その日も彼女は突然話を振られた。
「新聞って悲しいと思いませんか?」
「そうねぇ……………って、はい?」
女はいつもしているように聞き流そうとしたのだが、いつも以上に訳の分からない発言についつい訊き返してしまう。
しまった、と顔を顰めた女には構わず、男はその日の新聞を床に広げる。
がさがさ。
「ここを見て下さい」
そう言って男が指差した先には、ここ数日騒がれている殺人事件の記事が載っていた。
女は、何だ、いつもよりも簡単な話っぽいな、と思いつつ、口を開く。
「つまり、そういう陰惨な事件の記事が多いから、それで悲しいってこと?」
「いえ、違います」
自信満々に言葉を紡いだ女は、男の素早い否定に面食らう。
「え。違うの?」
「ええ、違います」
律儀に再度同じ言葉を返してから、男は先を続ける。
「この記事では例として相応しくないので、こちらの記事を見て下さい」
男の指がスライドし、違う記事の上で止まる。
女は、だったら最初からそっちを指差せよ、と思いながら、そちらに目を向ける。そこには、誰かが誰かに刺殺されたということがごく簡単に書かれていた。
「これが――」
女が、どうしたの? と続ける前に、男が口を開く。
「事件の当事者や遺族にとっては天地がひっくり返るほどの衝撃を覚えた事件でしょうに、新聞ではこのように数行でまとめられてしまいます。場合によっては、その数行すらないことも珍しくないでしょう。それが辛くて……悲しいんです」
眉を顰めて言葉を紡ぐ男を見て、女は、なるほど、と納得し嘆息する。なんともこいつらしい、と思いながら。
「ま、そりゃちょっと納得できないところもあるけどさ。仕方ないでしょ? そういうもんじゃない? 何も、メディアで報じられる、られないが全てってわけでもなし。そこは割り切りどころでしょ?」
「そうですね…… そうですが……」
男は苦笑しつつ言葉を搾り出す。そして、苦悶の表情を浮かべて――
「やはり……悲しいです」
そのように呟いた男を、女は見詰める。呆れたように息を吐きながら、それでも優しさに満ちた微笑を浮かべつつ。
しばらくすると女は、これがこいつの困ったところでもあり、いいところか、と考えながら、彼の背中を二、三度バシンと叩いた。
床につっぷして痛がる男に、女は、バーカ、と一言だけぶつけて、テレビをつけた。
画面では、ある人にとっての『世界』が、二言、三言で報じられていた。