択肢もあるでしょ?」
 夏茄の懸命の言葉もどこへやら、叔父上殿は楽しそうな声で、夏といえば怪談だよな、などとのたまっている。聞く耳を持たない冬流に、姪御はため息をつくより仕方ない。
「怪談、ねぇ。肝試しよりはいいけどさ」
 そう。本日の会合の目的は、怪談だった。天笠柑奈はそういった手合いの事柄に造詣が深い。こうしてここに居るのは語り手を務めるためである。雪歌と柑奈が小学生だった折、真夏には柑奈の活躍によって大いに涼んだものだった。
「ふふふ。夏茄ちゃんは甘いねっ」
 びしぃ!
 勢いよく長篠夏茄を指さして、天笠柑奈は不適な笑みを浮かべた。
「ななな、何が!?」
「肝試しよりも怪談の方が怖くない、とか考えてるなら愚の骨頂。朝だあーさーだーよー、浅知恵の元、だよ!」
 妙な音程と共に紡がれたフレーズ。女子中学生3名は首を傾げる。
「おろ? 分かんない?」
『俺が世代なくらいだぞ。むしろ、なぜお前が知っている』
 と、アラサー男子の御言葉。
 柑奈は、あはは、と明るく笑って、何でだろー、と適当な態度で話を流した。そうしてから、再び夏茄をびしっと指さす。
「ともかく! 柑奈が来たからには、肝試しだろーと怪談だろーと、寝苦しい夜に涼やかな空気をぽんっとお届け! だよ!」
「柑奈ちゃんのテンションで怪談って…… あんま怖くなさそう」
 素直な感想を述べたのは桜莉だった。ぽりぽりと頬をかきつつ、苦笑している。
 しかし、その言葉を部屋の主、黒輝雪歌が否定した。
「そんなこと言ってると痛い目見るよ、桜莉ちゃん。柑奈ちゃんの怪談スキルは天上天下、唯我独尊、渡る世間は鬼ばかり!」
「何かおかしいよ、それ」
 パジャマパーティーという非日常が雪歌を狂わせたのか、何を言っているのかいまいち分からない。桜莉は呆れ顔を貼り付け、ため息をつく。
「とにかく! 冬流さんの準備もオーケー。わたしたちもばっちりパジャマに着替えたし、あとは柑奈ちゃんのお心次第!」
「あいよ、雪歌ちゃん! 柑奈におまかせあれ、だよ!」
 ガシィっと腕を組む雪歌と柑奈。
 騒がしい同小組を横目に、夏茄と桜莉が苦笑する。
『とてもじゃねぇが、怪談のテンションじゃないな……』
 正確な評価が叔父バカ殿より下された。

【見つめる目】
 寝苦しい夜に何度も寝返りを打って、最終的に眠れないと分かるや、天井を見上げて無為に過ごすことはないだろうか?
 これは、そんな風に夏の夜を過ごしていた女子高生の物語。
 その女子高生のことは、仮にA子とする。A子はつい先頃まで彼氏とメールでやりとりをしていたのだが、そろそろ草木も眠る丑三つ時である。流石に眠らなければ明日の登校が辛い、ということでラヴメールを切り上げ、床についたのであった。
 しかし、愛する彼氏とのやりとりに感情が高ぶったのか、めっきり眠気が襲ってこない。A子は無理に眠ることを諦めて、天井の木目を数え始めた。
 1つ。2つ。3つ。4つ。
 十数年住んでいる部屋の天井である。当然、見飽きている。木目の数も今さら数えるまでもない。全部で49個あるはずだ。
 46。47。48。あれ?
(おかしいなぁ。1つ足りない。数え間違えたかな?)
 そのように考えて、A子は再び数え始める。そうして――
 1つ。2つ。3つ。4つ。5つ。
 順調に数え上げていき、30にさしかかろうという頃……
(あれ? 消えた)
 次に数え上げようとしていた木目が、今まさに消え去ってしまったのだ。そんなはずはない。突然に木目が消えるなどあり得ない。
 そう考えて、その消えた木目があった箇所を注視する。
 ぱち。
(え?)
 木目が、瞬きをした。
 ぱち。ぱち。ぱち。ぱち。ぱち。ぱち。ぱち。
 天井中の木目が一斉に瞬きを始める。
「あ…… あ……」
 体中を怖気が走り、声にならない声が絞り出た。喉がもの凄い勢いで渇いていき、咳き込みそうになる。しかし、咳き込んでしまえば彼らに連れて行かれそうな気がする。そんな恐怖を覚えて、彼女は必死で耐えた。
 と、その時。
 ぱち。
 瞬きが止まった。木目はこれまでの彼女の部屋と変わらず、49ある。
(……あれ? 気のせいだったのかな? うん、幽霊とか、そんなの居るわけが、ね。――んんっ)
 コホン。
 ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち。
(―――――ッ)
 次の日の朝、A子が起きると天井からは木目が全て消えていたという。彼らはどこへ行ってしまったのだろうか。

 がくがくがくがくがくがくがくがく。
 床に敷かれた高級布団にくるまって、夏茄は激しく震えていた。
「……暑くないの?」
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおうりいいいぃいぃい……!」
 弱々しい声で友人の名を呼ぶ少女。唇が萎れたナスのように青くなっている。
 布団の中をのぞき込んだ桜莉と雪歌は、はは、と苦笑した。
『ふむ。目々蓮(もくもくれん)か』
「たぶんそーだね。そんな妖怪が実在するのかわかんないけど、話を聞く分にはまず目々蓮が思いつくかな」
 一方で、心霊現象に造形が深いアラサー男子と女子中学生は顎を撫で擦り、訳知り顔で頷いている。
 ざっ。ざっ。ざっ。
「みぎゃあああああああああああああああああぁああああ!!」
 その時、廊下から足音が聞こえてきて、驚いた夏茄が動物のような声を上げた。
 ばたんっ!
「いかがいたしました?! 雪歌さん!」
「……あー、うん。別に何でも。怪談話をしてたらちょっとね」
 扉を開けて、お手伝いの女性が顔を見せた。彼女は布団にくるまっている夏茄を見て取ると、苦笑を浮かべてから一礼して去った。
 残された女子中学生たちは同じく苦笑し、
「柑奈ちゃん。ちょっとレベル下げて」
「おっけ」
 ビビリの長篠家長女に合わせて、怪談の質を下げることにした。

【猫の手も借りたい】
 あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。彼らは夫婦で小売業を営んでいましたが、不況のあおりを食らって廃業一歩手前まで追い込まれていました。
 そんな折、夫婦は知人の男性から招き猫を貰いました。その招き猫は、知人の家の倉庫に2年ほど前から置かれていたものらしいのですが、出自がはっきりしません。遠く江戸時代の作で本当に御利益があるとも、つい数年前に作られた只の置物だとも言われていました。
 しかし、病は気からと申すものです。夫婦は招き猫を信じて店の中央に祀り置き、昼夜を問わず祈りを捧げつつ、元気に働きました。
 するとどうでしょう! 店はようよう繁盛しだして、夫婦はめまぐるしく忙しくなっていきました。こうなってくると猫の手も借りたいくらいです。彼らは忙しさに目を回しながら、そのように冗談を言い合いました。
 数日後、奇妙なことが起きました。おじさんもおばさんも覚えが無いのですが、商品がいつの間にか売れていたのです。日用雑貨が数点、棚から無くなっており、それでいて売り上げに不足はありません。
「おかしいのぉ」
「そうですねぇ」
 首をひねる2人でしたが、盗まれたなど、損が出たわけでもないため、あまり気にしないことにしました。
 しかし、そのようなことが数日間続くと流石に気味が悪くなってきます。
 夫婦は上がっていた収益からいくらか出して、監視カメラを買うことにしました。安いものであればそれほど手痛い出費でもありません。何より、このまま続けていては何かよくないことが起こらないとも限らないのですから。
 また一日が終わり、やはり収益の中にはおじいさんにもおばあさんにも覚えの無いものがありました。
「よし、ばあさんや。カメラをちぇっくじゃ」
「はい。おじいさん」
 ジー。
 定点カメラがじっと店内を見つめています。時折客が姿を見せて、陳列されている商品を眺めていました。おじいさんやおばあさん自身も幾度か姿を見せます。特に変わった点はありません。
 大枚をはたいたというのに手がかり無しか、とおじいさん、おばあさんが諦めかけたその時――
「おい。この小僧っ子、万引きしようとしとらんか?」
「まあ、本当っ!」
 辺りをキョロキョロと見回して、ようよう商品をポケットに入れようとする男が居ました。男は素早く品を隠して、とっとと店を出ようとします。
 ずんっ。
 と、その時、重苦しい音が響きました。すると、とつぜん少年が現れて万引き犯を押さえつけたのです。少年は犯人の懐から財布を取り出して、何枚かのお札を抜き取りました。そうしてから、レジを開けて小銭を取り出し、男の財布に入れています。律儀にも精算をしているようです。
「だ、誰じゃ? いつの間に?」
 おじいさんが戸惑うのも当然でしょう。少年は先程まで、影も形も存在していなかったのですから。
 しかし、おばあさんは少し心当たりがありました。というのも、彼女は少年が現れる直前の変化に気づいていたのです。おばあさんの顔に浮かぶのは恐怖ではありません。喜びです。
「あの子ですよ。私たちの可愛い可愛い守り神」
 涙ぐみながらお婆さんが言いました。
 そう。少年の正体は、あの招き猫だったのです。確かに、定点カメラの左隅に見えるはずの招き猫の体が消えています。彼はおじいさん、おばあさんの、猫の手も借りたい、という言葉を真に受けて行動していたのです。大事に祀ってくれる老夫婦のためになりたくて、彼は一生懸命働いていたのです。
 カメラの中で少年は万引き犯を離して、カメラの左隅へと戻っていきます。彼の頭には律儀に猫の耳が、おしりには尻尾が生えていました。
「まにあっくじゃのう」
「くすくす」
 相好を崩して笑い合う老夫婦。彼らの幸せ満つる声音に隠れて、店じまいした暗がりから、にゃー、という可愛らしい鳴き声が聞こえてきましたとさ。

 話し終えた柑奈は、にぱっと笑って夏茄の手を握った。
「これならどう?」
「ふわあああああぁああ! うちにも招き猫欲しい! 叔父さん、買おう!」
 先程の恐慌っぷりから一転、姪御は興奮した様子で騒ぎ立てた。長篠夏茄は動物が異常なほどに好きだ。それゆえ、多少の心霊現象には目をつぶったのだろう。まあ実際問題として、先の話が怖いかというと、全く怖くないというのが一般的な意見かと思うが。
『ったく、うちに何を招くっつーんだよ…… なあ、これは付喪神か?』
 ぴくっ。
「うん。たぶんそーだろーね。おじいさんとおばあさんに大事にされて嬉しかったんじゃないかな。どう考えても荒魂じゃなくて和魂だし、退治はしてないってさ。今も龍ヶ崎町のとある商店に実在しておりまーす」
 怪談話の現状をおどけて紹介した柑奈は、ふと異変に気づく。
「あれ? 夏茄ちゃんは?」
「えっと…… あそこ」
 首を傾げた柑奈の肩を叩いて、桜莉が部屋の隅を指さす。
 そこでは、またもや布団にくるまって震えている少女がいた。
「あれ? どしたの?」
「えーと、たぶん『付喪神』って聞いて、前の肝試しを思い出したんじゃないかなぁ?」
 と、雪歌。
 彼女たちは以前、今回と同じメンバーで天ヶ原女子中学校へと肝試しに向かった。そこで、時代の流れと共に無念の結末を迎えた付喪神の叫びを耳にしたのだった。
『うち、まだアナログテレビ飾ってるぜ』
「心の傷、深いんだね」
 なでなで。
 青い顔で布団にくるまっている夏茄を、雪歌が優しく撫でる。
 一方で、さすがの柑奈も呆れ顔で考え込み、うなる。
「うーん。これもダメ? じゃあ、ちょっと毛色を変えよっか…… あんまり柑奈好みの話じゃないんだけど」
 3つ目の怪談を始めた。

【潜むファン】
 とある町に、とある筆名の作家が住んでいた。彼の元には、ひと月ほど前から手紙が届くようになった。熱心な読者からのファンレターであったのだが、好きな台詞を便せんいっぱいに繰り返し繰り返し、隙間無く書き連ねるなど、その内容を気味悪く思った作家は、申し訳なく思いながらも手紙を捨てることにした。
 そしてしばらくすると、手紙は1通から2通、3通、4通、5通とどんどん増えていき、ついには郵便受けがいっぱいになるほど送られてくるようにまでなった。
 郵便受けからゴミ箱へ。機械的に手紙を移動させる日々が過ぎる。気味悪さと申し訳なさと、様々な感情があいまって、作家はどんどんと追い詰められていった。
 しかし、そうして数ヶ月が過ぎたある夏の日。手紙が一切こなくなった。1日、2日、3日、4日、5日。何日経っても手紙がくることはなかった。
 ほっ。
 胸をなで下ろして、作家は郵便受けに近づいていく。これで、ダイレクトメールや請求書など、日常を彩る平和的なものばかりを気にすればよいのだ。ダイレクトメールの鬱陶しさ。請求書が醸し出す危機感。そういった煩わしさの何と美味なことよ。
 カタン。
 受け口に手を入れて奥を探る。今日のところは何も届いていないようだ。
 さわっ。
「うわっ!」
 突然に何かが触れてきて、作家は思わず手を引っ込めた。その感触は紙片類ではなく、例えるならば人の手のような……
 しかし、当然ながら郵便受けの中に人がいるはずがなく、手があるはずもない。
「……気のせいだよな」
 気を取り直して、再度受け口を探る。
 がしッッ!!
「ひいぃ!!」
 今度はしっかりと手を掴まれる。郵便受けの中に何かがいる……!
 某かは手を掴んだままで決して離してくれない。今も強い力で掴んだままだ。
 作家は、郵便受けから離れることもできない。それゆえ、思い切って大胆な試みに出た。
 ……かたっ。
 受け口の隙間から中をのぞき込む。そこにいるモノの正体をつきとめようとしたのだ。
 そして彼が見たのは――
 ぎろりッッ!!
 亀裂のような血管が白目を赤く染めていた。大きな2つの瞳は恨みがましそうに作家を睨んでいる。
『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……………』

 ずさッ!
 低い声でうなる柑奈から遠ざかるように、天ヶ原女子中学の面々が身を引く。全員、恐怖で顔がひきつっていた。
「あれ? どしたの?」
「ちょちょちょい待ち! 怖さレベルを押さえる話はどこに! つか、夏茄じゃなくてもドン引くよ、それ!!」
 桜莉がごもっともな意見を述べた。
 しかし、柑奈は心外だとでも言うように頬を膨らませている。
「ぶー。幽霊とか妖怪がダメなみたいだったから、生き霊の話にしたのにー」
『生き霊?』
 固まって震えていた女子中学生たちが揃って尋ねた。
「そ。これは別に死人の仕業ってわけじゃないの。話中の作家のことが好きで好きで堪らないっていうファンの気持ちが、郵便受けに住み着いちゃったみたい。こういう風に、強い強い気持ちだけが空間を飛び越えて人や物に影響を与えることがあって、本人は生きてるんだけどあたかも幽霊みたいになって出てきちゃうんだ。大きなくくりで『生き霊』って呼ばれるね。大抵は、人と人の仲がこじれた結果生じるモノだよ。正直、どろどろしてて一番お目にかかりたくないかなー」
 苦虫をかみつぶしたような顔を浮かべて、柑奈がひとりごちる。
「生き霊、ね。結局生きてる人間が一番怖いっていうありきたりな結論でオッケー?」
「生き霊だろうと死霊だろうと、怖いものは怖い……」
 桜莉、夏茄がそれぞれ言った。片や、比較的平気な様子。片や、これ以上なく怖がっている。対照的だった。
 そんな中、すっかり静かになった2名がいる。
「にしても、コアなファンってのは危ないわねー。生き霊的な意味で。ん? どうかした、雪歌?」
 声をかけられると、雪歌はパソコンの前に移動した。
「……あの、冬流さん、いえ、如月先生。なんというか、その、えっと」
 歯切れ悪く言いよどむ雪歌。あたかも、愛の告白をするかの如くであった。
 しかし、
「昔の話ですけど、お手紙を一度に3通も出してごめんなさいっ! あと、わたしの生き霊がお宅にお邪魔してたら本っ当にごめんなさいっっ!!」
 口をついて出たのは謝罪の言葉だった。
 雪歌は冬流――児童文学作家如月睦月(きさらぎむつき)の昔からのファンである。今でこそ比較的落ち着いてはいるが、小学校中学年くらいの時期には、先頃口にしたように過剰なファンレターを送っていたし、友人知人に対して迷惑ともいえるような布教活動もしていた。
 その熱心な読者魂が、如月睦月先生の元を訪れていたとしてもおかしくはない。
『……………い、今のとこ大丈夫だが……………』
 長い沈黙ののちに、ネットワークを介して低い声が響いた。多分におびえの色が含まれる低音は、如月先生こと長篠冬流殿のもの。
 彼は世に物語を放つ有名人で、雪歌のようなコアなファンがごく少数ではあってもいる。仮に雪歌の生き霊が現れずとも、彼の元には怪談中にあったような出来事が訪れても何ら不思議が無い。
 そのことに気づき、冬流は独り部屋で怯えていた。
「叔父バカ先生のとこで何か起こったら、柑奈が格安で対処してあげるよ」
 にっこりと微笑む少女。
 ある筋では有名な彼女の名も、ここに集う者たちの間では知れていない。せいぜいが、心霊現象に詳しい一風変わった女子中学生、くらいの評価である。当然ながら頼もしさなど感じない。
 それゆえ、ノートPCを介して繋がっている向こう側では、冬流が深い深いため息を漏らしている。怯え尽くした叔父上殿は、窓を叩く風の音にもびくっと敏感に反応している始末だ。
 そしてそれは、作家先生と同居している家族にとっても同じこと。
 姪御の夏茄は恐怖で歯の根が合わず、がちがちと震えている。青い顔で桜莉にだきつき、桜莉ちゃん、桜莉ちゃん、と昔の呼び方を口にしてすがっている。
 さらには、加害者になりかねない熱心なファンもまた青い顔をして、未だ何も起こしていないくせに、ごめんなさいっごめんなさいっと懸命に頭を下げていた。自分が知らずに生き霊となってしまうかもしれない、というのもまた恐怖を覚えるものなのだろう。泣き出してしまいそうだ。
 一方で、まったくダメージの無い少女たちはというと――
「怪談大会は大成功、なのかな? さすがだね」
「えへ。それほどでも」
 苦々しい笑みと晴れやかな笑みで会話していた。

 暑夏の生ぬるい風が駆け抜けて行く龍ヶ崎の町。その地に佇む邸宅の一室で、少女たちが夏を満喫している。恐慌状態にいるものも、偽りの罪科を背負うものも、友と一緒ならば耐えられよう。
 しかし――
「今日、兄ちゃんと春風さんの部屋で一緒に寝よっかな……」
 独り自室に居た29歳は、そのようなことをごちた。

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