供すべき価値あるもの
勤労感謝の日編。豊作を感謝して神に供えんとす。

 その日、長篠冬流(ながしのとうる)は朝から書斎の棚を漁っていた。数多く並ぶ書籍の中から、彼自身の今年の著作物のみを抜き出していく。1冊、2冊、3冊。彼、長篠冬流こと、児童文学作家の如月睦月(きさらぎむつき)先生が1年間で世に出した物語は決して多くない。せいぜいが5冊いくかいかないか、といったところだ。それゆえ、書物を探して抜き出す作業は、2分弱程度の時間で終わりを告げる。
「……これで全部だな。さて、居間に持ってくか」
 呟いて、如月先生は抜き出した書物を両手で持つ。紙は存外重いものだ。デスクワークで衰えた筋力を鑑みると、たったの5冊でも辛い。
「っと。これは……ちょいと腰にくるな」
 ギリギリとはいえ、20代という若さの者が発した言葉とは思えなかった。

 ぱら……ぱら……
 居間のソファに座って、冬流は自身の著作を一心不乱に読みふけっていた。その様子は必要以上に真剣で、見る者の瞳に奇異に映った。
「……叔父さん。どうしたの?」
 長篠家長女であり、冬流の姪御でもある長篠夏茄(かな)が遠慮がちに尋ねた。経験上、叔父に問いをぶつけると面倒なことになる可能性が高いのだが、彼の様子があまりにおかしく、無関心を装うのに疲れてしまっていた。
 尋ねられた叔父上殿は、文字の連なりに瞳を落としたまま、口を開く。
「俺の収穫物ってなるとこれだからな。山羊じゃあるめぇし、まさか紙を食べるわけにもいかん。それで読んでるんだよ」
「? ごめん。よくわかんない」
 根が真面目な夏茄は、冬流の言葉を受け、こめかみに手をあてて真剣な表情で考え込んだ。しかし、為された説明をかみ砕いても、彼の言わんとしていることの半分も理解出来なかった。
 冬流は姪御の訝る様子を受けて、やはり書籍に意識を向けたまま、更なる説明を加える。
「新嘗祭(にいなめさい)だ。新穀や新酒を神に供えて、自分でも食べる。そうして天の恵みに感謝する。今日はそういう日だぞ」
「……なめ……? 今日って確か、勤労感謝の日だよね?」
 姪御が首を傾げて、尋ねた。
「勤労感謝の日ってぇのは戦後にできた祝日だ。元々は新嘗祭っつー、さっきも説明したようなことをする日だったのさ。天皇陛下が代表して神に感謝を捧げてたんだけどな、まあ、戦後のゴタゴタで廃止されたらしい。ほれ。宗教的な儀式は色々と、な」
 なるほどと夏茄が小さく頷いた。詳しいことは知らないが、概要レベルのことは学校の授業でも習う。戦後に『神の国日本』が歓迎されないのはなんとなく分かる。
「でもまあ、今の時代、窮屈なこと言いなさんなってなもんで、新嘗祭は実際に天皇陛下がTVの中継なんかでやられてるし、せっかくだからうちでもプチ新嘗祭をやりてえなぁとな」
 何やら暴論が展開されたが、実際問題、新嘗祭自体が禁止されているわけでもなく、TVで皇室の中継をしているのも事実である。なれば、冬流が個人的にプチ新嘗祭をしたところで叱られることも、おそらくはないはずだろう。
(まあ、だからってうちでやる意味はわかんないけど…… 農家でも神社でもないのに…… んで、何をやるのかと言ったら、自分で書いた本を読む、だもんね。ホント、意味分かんない)
 苦笑する夏茄。
 すっ。
 そんな彼女に、1冊の本が差し出された。
(……………まずい)
 夏茄の頬をひと筋の汗が流れた。しかし、まだリカバリー可能だ。そう考えて、姪御は力強く頷いた。
「んじゃ、お前はこれを読――」
「さってと! 夕飯まで宿題やろっ!」
「これを――」
「べんきょー、べんきょー!」
「これ――」
「学生の本分を忘れるべからずと神様も申してまーす。じゃね、叔父さん」
「こ――」
 ばたん!!
 問答無用で閉められた扉。居間から逃げ出した姪御の足音が、階上へと消えていく。
「…………………………読も」
 ぺら……
 哀愁が漂う背中。
 しかし、一部始終を見ていた夏茄の父母であり、冬流の兄である秋良(あきら)と義姉である春風(はるか)は彼を慰めたりしない。弟の妙な行事に巻き込まれるのは、何をおいても御免被りたかった。
 そもそも、神もそのようなものを供されて、さぞや困ることだろうに。
(こうしてファンタジー作品を神様に捧げていれば、そのうち異世界と融合したり、魔法技術が確立したり、魔物が時空の狭間から現れたり、そういう素晴らしいことが起こるに違いないんだ。頑張るぜっ)
 ……本当に本当に、困っていることだろう。神様もとんだ男に絡まれたものである。不遜ながら、ご愁傷様ですと言わずにはいられない。
 びゅう。ガタガタ!
 窓を風が叩く。あたかも、天上の神々がため息をついたかの如くであった。

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