純真無垢は最強の矛
文化の日編。文化は暇な人間が無駄な時間を割いて作り上げる。

「ただいまー」
 ある土曜日の午後、長篠冬流(ながしのとうる)が居間でゴロゴロと寝転んでテレビを観ていると、玄関から帰宅の声が響いた。声の主は冬流の姪、長篠夏茄(かな)である。
 そして、彼女の声に続いて――
『お邪魔しまーす』
 某かの声が響く。声は複数のようである。
「あらあら。夏茄ったらお客さんが来るなら教えてくれればいいのに」
 冬流同様にテレビ番組に興じていた長篠春風(はるか)が苦笑を浮かべて言った。立ち上がってパタパタと玄関へ向かう。
「まあ、いらっしゃい。桜莉ちゃん、雪歌ちゃん」
 どうやら客人は、夏茄の友人である深咲桜莉(みさきおうり)と黒輝雪歌(くろきせつか)のようだ。本日、夏茄は彼女たちと共に映画に出かけていた。客が彼女たち2人であることは道理であるとも言える。
 パタパタ。
 複数の足音が居間へと向かってくる。夏茄、桜莉、雪歌、しばらく経って春風が姿を見せた。
「おかえり、夏茄。雪歌ちゃんもいらっしゃい」
「はい! お邪魔します、冬流さん!」
 出迎えの言葉に、雪歌が元気よくはきはきと応える。彼女は児童文学作家たる冬流の大ファンなのだ。何とも奇特な女子中学生である。
「いつも通りの無視、ありがとうございます。糞作家先生」
 にこりと暴言を吐くのは桜莉だ。彼女は平素から冬流と仲が悪い。
「おー。居たのか、桜莉。気づかなかったぜ」
 いけしゃあしゃあと作家先生がのたまった。それを受けて女子中学生がぎゃあぎゃあと騒ぐが、冬流は耳を塞いで顔を背ける。見ようによっては仲がいい。
「まったく。叔父さんも桜莉もやめてよね。それより叔父さん。締切はいいの?」
 児童文学作家、如月睦月先生は、10月最後の日に編集者殿から原稿を催促されていた。その時の編集担当の態度はとてつもなく切羽詰まっていたと、夏茄は記憶している。
「24日締め切りのやつは今朝の3時に送った。昼過ぎにOKの電話が来たから無罪放免さ」
 それはめでたいと諸手を挙げて喜びたいところだが、残念ながらそうはいかない。
「もう1本、締切過ぎてるのあるんじゃなかったっけ?」
「あっちは締切過ぎてから3日しか経ってねぇからな。弥生もまだ待ってくれるよ」
 甘えた大人である。子供にとって悪い見本でしかない。
「雪歌…… こんな人のファン止めちゃいな」
「おいこら、桜莉」
 紡がれた文句の言葉に、しかし、桜莉は耳を傾けない。雪歌にとつとつと如月睦月(きさらぎむつき)先生の駄目なところを言って聞かせている。その大半は私的な感情の吐露となっていたが……
「もぉ、桜莉ちゃん。冬流さんはそんな駄目な人なんかじゃないよ。そりゃあ、楽しみにしてた本が1ヶ月遅れてがっかりすることはたまにあるけど……」
「うッ」
 敵意丸出しである桜莉嬢よりも、好意に満ちた雪歌嬢の悪気ないひと言の方が作家先生に効果的なダメージを与えうるようである。冬流が呻いて冷や汗をたらした。
「だってさ。大切なファンのためにも机に向かったら? 叔父さん。せっかく『文化の日』なんだし」
「……わ、わかってないな、夏茄」
 姪御の含み笑い混じりの御言葉に、叔父上殿はひと筋の汗を流しつつ言った。
 皆、訝しげに彼を見る。
「どういうこと? 冬流ちゃん」
 既にソファに座ってお茶をすすっていた春風が代表して尋ねた。
 冬流は得意げに右手の人差し指を立てて、にやりと笑う。
「文化とは、暇と無駄から生まれるもんさ。こうして暇を貪って無駄に過ごすことで、文化的な作品を生み出す土台を構築しているんだよ、俺は」
 呆れた言い訳である。夏茄と桜莉はしらけた表情を浮かべ、春風は苦笑して茶をすすっている。
 しかし、唯1人だけ……
「素晴らしいです! さすが冬流さんです! そんな深いお考えがあったなんて!」
 キラキラと瞳を輝かせて叫ぶのは、盲目的なファンである黒輝雪歌嬢だ。この頃は草津の湯でも治せない病を併発してしまっているためか、始末に負えない。
 ぽん。
 冬流の肩を叩いて、夏茄が微笑んだ。
「罪の意識は芽生えませんか? 如月せんせ」
「……うるせ」
 吐き捨てられた言葉は弱々しく、頼りなかった。

 それから数日、さすがに良心が咎めたのか、如月先生の原稿は見事に上梓された。編集担当はほっとひと息つきながらも、平素と違う作家先生のご様子に、寧ろ戸惑いを隠せなかったとか。

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