煌びやかに彩られた龍ヶ崎(りゅうがさき)町の繁華街を、男性と少女が行く。一歩間違えば援助交際かと疑われそうな2者であったが、それぞれに名が知れていたため、今のところ通報されることはなかった。
男性の名は長篠冬流(ながしのとうる)。龍ヶ崎町の出身で、児童文学作家として文壇の末席に座している。筆名を如月睦月(きさらぎむつき)といい、当年とって29歳だ。彼は作家としてというよりも寧ろ、29歳にあるまじき子供っぽさを因として有名であった。
少女の名は黒輝雪歌(くろきせつか)。古くから龍ヶ崎町に住まう金満家の娘であり、天ヶ原女子中学校に通う中学2年生である。彼女は如月睦月先生の大ファンであった。町の有力者の娘という知名度は元より、如月先生の希有なファンとして悪目立ちしていた。
「それにしても、夏茄ちゃんも桜莉ちゃんも来られなくて残念ですね」
「ああ。まあ、風邪じゃあ仕方ないがな」
そのように会話しながら、彼らは雑貨屋、ペットショップ、アパレルショップと、ウィンドウショッピングに精を出す。クリスマスイヴの昼間だけあって、店頭の賑わいはいつも以上であった。そのような混雑具合もあってか、冬流と雪歌は長居せずに次から次へと店を変える。
一方、彼らから少し離れて後を追う影が2つあった。それぞれサングラスをかけるなどして、非常に妖しい。影の1つがペットショップで足を止める。
「……こ、こんな風に動物を狭いゲージに閉じ込めて見世物にするのは許せないけど、か、可愛い!」
だらしない顔で子犬や子猫を見つめる少女が居た。
「ちょっと、夏茄(かな)。見失っちゃうでしょ」
潜めた声で文句を紡いだ少女は、深咲桜莉(みさきおうり)である。先の雪歌の言を信じるならば、風邪を引いて家で大人しくしているはずなのだが……
彼女同様に風邪を引いているはずの長篠夏茄は、桜莉ではなく子犬の可愛らしい所作を見つめて笑み、ちっちっちっと舌を鳴らした。
「だいじょぶだよ、桜莉。あの先には本屋さんがあるでしょ。あの2人がそこで止まるのは明白。映画までちょっと時間あるしね」
言って、子犬の隣のゲージに居る子猫を愛でる。当分、この場所から動く気がなさそうだ。
桜莉は深くため息をついて、道の先を見つめる。夏茄の予言通り、本屋に入っていく冬流と雪歌が見えた。
「ふぅ。じゃあ、10分だけね」
「うん!」
輝く笑顔で返事した友人からは、中学生になって身を潜めた、小学生の頃の純粋さが窺えた。
15分後、後ろ髪引かれている夏茄の腕を引いて桜莉が本屋へ赴くと、冬流と雪歌は児童文学の棚で楽しそうに話していた。どうやら、雪歌が流行の児童書について一所懸命に語っているらしい。
「異世界へ迷い込む形のハイファンタジーは人気がありますね。特にこれがよく売れてるみたいです」
そう言って雪歌が手にした本の帯には『MMORPGはついにここまで進化した!』という煽り文が書かれていた。
「このお話では、人がネットゲームの中に入り込めるんです。学校や部活のような日常パートと、ネットゲーム内のファンタジーパートが交互に展開されてて、そこが人気です。自分たちの生活に似通ってるから、身近で想像しやすいんだと思います」
冬流は手渡された本をぺらぺらとめくる。
「へー。設定としては今やありがちだが、人気が出るのは分かるな。現実から異世界へ迷い込む話っつーのは、いつか自分の身にも起こるかも、というドキドキ感が味わえるからな。そもそも、古代から異世界へ迷い込む設定の創作は散見している。不思議の国のアリスとか、日本で言うなら遠野物語に出てくるマヨイガもそうだな。いつの時代でもそういうのは憧れだったんだろう」
腕を組んで頷き、冬流が言った。
「でも、あたしはファンタジーとして独立している世界観の作品が好きです」
瞳を煌めかせて、雪歌が主張した。
「ん。そうかい?」
「はい! 例えば、冬流さんが書くような作品です! 人気がないとか、売れてないとか、そんなのどうだってよくて、あたしは冬流さんの物語が大好きです!」
無邪気に笑って言う一読者は、唐突に何かに気づいて頭を下げた。
「す、すみません。人気がどうとか、売れて……とか…… あう」
縮こまる少女を苦笑して見つめ、作家先生は優しく彼女の頭を撫でる。
「気にしなくていいさ。事実だからね。それより、そろそろ映画の時間じゃないかな」
時刻は14時5分だった。桜莉が前売り券を買っておいたという映画の上映開始時間は、14時15分である。
「え、あ、そうですね。じゃ、じゃあ、移動しましょうか」
「ああ。そうしよう」
言って、彼らはようやく本屋を出て行った。ここに、通算30分は居ただろうか。
夏茄と桜莉は彼らを見送り、顔を見合わせて笑った。
「上手い具合のクリスマスプレゼントになりそうだね」
「そうね。さて、追うわよ」
桜莉の宣言に伴って、彼女たちは物陰に隠れながら、年の差カップルを追った。
映画館の売店でポップコーンとコーラ、オレンジジュースを買っている冬流たちを尻目に、夏茄と桜莉は上映作品の電光掲示板を見上げてため息をついた。
「何でこの映画にしたのさ、桜莉」
「雪歌と冬流が興味持つっつったらこれしかないじゃん」
「そーだけど…… かわりに私の興味が皆無」
「安心して。わたしもよ」
冬流たちと夏茄たちが観ることになる映画は『ぼく、ドラゴン』。児童向けのアニメ映画だった。
「そういえば、この映画のチョイスしたの、桜莉なんだって?」
「はい。桜莉ちゃんは恋愛映画が好きなはずなんですけど…… あ! もしかしたら、こういう作品の良さに気づいてくれたのかも!」
嬉しそうに笑う雪歌。
「ないない」
聞こえるはずもないのに、柱の陰に隠れて小さな声で否定する桜莉。
「今度、冬流さんの本を薦めてみますね!」
「……本気で止めて欲しい」
聞こえてきた善意100%の言葉に、深咲桜莉は真顔で呟いた。心の底から嫌がっていた。
約2時間後、『ぼく、ドラゴン』は子供たちの歓声が響く中、感動のフィナーレを迎えた。スクリーンに流れるスタッフロールを眺めつつ、夏茄と桜莉はぐったりと項垂れる。
「おもしろくない……とは言わないけど、ちょっと興味のベクトルが違いすぎたよ」
「ええ…… っと、雪歌たちは?」
最後列から5列前の真ん中の席をのぞき込む。その席にはまだ、友人たちの頭が見えていた。何やら頬をぬぐっている所作が見える。
「……泣くとこあった?」
「いや。なかったと思うけど……」
苦笑して、夏茄が応えた。そうしつつ、外していたサングラスをかけ直す。
「あ。出てくみたい。追いかけよ、桜莉」
「うん」
桜莉も同じくサングラスをかける。更にはマスクまでつけるのだから、どこからどう見ても立派な不審者だ。警察当局が動かないことを神に祈ろう。
ガヤガヤ。
ざわめきと共に売店があるホールまで戻り、冬流と雪歌はパンフレットやグッズが売られている区画へと入っていった。『ぼく、ドラゴン』をいたく気に入ったようだ。
「パンフレット買うほどか?」
「まあ、好きな人は好きなんじゃない? 叔父さんと雪歌だし、さ」
後を追う2名は、苦笑して売店へ近づく。今はサングラスやマスクのみならず、ウィッグまでもつけている。そうそう見破られる変装ではない。思い切って近づき、2人の会話に耳を傾けてみようと考えたのだ。
「パンフレットがいいかなぁ。グッズがいいかなぁ」
「迷うな…… どっちも出来がいいし」
真剣な表情で買うものを選別している大人と子供。雪歌はともかく、29歳が児童向け映画のグッズを前にして難しい顔をしている様は、異様のひと言だ。
(叔父さんったら、まったく…… あんなのあっても邪魔になるだけじゃない)
(雪歌だって、余計な物をあまり買うなってお父さんに怒られたって聞いてるけどねー)
それぞれ、叔父と友人を心配する少女たち。しかし、その心配は見当違いというものであった。
「……よし。俺は全キャラのストラップにしよう! 夏茄がどのキャラを好きかわからんしな」
「あたしは――このドラゴン腕時計にします。桜莉ちゃん、時計欲しいってこのあいだ言ってたし」
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不審者2名は思わず沈黙した。思わぬ言葉を耳にして、思考が停止してしまったのだ。
『これください』
揃って言った2名は、本当に楽しそうに笑っていた。その笑顔は、自分たちが楽しんでいるからだけではない。大切な人の笑顔を見たいという想いが、彼らの顔に喜びを刻んでいた。
せっかくのクリスマスイヴだからと、夏茄と桜莉は雪歌のために一芝居打った。正直なところ、将来性と年の差を考えると全く賛成できない恋路である。しかし、12月24日というひとときを過ごすことで、友人の顔に笑顔が、心に大切な思い出が刻まれるのならばと、映画のチケットを用意して、4人で遊ぶ段取りを組んだ。そして、当日に夏茄と桜莉はドタキャンして、雪歌と冬流を2人きりにした。
今日という日は雪歌のためにあったのだ。しかし、彼女は他人の幸せを願うという。夏茄が、桜莉が、観たがっていた映画を観られずに残念がっているだろうと、そう心を痛めて、せめてグッズを送り届けて、楽しかった想いをも持ち帰って、彼女たちを楽しませたいと望むというのだ。
クリスマスイヴを彩る優しい想いは、誰もを幸せな気持ちにさせる。
ただ、惜しむらくは……
『悪いけど…… あれ、いらないなぁ』
ただ1点、その1点だけが残念だった。