凄惨な晩餐を今夜迎えん
2012年クリスマス編。大切な友人・隣人たちと過ごす大切な大切な日。

 イエス・キリストの生誕した日、長篠(ながしの)家の面々は龍ヶ崎(りゅうがさき)町郊外の邸宅へと足を向けた。邸宅の主は黒輝霜寒(くろきそうかん)という名の金満家だ。黒輝霜寒の1人娘、雪歌(せつか)の招待を受けて、彼女の同級生である長篠夏茄(かな)と、夏茄の両親、秋良(あきら)、春風(はるか)、そして、叔父の冬流(とうる)はクリスマスパーティーにはせ参じた次第である。
 黒輝邸は長篠家を10棟つなぎ合わせても足りないくらいの広さを誇っていた。そこに、5階建ての豪奢で広大な洋館と、立派な門扉、館へと至る充分な幅の道、道の両脇を彩る優美な庭が在った。どんな不況でも、あるところにはお金があるものらしい。
「おぉ。黒輝さんの家は相変わらず凄いなぁ」
「もっとちゃんと盛装すべきだったかしら?」
 圧倒されている両親を横目に、夏茄が肩をすくめて笑う。
「別に、うちと桜莉んちと雪歌んちだけのパーティーって聞いてるし、そんな必要ないよ。叔父さんを見てみなよ。盛装どころか普段着だよ? それはそれでどうかとも思うけどさ」
 多少なりとも着飾っている秋良、春風、夏茄とは対照的に、冬流はジーパンにパーカーというラフさだ。唯一、上着のダッフルコートがお金の匂いを漂わせているくらいだろうか。
「へ? 別にいいじゃん」
 きょとんとした顔で言い切る29歳。その年齢に応じて、少しくらいは世間体というものを気にするべきではなかろうか。
「夏茄ちゃん! 冬流さん!」
 タタタタタっ!
 館へと続く道を小走りでやってくる少女が見えた。上気した頬を携え、純白のドレスを揺らして駆けてくるその姿は、愛らしいのひと言に尽きる。
「メリークリスマス! ようこそいらっしゃいました!」
 雪歌が言葉の前半を夏茄と冬流へ向けて、後半を秋良と春風へ向けて発した。にこりと微笑む様は、やんごとなき身分のご令嬢のようでもあり、年相応の女子中学生のようでもあった。
「お招きありがとう。雪歌ちゃん。メリークリスマス」
「メリークリスマス。お父さんとお母さんは中?」
 春風が尋ねると、雪歌はこくりと頷いた。
「はい。父と母は、中で桜莉ちゃんのお父さん、お母さんとお話ししてます」
 どうやら長篠家は最後の到着となってしまったらしい。時間よりは早く来たのだが、それでも最後というのは少々きまりが悪い。
「そう。じゃあ、さっそくお邪魔させていただくわね」
「どうぞ。あ、早川(はやかわ)さん、セキュリティーロックをかけ直しておいてください。これでお客様は全員いらしたので」
「かしこまりました。雪歌さん」
 いつの間にやってきたのか、雪歌の隣には女性が1人いた。彼女の姓は早川という。しかし、名はわからない。別に秘密ということもないのだろうが、少なくとも、冬流と夏茄はこれまで何度か顔を合わせているにもかかわらず、知らなかった。
「……あんたって、メイドなのか?」
 謎の多い早川に、冬流が思わず声をかけた。早川の見た目は少女のようでもある。その年齢は高く見積もっても20代前半だろう。それゆえに、冬流は迷わずため口を使った。
「家事手伝いです。旦那様が『メイド』という呼称を嫌われますので」
「そうか。で、その家事手伝いってぇのは、セキュリティーロックまで担当するんか? 家事を手伝うもんじゃねえの?」
 もっともな疑問だった。しかし、早川は眉ひとつ動かさずに淡々と応える。
「これも家事のうちとお思い下さい、長篠様。それでは」
 一礼して、館へと引き返していく。セキュリティーロックとやらは施錠完了したらしい。今、門扉を無理に開けようとしたり、よじ登ろうとしたりしようものならば、セキュリティー会社に連絡が行くか、悪くすればレーザー光線で消し炭になってしまうのかもしれない。
「あとはドーベルマンが欲しいな。贅沢を言うなら、殺人事件という浪漫も…… まあ、この状況で殺人事件は流石にアレだがな」
 物騒なことを呟く児童文学作家殿であった。今春を納期として、中学生向けのライトミステリー執筆依頼が来ているらしい。ここ黒輝邸をモデルに館物を書くのか、はたまた、学園ミステリー物を書くのか。孤島物という選択肢もあるだろうか。
 女子中学生2人が、そのように考え込む29歳の前を並んで歩き、仲良く笑い合っていた。片や馬子にも衣装といった風情であり、片や立派なお嬢様といったご様子だ。
「雪歌っ。メリクリー」
「うん。メリクリ! 風邪はだいじょうぶ?」
「え? あー、うん。だいじょぶだいじょぶ」
 視線を逸らして夏茄が言った。とある事情で、彼女は昨日仮病を使った。それゆえに、心配されるとどこか心が痛んだ。
「そっか、よかった! 桜莉ちゃんも全快したって言ってたよ。映画はまた今度いこ? あたしは2回目でもいいし。冬流さんもどうですか?」
「ん? ああ、俺もいいぞ。『ぼく、ドラゴン』は原作も読んだが、あの映画の監督はわかってたよな。映像化すべきシーンを適切にピックアップしてた。ブルーレイが出たら是非買いたい」
 問いかけに、冬流が楽しそうに応じる。昨日のクリスマスイヴに観た映画は、中々の出来であった。
「あたしも絶対買います! お小遣いためとかなくちゃ!」
 興奮冷めやらぬ様子で言う黒輝財閥ご令嬢と、29歳児の児童文学作家如月睦月(きさらぎむつき)先生。
 その2人に挟まれた14歳女子は、苦笑いを浮かべて生返事をするしかなかった。

「本日はお招きいただきまして、ありがとうございます。黒輝さん。このような立派な集いに参加できるなど、何とも恐縮で――」
「どうか、そう畏まらずに。昼間は取引先の方々とのパーティーで散々社交辞令を交わしておりましたので、このパーティーくらいは気軽に楽しみたいのです。どうぞ、ただの友人として接して下さい」
 燕尾服に袖を通した壮年の男性、黒輝霜寒は微笑んでそう言った。
 彼の言葉を受けて、秋良は苦笑した。そして、緊張を解く。
「ええ、わかりました。それでは一般的な挨拶を――娘がいつもお世話になってます」
「こちらこそ雪歌がお世話になってます」
 保護者同士らしい挨拶を交わし、霜寒は満足そうに相好を崩した。そうしてから、早川が差し出すワイングラスを受け取った。
「さて、挨拶はこのくらいにして、パーティーを始めるとしましょう。如月先生も料理を待ちきれないようだ」
 霜寒の視線の先では、如月先生こと長篠冬流が、ローストチキンを懸命に見つめてよだれをたらしていた。
「……お、叔父さん」
「冬流ちゃんらしいわね」
 頭を抱える夏茄と、その隣で微笑む春風。秋良もまた春風と同じような反応を示している。
 実兄、義姉ともに弟に甘い。
「恥ずかしいやつ」
「こ、こら、桜莉(おうり)」
 容赦ない言葉は、招待されている残りの家族、深咲(みさき)家の長女である深咲桜莉のものだ。黒いドレス姿が幼い容姿に不釣り合いであるが、それなりには似合っていた。
 彼女に軽く注意を促したのは、父である深咲蕗彦(ふきひこ)である。スーツ姿がどこかそらぞらしい。普段は家で主夫業に勤しんでいる彼だからして、ネクタイなど数年ぶりに締めたのだろう。
 そして、彼の隣にはぴしっとしたスーツ姿の深咲蝶華(ちょうか)が居る。こちらは普段から会社勤めをしているバリバリのキャリアウーマンである。その姿には隙が無い。
「それでは皆さん、グラスをお手に」
 カチャカチャ。
 霜寒の言葉を受けて、彼の隣に佇む妻、黒輝氷愛(ひめ)が、娘の雪歌が、そして、長篠家、深咲家の者たちがワイングラスを、あるいは、ジュースの入ったコップを持ち上げた。
「メリークリスマス!」
『メリークリスマス!!!!!』

 黒輝家は適度な賑わいを見せていた。食事を口に運ぶことに精を出す者、どちらかといえばお喋りに興じる者、お酒を酌み交わす者、それぞれであるが、際だって目立つのは食事を貪る者だ。その者の名は長篠冬流という。
「冬流。少しは行儀良くしなさい」
 思わず注意を促す兄、秋良。
 しかし、弟は全く聞く耳を持たない。彼は本日、このパーティーのために昼食を抜いてきた。何とも馬鹿だ。
「美味いぞ、兄ちゃん!」
 注意を完全に無視して叫ぶ弟を目にして、秋良は深く嘆息した。
「ふふ。お気に召していただけたようで何よりだ。お替わりをお持ちしなさい、早川」
「はい。旦那様」
 ゆっくりとした足取りでやってきた霜寒は、慣れた様子で早川に指示を出した。早川は低頭して素早く去って行く。厨房に指示を出しに行ったのだろう。
 霜寒の脇には氷愛が控えていた。彼女の視線は弱冠ながら厳しく、真っ直ぐ冬流へと向かっている。
「時に如月先生」
「先生は止めてくれ。冬流でいいよ」
 ぱしっ。
 畏れを知らずにため口を利く弟を、兄が平手ではたく。『黒輝財閥当主への敬意』はともかくとして、『年上への敬意』くらいは払って欲しいところだった。
 その意図を、兄弟故の以心伝心により汲んだ冬流は、面倒そうにしながらも口調を改めた。
「とにかく、先生は止めてくださいよ。でないと、俺も黒輝様とか呼びますよ」
「ふむ。それは嫌だな。では、冬流くんと呼ばせてもらおうか」
 霜寒の言葉に、冬流はぐっと親指を立てた。そうしてから、皿に盛ったパスタをぱくりとひと口。
「うん。美味い」
 横で秋良が頭を抱えた。弟の将来が心配になった。自由業とはいっても、編集者や先輩作家への礼儀は必要なのだろうに、彼がそのような礼儀を払っているとはとうてい思えない。仕事を干されやしないか、戦々恐々という心持ちだった。
 しかし、霜寒はどちらかというと好印象を持った。彼は立場上、皆に必要以上に畏まれてしまう。冬流のような態度の者は新鮮だった。
「ふむ。中々に面白いお人だね、冬流くんは。雪歌が気に入るのも得心するよ」
「そ、霜寒さん。でも!」
 夫の言葉を耳に入れて、氷愛が何やら不満げに叫んだ。
 彼女の肩を抱き、霜寒は微笑んだ。それとこれとは話が別だ、と小さく口にして、微笑んだ。
「時に冬流くん。昨日は雪歌とデートをしたようだね」
「んあ? デート? いや別にそんなんじゃねぇよ。遊んだだけだぞ――ですよ」
 パリン!
 ワイングラスが割れた。氷愛が手にしていた物だった。通常の力で握っただけでは壊れ得ないはずなのだが、あっさりと砕け散り、床に散乱した。白魚のような夫人の手が傷ついていないのが、せめてもの救いだ。
「あああああ、あな、あなた……! おおおお、おと、おと、めの純情を……!!」
「落ち着きなさい、氷愛。……早川、氷愛に新しいグラスを」
 完全に取り乱している妻を宥めて、霜寒は1歩を踏み出す。人には『落ち着きなさい』などと声をかけている彼であるが、彼自身もまた、先程までの落ち着きがない。
「冬流くん? 君は銃殺と毒殺、どちらが好みなのかな?」
 ぶふぅ!
 横で話を聞いていた秋良が口に含んでいたワインを吹き出した。ついでに、近くに居た蕗彦もまたあんぐりと口を開けている。唯一、蝶華だけが落ち着いた様子で佇んでいた。
 冬流はそのような3者には構わず、料理を口に運びながら考え込む。
「銃殺と毒殺? んー、どっちかというと毒殺かね? 銃殺っつーのはいまいち浪漫が足りん。ちなみに、1番浪漫を感じるのはバラバラ死体だ。まあ、俺の作品では使えんが。さすがに児童相手にバラバラ死体はなぁ」
 そう言って、はっはっはっと笑う冬流。
「いや、お前…… 今の流れでよくもまあ、そんな怖い選択肢を増やせるな」
 思わず呟いたのは秋良だ。その意見に、蕗彦、蝶華の深咲夫妻がコクコクと首肯する。力いっぱい同意してくれた。
 一方で、冬流だけが訝しげに首を傾げている。
「何言ってんだ、兄ちゃん?」

 冬流たちから離れた位置で、夏茄、桜莉、雪歌、そして、春風がお喋りに興じていた。彼女たちの会話は、黒輝夫妻と作家先生の会話とは異なり、非常に平和的である。とてもではないが、それら2つの会話が同じ空間で為されているとは思えない。
「そーいえばさー。初詣、いつ行く?」
「叔父さんは絶対1日に行きたがるし、元日に1回は必ず行くことになるだろーな。桜莉と雪歌も一緒に行く?」
「んー、行きたいけど、あたしは無理だと思う。パパに付き合わされて、色々と挨拶回りに行くことになるはずだから…… すっごく残念だけど」
 本当に残念そうに、雪歌が言った。
 一方で、桜莉は心の底から嫌そうに首を振るう。
「わたし、パス。1日から冬流の顔、見たくない」
 容赦のない御言葉であった。しかし、彼女と冬流の不仲など今さらな事項である。誰も気にしない。
「なら、1日はうちだけで行きましょうか。冬流ちゃん、また大凶とか引くのかしらね、ふふ」
 楽しそうに笑う春風。彼女の義弟はしばしば神がかった引きで凶や大凶のくじを手にする。
 ざわざわ。
 その時、彼女たちは当の冬流たちが居る辺りが騒がしいことに気づく。見ると、ワイングラスが割れたり、黒輝夫妻がわなわなと震えていたりした。妙な光景であった。
「パパとママ、どうしたんだろ? あ、そっか! 冬流さん――如月先生を目の前にして緊張してるんだ! 分かるなぁ。あたしも初めてお目にかかったときはすっごく緊張したもんね!」
 平和的な解釈をした黒輝家の1人娘に対し、他の面々の見解は違った。夏茄も、桜莉も、娘から軽く事情を聞いている春風も、心持ち険しい表情の霜寒と氷愛を目にして現状を瞬時に理解した。
 彼女たちは祈る。十字を切って、普段は見向きもしない神に祈る。今日という日ならば、もっとも御利益があるのは異教の神に違いない。そのように考えて、強く祈る。
 せめて刃傷沙汰にはなりませんように、と。

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