○○の秋

「白い空、青い雲、そして――」
「……そして?」
 空や雲に明らかにおかしな形容を与えつつ地を見下ろす友人に、美砂子は呆れた表情で訊く。
 友人――絵美はなぜか満面の笑みで、
「つぶれる銀杏!」
 と叫んだ。
 そう。周囲には銀杏の実がつぶれることで生じる異臭が漂っており、道行く人々は気にしないようにしながらも顔を顰めている。
 にもかかわらず、当の絵美は元気一杯嬉しそうなのだから、美砂子が戸惑いの表情を浮かべるのも当然だった。
「それでどうして笑っていられるのかが不思議でしょうがないんだけど……」
 美砂子がげんなりしてそう呟くと、
「食欲の秋なのです!」
 ビシッ!
 一回転してから、美砂子に指をつきつける絵美。
 周囲の人々はそのおかしな様子に注目し、苦笑を浮かべつつ歩を進めている。
 共にいる美砂子は頬を赤らめる。
「恥ずかしいからやめて!」
 言われた絵美は戸惑った顔で首を傾げた。美砂子がなぜ恥ずかしがっているのかわからないという風である。
 そんな絵美を疲れた表情で見詰めながら、美砂子は再び口を開いた。
「食欲の秋はいいんだけどね。銀杏って臭いじゃん」
 一般的意見を口にした美砂子を、絵美は心外だ、というように軽く眉を顰める。
「ちゃんと処理すれば大丈夫だよ。それで、レンジでチンして塩ふるだけでおいしく食べられるんだよ! それがそこら辺に無造作に落ちてるんだよ?」
 やや興奮気味でそう主張し、少し沈黙してから――
「ああ、秋って素晴らしい……」
 と、遠くを見詰めてうっとりする絵美。
 そんな彼女と対照的に、激しく冷めている美砂子。
「栗でもいいんじゃない?」
 適当にそう言ってみると、
「あ、そっちも勿論拾うよ」
 と、ゲンキンに返されてしまい、キリがないか、と思った美砂子は生返事を返して流すことにした。
 タッタッタッ!
「おーす。何だ、楽しそうじゃん」
 そこで、後方から一人の少年が駆けてきた。彼は駆け足の歩調そのままで足踏みし、美砂子たちの歩幅に合わせる。
「雅ぴょん、おっは〜」
「おはよう、雅幸くん」
 二人の少女はその少年――雅幸に挨拶を返し、続けてその内の一人美砂子は先ほどまでの会話の要約を伝える。
「今、絵美が銀杏の匂いフェチだってことが判明したとこなのよ」
 少々意地の悪い脚色が入った要約を聞いた雅幸は、一度絵美の姿をその瞳に映してから足を止めた。そして苦い表情で、
「うわ…… 変態がいる」
「ちょっ! 違っ! 美砂ちゃん、変な冗談止めてよ! 違うからね、雅ぴょん。秋といえばやっぱり食欲の秋だよねって話で、その流れの一環として銀杏っておいしいよねって――」
 慌てて言い訳を始めた絵美を横目で見ながら、美砂子は笑いを押し殺すのに必死だった。その一方で、先ほどの発言は少し悪戯が過ぎたかと反省し、直ぐにフォローに入ることにした。
「くすくす。あ〜、雅幸くん? さっきのは絵美の言うとおり冗談だから、本気にしないでね?」
「わかってるって。俺も冗談だろうと思いつつ悪ノリしてみただけだし」
 懸命に言い訳めいたことを続けていた絵美は、二人のそのやり取りを聞いて、今度は眉を吊り上げる。
「ひっど! いじめだ〜!」
「ごめん、ごめん」
「悪かったよ」
 美砂子と雅幸はごく簡単に謝る。
「それにしても、食欲の秋ねぇ」
 そして、雅幸は続けてそんなことを呟いた。少々考え込んでから――
「俺ならスポーツの秋かな? 朝はトレーニングも兼ねて走って登校。そんでもって、放課後はたっぷり部活」
 さらに、体育もあればなお良し、と言って破顔一笑。
 少女二人は、そんな少年に呆れた視線を向けて一言。
『体力バカだ』
「おい」
 雅幸は憮然とした表情で突っ込む。
 しかし、少女たちは遠慮ない批評をなおも続ける。
「ていうか、マゾなんじゃないかな?」
「え? どゆこと?」
「だって、肉体的疲労に悦びを覚えるんでしょ」
「ああ、そう言われると確かに、まごうことなきマゾヒスト」
「でしょ?」
「変な疑いをかけるなーっ!」
 少女たちのあんまりな物言いに、遂に雅幸が叫んだ。
 憤慨する雅幸に対し、美砂子、絵美はしばらくおかしそうに笑っていたが、絵美が急に美砂子の方に向き直り、
「それで? 美砂ちゃんは、秋といえば何?」
 と訊く。
「え? 私? 何で急に……」
「だって、わたしと雅ぴょんは○○の秋を題材に散々言われたんだから、美砂ちゃんもたっぷり苛めてあげないと不公平かな、と」
「……それを聞いて、私が『そっか、ならしょうがないね。私は秋といえば……』とか答えると思う?」
 美砂子が苦笑いしてそう返すと、絵美は頬を膨らませ、
「答えない場合は、今日の国語の宿題写す権利を剥奪します」
「ええっ!」
 美砂子は焦った声を出す。はなから絵美を当てにしていたため、完全に宿題ノータッチなのだからその焦りも当然だ。
 続いて雅幸も、
「なら俺も、数学の宿題写させないことにしよう」
 と、にやにや笑いながら言った。
 国語の宿題は絵美、そして数学の宿題は雅幸のを移すのが平素である美砂子は本気で焦る。
「ちょっと待ってよ! マジでやばいって! そんな三つ中二つの宿題写せないなんて地獄だから!」
 ちなみに本日ある宿題のうち、残りのひとつは英語。
「なら僕も英語の宿題見せない」
『!!』
 突然聞こえた声に三名が飛び上がる。曲がり角のところで信号待ちをしていた少年が声を発したようだった。
「ひ、仁史! 突然会話に入るなよ。挨拶とか、ワンアクションおけ!」
「ああ、ごめん。おはよう」
 胸を押さえながら文句を言った雅幸に、仁史は淡々と謝り、次いで朝の挨拶を口にした。
「び、びっくりした〜。心臓飛び出るかと思った」
 美砂子は絵美にしがみつき、素直な感想を漏らす。予期しない出来事に弱いらしい。しばらくは動悸を鎮めようとしていたが、先の仁史の言葉を思い出し、違う意味で動悸を激しくする。
「ちょい、仁史くん。宿題の件だけど……」
「ああ。何か話聞いてたら、見せないのが流行ってるみたいだったから乗ってみた」
「乗らなくていいから! 話の筋わかってないのに、適当に乗らないで!」
 やはり淡々と言った仁史に、美砂子は必死に訴える。
「てか、秋といえば何かを言えば全て解決するじゃん」
 と、雅幸のご意見。絵美はそれに同調して頷き、
「そうそう。観念してからかわれちゃいなよ。捕って食われるわけでもなし」
「うっ」
 美砂子はもっともな意見に呻く。
 確かにそうである。ここで少しからかわれるだけで、後は問題なく全ての宿題を写してハッピーになれる。ならば適当に、読書の秋とかありきたりなことを言って、それで事実無根な中傷に耐えればいいだけだ。
 ――覚悟を、決めようかな
 美砂子はそう考えて重い口を開く。
「ど」
「読書かな、僕は。秋といえば読書だ」
 言われたあぁぁぁぁあっ!
 今まさに言おうとしていたことを仁史に言われ、口をぱくぱくさせて固まる美砂子。
 絵美と雅幸は、仁史の方を見やり大きく頷いて納得の表情を浮かべた。
「とし君のは聞くまでもなかったって感じだね」
「ああ。図書委員所属で、その上一ヶ月の読書数が二十冊を下らないこいつが食欲の秋とか言い出したら、驚きすぎて倒れちまうぜ」
 深く頷きあう二人。しかし、淡々としている仁史が相手ではからかいがいがないのか、それ以上は言及しない。直ぐに美砂子に向き直り、彼女が話し出すのを待つ。
 一方美砂子は、他にどんな代表的な秋の名物があっただろうかと、懸命に思考を巡らしていた。しかし、
 ――食欲、読書、スポーツ…… あともうひとつくらい代表的なのがあった気がするけど、思い出せない!
 と、完全に頭の回転空回り。覚悟を決めて適当に捏造することにした。
「れ、恋愛の秋……かな?」
 少しの沈黙。
 最初にその沈黙を破ったのは雅幸だった。
「てっきり残りの芸術の秋が来るかと思って、それ関連でからかうネタを考えてたから意表つかれたな」
 次いで絵美も口を開く。
「わたしも。ていうか、恋愛の秋って初めて聞いた」
 二人の言葉を聞いていた美砂子は、芸術があったかぁ、と一人心の中で悶絶したが、美術の成績がニという身の上でそれを言うのは、例え思い出していたとしても憚られただろうと考え、気にしないことにした。
「で。その恋愛の相手は」
 そこで、やはり淡々と訊いた仁史に、美砂子はぎくりという擬音が聞こえるくらいに緊張して、
「え」
 とだけ言った。そして、
「いや、それは、なんというか」
 と、きょどる。
 他二名はここぞとばかりに、
『相手は?』
 声を揃えて訊いた。
 こういう話の展開になることは予想されて然るべきであったが、苦し紛れに『恋愛の秋』を掲げた美砂子はうまい逃げを用意していなかったのだ。
 しばらく困り続け、その果てに彼女は――
「しょ、ショーン・コネリー?」
 少しの沈黙ぱーとつー。
「爺さんだね」
 まず口を利いたのは仁史。
 続けて絵美が、
「てか、芸能人?」
 最後に雅幸が、
「芸能人が相手って……」
 そして、そこで絵美と雅幸が意地の悪い笑みを浮かべ、
『美砂ちゃん、寂しい〜』
 と、声を揃えて言った。そして、巻き起こる爆笑の渦。すれ違う人々が何事かと振り返るほどである。
 狙い通りにからかえた絵美と雅幸はご満悦。仁史もなごやかな雰囲気に倣って楽しそう。唯一美砂子だけが、予想よりも大きなダメージに顔を赤らめ、
「何とでも言ってよ」
 と、諦めたように苦々しげに呟いた。

「ねぇ〜、美砂ちゃん? コネリーさん宅に行く時は教えてね」
「うるさい!」
 靴置き場まで到達してもなお、にやにや笑いでからかってくる絵美に、美砂子は叫んで返しつつ乱暴に靴を脱ぐ。
 ちなみに男二人は、半歩ほど下がって歩き、被害を受けないようにしている。
「おはよ。って、どうしたの、美砂子。ご機嫌斜め」
 そこで挨拶してきたのはクラスメートの一人。なぜか内履きをしまい、外履きに履き替えている。もうすぐ始業ベルが鳴る時間だ。
「簡単に言うと絵美がむかつくのよ。それよりさ、どこ行くの。もう直ぐチャイム鳴るよ?」
 幾分落ち着きを取り戻した美砂子は、簡単な説明をしてから訊いた。
「あ〜、なんかね。インフルエンザで休み多くて、学級閉鎖だって。そういうのは学校来る前に言って欲しいよね〜。こちとら、遠距離電車通学だって〜のに……って、どしたの? 美砂子」
 つらつら文句を言っていたクラスメートその一は、突然下駄箱に寄りかかって呆然とし出した美砂子に驚く。事情を知っている他の三名は――さすがに絵美も――同情し、なぜか揃って合掌した。

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