彼の者に失われた栄光を
2012年大晦日編。他者を蔑む気持ちが英傑に陰影を落とす。

「鬼やらい! 鬼やらい!」
 大つごもりに、長篠冬流(ながしのとうる)は大層うるさかった。恐ろしげな仮面を被り、矛と盾を手にして騒いでいる。しかも、よく分からない言の葉を口にしているのだからして、無用な恐怖を人に与える。
 しかし、彼の家族は慣れたものである。多少おかしな言動を冬流が取ったとしても、いつものことだ、のひと言で済ませて平穏な日常を送る。その日も例に漏れず、長篠家は1人を除いて穏やかだった。
「ねえ、お父さん。今年はどっちが勝つと思う?」
「白組なんじゃないか? 去年は紅組だったが、ここ数年は白ばっかりだしな」
「あら、今は女が強い時代でしょ? 寧ろ白の好調こそがまぐれと思うべきじゃない?」
 大掃除を昼間に終えた長篠家の面々は、こたつに入って蜜柑を貪りつつ、紅白歌合戦の勝敗を予想していた。統計という名のインチキに則れば白優位、近年の女尊男卑ともいえる世情に則れば紅優位と言えよう。
「鬼やらい! 鬼やらい!」
 黄金の4つ目を携えた化け物がこたつを強襲した。黒衣に身を包んだ様子は、どこか不吉さを漂わせている。どう贔屓目に見ても、まともではない。
 しかし、子供っぽい29歳の功績により我慢強さを身につけている長篠家の面々は、その程度で目くじらを立てたりしない。
「ははは。冬流は年末も元気だなぁ」
 彼の兄、長篠秋良(あきら)が朗らかに笑んで、言った。
 隣では、秋良の妻、春風(はるか)もまた微笑んでいる。
 一方、春風の向かい側には、笑顔を引きつらせた少女、夏茄(かな)が居た。父母とは異なる、14年という人生経験の少なさが、彼女の堪忍袋の緒に限界を迫らせていた。
「鬼やらい! 鬼やらい!」
 ぷちっ。
「もおおおぉおお!! うるさーいッッ!!」
 ついに、年若い姪御がキレた。
「何なの、叔父さん!! その不気味な仮面がまず鬱陶しいし、オニヤライとか連呼してて五月蠅いし、そのせいで紅白に集中できないし!!」
 もっともな不満だった。
 しかし、反省すべきはずの叔父上殿は、自分こそ不満だとでも言うように肩をすくめて嘆息した。その表情は仮面のせいで窺えない。
「大晦日にやるべきことを、俺はやっている。感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いは無いぞ、夏茄」
「うっさい。そもそも何よ、その格好。なまはげ?」
 目つき鋭く、夏茄が言った。
 ちなみに、秋良と春風は紅白を観覧する作業に戻っている。我関せず。冬流を相手にする際は、しばしば重要になる態度だ。
「そうだな。なまはげも追儺(ついな)の流れを汲む行事だろうな、間違いなく」
「追儺?」
 よせばいいのに、夏茄は合いの手を入れてしまう。
 当然、冬流は調子に乗って語り出す。
「追儺っつーのは、平安初期に中国から渡来したと言われる宮中の行事で、方相氏(ほうそうし)が悪鬼を追い払うんだ。正確を期すなら、侲子(しんし)という役柄の童子を20人引き連れなけりゃいけねぇんだが、まあ、20人も子供を用立てるのは難しいからな。省略だ」
 何やら聞き慣れない単語がたくさん出てきた。しかし、夏茄はいちいち尋ねない。そもそも興味が無い。のちのち興味が湧いたならば、その時にでもインターネットで調べれば良い。
 ゆえに、表面的な事柄、要するに、冬流の扮装のみから判断して、軽く反応を示す。
「ふーん。じゃあ、その4つ目の化け物が悪鬼? 方相氏が居なくない?」
 姪御の言葉に、叔父は深くため息をつく。どこか不機嫌そうだ。
「……何よ?」
「まったく。そんな風に人を見た目で判断するような子に育てた覚えはないぞ、夏茄」
 正確には『人』ではあるまい。
「俺が扮しているのが、方相氏だ。そもそも『鬼やらい』って叫ぶのは方相氏の役割だ。そこを知っていれば誤認しようもない。知識も足りないな」
「……へ? で、でも、どっからどう見ても化け物じゃない?」
 そう。黄金の4つ目で、どこか鬼を思わせる仮面。普通に考えれば、化け物である。
「悪鬼を払うほどの実力を有する者だ。どこか普通ではない点があってもおかしくない。それがたまたま容姿だっただけなんだろう。方相氏のような4つ目に限らず、異形は強い力の象徴なのさ」
 そして、強い力を有する異形――方相氏は畏れられ、いずれ、恐れられた。
「ある時期――鎌倉期から室町期ぐらいか。その時期に、お前が恐れたように、方相氏は恐れの対象となった。悪鬼を祓うはずの方相氏は、祓われる存在に取って代わった。その時代だけを見れば、祓われるべき存在が祓われるだけだが、平安初期からの流れを知れば、その転落人生たるや、なんとも切ない話だぜ」
 どこまでの事情があったのか、それは判ぜない。ただ単に、見た目の恐ろしさから役目を転じただけなのやもしれないが、ひょっとすれば、時代の移ろいと共に蔑まれるようになった異能者たちの哀しい運命を暗喩していたやもしれない。
「方相氏ってのは、人の弱い心が生み出した哀しい存在とも言えるわけだ。そして、そんな哀しい役割の異形に、本来在るべき役割を与えてやろうと、俺は頑張っているのさ」
 言って、冬流は矛と盾を構えた。論旨は立派なようにも感じる。感じるが――
「オッケー。反省した。見た目で判断したのは謝る」
「いい子だ」
「でもね、叔父さん……」
 冬流に頭を撫でられながら、夏茄は瞑目した。方相氏の哀しい運命は理解した。同情もしよう。しかし、だからといって、長篠家に顕れたプチ方相氏にまで同情する必要は、全くない。
「うおおぉおおぉお!! 鬼やらい!! 鬼やらい!!」
「うるさいから本気で黙って! 悪鬼よりたち悪いよ!」
 正義は中学生の姪御にあると言わざるを得まい。

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