天ヶ原小学校5年2組の教室では、休み時間ごとに楽しそうな嬌声が響いた。明日2月14日の話題で興っている。
「鈴音ちゃんは誰にあげるの?」
「えっと…… その…… じゅ、順平くん」
『きゃー!!』
より一層盛り上がる一同。
「順平くんって塾で一緒の、龍小サッカー部エースでしょ? 競争率たかそー」
「でもでも、鈴音ちゃんは男受けよさそーだからいけそーよね!」
「……そ、そうかな?」
真っ赤になっている少女を囲んで、友人たちが口々に見解を述べている。バレンタインデーというお祭りを目一杯たのしんでいる。
そして、その矛先は他へ向いた。
「桜莉ちゃんは?」
声をかけられた深咲桜莉(みさきおうり)は、一瞬だけ面倒そうな顔を見せてから、しかし、直ぐにニッコリと微笑んで言の葉を紡いだ。
「わたしはお父さんだけかな。男の子と接点ないし」
「そっか。桜莉ちゃん、塾とか行ってないもんね。じゃ、友チョコ交換しようよ」
「いいね」
然程の盛り上がりを見せずに、桜莉から話題が移っていく。このような場で目立っても面倒なだけゆえ、桜莉としては願っても無いことだった。
続けて、矛先が変わる。
「じゃー、夏茄ちゃんは?」
「ふえ?」
ぼーっと皆の話を聞いていた長篠夏茄(ながしのかな)は、突然に話を振られて間の抜けた声を上げた。そして、これまでの話題を思い出して、これから話すべき内容を意識して頬を染める。
周りの人間は、おー、と感嘆して、期待のこもった視線を夏茄へと集中した。
「そ、そそそその…… 私は……えっと…… お、桜莉ちゃあん……」
夏茄が困り果てて桜莉の腕を取った。彼女はグループの中でも特に桜莉と仲が良かった。
(わたしに泣きつかれてもなぁ)
心の中でため息をつきつつ、桜莉は夏茄の頭を撫でた。
「そんな緊張することないでしょ? ここでみんなに言うだけなんだからさ。かるーく言っちゃいな」
「う、うん」
桜莉は一人っ子である。こうして夏茄と接していると、妹というのはこういうものかと考えることも多い。勿論、夏茄本人には言えないが。
それはともかくとして、ようやく覚悟を決めたらしい夏茄が、真っ赤な顔をして声にならない声を出している。
ここまで緊張するとなると、よっぽどの相手なのだろう。周りに集まった女子たちは期待に胸を膨らませた。
「その…… 私は…… 私がチョコを上げる相手は……」
ごくっ。
一同、期待と緊張で前屈みになる。
桜莉は桜莉で、妹分とでも呼べる夏茄の意中の相手が気になるようだ。そっぽを向きながらも耳をそばだてている。
そして、ついに情報が開示される時が来た。
「冬流ちゃん!」
…………………………………?
沈黙と共に、皆の頭に疑問符が浮かんだ。
(とーるちゃんって誰? どこ小?)
(え? 分かんない)
(塾にもいないよね?)
(うん。いない……と思う)
伝播する囁き声。
一方で、桜莉だけは戦慄していた。夏茄と比較的親交している彼女だけは、冬流ちゃんが――長篠冬流(ながしのとうる)が何処の誰なのか知っていた。
長篠冬流は、長篠夏茄のれっきとした叔父である。
(……あの子……思ってた以上にやばい……)
そう認識した桜莉は、この日から徹底的に夏茄を教育していった。
日本で婚姻関係を結ぶためには何親等離れていなければいけないのか?
叔父と姪というのは何親等なのか?
そもそも法律というものがないとしても、近親婚というのがどれだけの危険性を秘めているか?
桜莉は図書館などで必死に勉強し、夏茄に教え込んだ。
加えて、夏茄が叔父に対して適度に嫌悪感を抱くように、言葉巧みに誘導したりもした。
その結果――
「あー。バレンタインって面倒臭いなー。毎年毎年、叔父さんがうざいのなんの」
「そこが可愛いんだよっ。夏茄ちゃんのこと大好きなとこが冬流さんのいいとこでしょ」
友人2人が隣で騒いでいる。小学生の時の黄色い歓声とは違う、このくらいのテンションが桜莉の肌には合っている。
「いいとこなんかじゃないでしょ。間違いなく悪いとこだよ」
桜莉はその言葉を聞いて満足そうに頷く。親類縁者など、適度に嫌いで、適度に好きでいるくらいがちょうどいいのだ。
「もぉ。そんなこと言って…… 夏茄ちゃんだって冬流さんのこと大好きなくせに」
夏茄と桜莉の共通の友人、黒輝雪歌(くろきせつか)が含み笑いをした。かく言う彼女は、児童文学作家でもある冬流の大ファンである。それだけでなく、ここ最近は男性としても気になっている節がある。
そんな雪歌は、しばしば夏茄のことをライバル視することがあり、そのような状況を楽しんでいる。
夏茄はさっと頬を桃色に染め、ムキになったように眉をつり上げた。そして、声を荒げる。
「ち、違うもん! 冬流ちゃんのことなんて嫌い――なんでもない」
(……まだちょっとやばいわね。あの子)
彼女の妹分は、まだまだまだまだ手がかかるらしい。