絢爛豪華な零歳児
2013年ひな祭り編。彼は彼女のために罪を犯した。

 龍ヶ崎町(りゅうがさきちょう)にある黒輝邸に、長篠夏茄(ながしのかな)と深咲桜莉(みさきおうり)、黒輝雪歌(くろきせつか)の3名が集っていた。飾られたひな壇に目を向けることもなく、ゲームに興じている。
「あ! ジャンプ! ジャンプだよ、桜莉ちゃん!」
「はいはい。分かってる、分かってる」
 雪歌が焦った声を上げた一方で、桜莉は淡々と応える。手にしているゲーム機のコントローラーをささっと操り、画面の中のキャラクターに跳ぶよう命じる。すると、配管工に従事しているらしいキャラクターは、人間にあるまじき身体能力を駆使して、高々と跳び上がった。
「あ! 駄目、桜莉! 亀さん踏んじゃ駄目よ! もぉ、このゲーム、何で敵が可愛いかな…… こんなの倒しちゃ駄目でしょ!」
 夏茄が見当違いな怒りを顕している。確かに、トコトコと歩いている亀の敵キャラクターは可愛らしいと言えるが、だからと言って、そのようなことで怒られてもゲームクリエイターたちは戸惑うことしか出来まい。
「無茶言うなっつーの。スコア上がんないじゃん」
「あああああああああああああ!」
 無慈悲に亀を屠る友人を瞳に映して、夏茄が叫んだ。悲痛な様子が非常に間抜けである。
 がちゃ。
「雪歌さん。おやつをお持ちしました」
「あ。早川さん、ありがとうございます。ひなあられ、ですか?」
 家事手伝いの早川が持って来たのは、ひなあられと甘酒だった。今日という日を意識したメニューである。
「ええ。ひな祭りですから」
 端的に応えてから、早川は女子中学生たちが背中を向けている人形たちへ視線を向ける。そして、無表情ながらも、どこか呆れたように瞳を細めた。
「……ひな壇、片付けましょうか?」
「い、いや、別に全く興味がないわけではなくてですねっ! 綺麗なお人形は好きなんだけど、何というか、ずっと見てても飽きるっていうか! えっと、ねえ? 桜莉ちゃん?」
 ひな壇は昼前に早川が飾り付けてくれた。黒輝財閥の1人娘に買い与えられたひな壇だけあって、かなりの大きさを有する人形や飾りばかりである。作業は結構な重労働だったことだろう。
 にもかかわらず、ここまで興味を示していないのは流石に悪いかと、世話になっている雪歌としては焦ってしまう。
「わたしは正直、あんまり興味ない――あ! スター取り損ねた……!」
 深咲桜莉――気を遣わない女である。
「えっと…… えっと……」
 雪歌が嫌な汗をかく。
 当の早川は、別に片付けるなら片付けるで気にしはしないのだが、焦っている雪歌が面白いので特にフォローする気がない。無表情で経過を見送る。
 その時、もう1人の中学生女子が口を開く。
「桜莉は何回かうちに来てるから、大きいひな壇は見飽きてるんだよ。でも、流石に雪歌の家の方が豪華だし、私は見てて楽しいよ」
 画面上で可愛らしいキャラクターが殺戮される様に我慢ができなくなったのだろう。夏茄はプラズマテレビに背を向けてひな壇を眺めている。
 早川が彼女の言葉に首を傾げる。
「夏茄さんのご家庭は中流階級の下層にいらっしゃるかと認識しておりましたが、ひな壇だけは奮発されているのですね」
 凄まじく失礼なことをのたまった。
「は、早川さん!」
「あー、いいよいいよ。事実だし」
 黒輝家と比べれば、長篠家も深咲家もまごう事なき貧乏平屋である。訂正する必要も、怒る必要もない。夏茄はひなあられをつまみ、苦笑した。
「実際うちはお金ないわけだけど、叔父さんが馬鹿でしょう?」
「そうですね」
 問いかけに、家事手伝いが真顔で頷く。夏茄の叔父、長篠冬流(ながしのとうる)が馬鹿、というのは訂正する必要など一切ない、世に轟く共通認識である。
「私が産まれたのは、叔父さんが中学3年生の時だったんですけど、昔なじみのお店でこっそりバイトしてたみたいで……」
 なぜに突然、冬流の労働基準法違反について語られ始めたのか、よく分からなかった。
 冬流のファンである雪歌だけが、新たな情報に瞳を輝かせているが、早川は無表情で退屈そうだ。桜莉などは、そのような話にはひな壇以上に興味がないようで、反応を一切示さずにゲームを続けている。
「半年くらいバイトした結果、100万円弱が貯まったらしいんです」
 冬流は実家住まいであり、兄の長篠秋良(ながしのあきら)と義姉の長篠春風(ながしのはるか)は当時から働いていた。加えて、母の長篠夏樹(ながしのなつき)も当時はご存命で、年金が毎月入っていたはずである。
 バイト代から多少の生活費を家に入れていたとしても、無駄遣いさえしなければ6ヶ月で100万円くらいは貯まるだろう。勿論、バイトの身でそこまで貯めるのは、かなりの努力を要するに違いないが……
「もしかして――」
「うん。叔父さん…… それ全部、ひな壇買うのに使ったの」
 ひな壇は高価なものである。お内裏様とおひな様のみの安価なものでも10万、20万は当たり前だ。五人囃子や三人官女などを付けたものであれば30万、50万は必要だろう。
 冬流は学生の身で、その上を行く100万円のひな壇を一括払いで買ったのだ。姪御のために。
「そんな頃から夏茄ちゃんが大好きだったなんて……さすが冬流さん!」
 キラキラと瞳を輝かせて雪歌が叫ぶ。驚異的に盲目的な少女である。しかし、そのような反応は、当然ながら希有である。
「心温めるべきなのか、呆れ果てるべきなのか、いやはや困りますね」
「困らなくていいです。呆れてください」
 珍しく悩ましげにしている早川に、夏茄が適切な助言をした。1歳未満の姪御に100万円のひな壇を買い与える中学生など、ただの変態である。
「まったく…… 馬鹿なんだから」
 呟いた姪御の表情は、9割方あきれかえっていた。しかし、1割弱は嬉しそうだった。

「兄ちゃん。今年こそひな壇は出しっ放しだぞ」
「そうだな、冬流。夏茄にはちゃんと行き遅れて貰わないと――」
 がんッ。ばたり。
 突然倒れ伏す成人男性2名。彼らの背後にはフライパンを構えた主婦が居た。
「まったく…… 馬鹿ねぇ」
 深いため息をついた女性は、質素な居間に似つかわしくないひな壇の飾りを大きな箱に収め始める。無駄に大きいせいで、早めに片付け始めないと大変なのだ。
 長篠家に、大きな大きなため息が響いた。

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