春麗らかな日の祭り
2013年春分の日編。尊く気高き霊魂は日ノ本の民を見守る。

 その日、長篠冬流(ながしのとうる)が五月蠅かった。
「夏茄! 夏茄!」
「……何? 叔父さん。私、これから出かけるんだけど」
 冬流の姪である長篠夏茄(ながしのかな)は、靴紐を結びながら鬱陶しそうに顔を顰める。
 しかし、冬流は気にすることなく手の中の本を差し出した。
「これを読みつつ祭れ!」
「は?」
 意味不明だった。
 彼が差し出したのは古めかしい書籍である。タイトルは『皇代記(こうだいき)』となっていた。察するに、皇族の年代記といったところだろう。
「……自分で読めば?」
 夏茄は、言外に断固拒否の気配を漂わせて尋ねるが、叔父はそのような思いなど察してくれない。もしくは、察したとしても軽く無視する。
「締切があって無理だ!」
 ふんぞり返って偉そうに言った。偉そうにする場面ではない。断じて、ない。
 ちなみに締切とは、出版社から依頼されている短編小説の締切である。冬流は、如月睦月(きさらぎむつき)という筆名で執筆業を営む、文壇の末席だった。
「……祭るって何?」
 じりじりと玄関口へ後退しながら、夏茄が尋ねる。
 よくぞ聞いてくれましたとばかりに冬流が破顔した。
「今日は春季皇霊祭(こうれいさい)! 歴代の天皇陛下を尊び、祭らにゃいかん!」
 100%嫌気、もう逃げ切るしかないさ、と歌う声が聞こえてきそうだった。
 夏茄の叔父上殿は、しばしば左翼かと疑われそうなことを平気で言う。しかし、実際に左翼かと聞かれると、微妙だった。
 冬流が好きなのは天皇家それ自体ではなく、『太陽神の子孫である天皇家』である。29歳という歳の割にどうしようもないファンタジー脳のダメな大人な彼は、神話や魔法など、そういった類のことに並々ならぬ関心がある。天皇や皇族への興味は、それらファンタジー的事項への興味とニアリーイコールと言って良い。
「……ヘーソーナンダー」
 棒読みの相づちを打ちながら、夏茄は更に後退する。今日って『春分の日』じゃないっけ? 『春季皇霊祭』って何ぞ? という疑問は努めて口に出さない。出したが最後、叔父を喜ばせるだけだ。
 じりじり。ぱしっ。
 ドアノブに手がかかる。
「というわけで――」
 プルルルル! プルルルル!
 冬流が満面の笑みを浮かべてずいっと身を乗り出したその時、甲高い音が鳴り響いた。玄関から少し離れた箇所に設置されている電話機の呼び出し音だ。
 いつも電話に出るのは、夏茄の母であり、冬流の義姉でもある長篠春風(ながしのはるか)の役目となっている。手が離せない時以外は、はいはーい、と口にしながらパタパタと忙しく廊下に出てくる。
 今回もその例に漏れず、声と足音が耳朶に届いた。
 しかしながら、自分が対応する必要がないとはいえ、電話機が鳴り響いた時に完全なる無関心を貫く者はそう居ない。冬流もまた例外でなく、ほんの少しだけ意識を背後に向けた。
 その隙が、望まぬ結末を生み出すことになる。
 がちゃ。ばたん。
「いってきまーす」
 素早く扉を開閉し、姪御は無事出かけた。
 そして、置き去りにされた如月睦月先生には――
「はい、長篠です。お待ち下さい。冬流ちゃーん! 弥生さんよ−!」
 担当編集四季弥生(しきやよい)の無慈悲な催促が襲いかかる。
「……………う、うおおおおおおぉおおおお! 皇霊よ、我を助け給ええぇええええぇええ!」
 そんなことを言われても、皆様さぞお困りのことだろう。

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