じゅーじゅー。
鬼沙羅(きさら)は、熱した厚底なべに油をひき、ぶつ切りにしたニンジンとじゃがいもを投入した。中火でしばらくいため続け、そろそろ頃合かという時に――
「はい。次は玉ねぎ入れて。そんで、玉ねぎが透き通って見え始めたら、最後にお肉ね」
「はーい」
この部屋の家主、天笠柚紀(あまがさゆずき)の指示に従って、玉ねぎを投入した。再び、数分じゅーじゅーと炒める。
そして、柚紀(ゆずき)の言葉どおりに玉ねぎが透き通り始めたら、豚ばら肉二百グラムを惜しげもなく投入する。
ばちばちっ。
一度、油が盛大にはねるが、そこは鬼ゆえなのか、さして怖じることもなく炒め続ける。鼻歌などが交じっていて、非常に楽しそうだ。
「火、通った?」
「んー。うん! いいみたい!」
笑顔で振り向いた鬼沙羅(きさら)を瞳に入れ、それから、念のために柚紀(ゆずき)自身も鍋の中を覗き込む。まっ黒こげ……ということはなさそうだ。
数週間前の黒こげオムライス事件の時から比べると格段の進歩といえよう。
「オッケー。なら、4カップくらい水入れて。まあ、それほど正確じゃなくてもいいわよ。目分量で」
「目分量ってなにー?」
じゃー。
蛇口をひねって水を出しつつ、少女が尋ねた。
「大雑把でいいってこと。そうそう。そんな感じ」
鬼沙羅(きさら)がカップ4.5くらいの水量を鍋に入れた。
そこまで準備が整うと、柚紀(ゆずき)は買い物袋の中身をガサゴソと漁り始め――
「あった。これこれ」
彼女が取り出したるは、カレールー。
そう。彼女達が作っているのはカレーだった。みんな大好き、カレーライスだ。
「ねえ柚紀(ゆずき)。次は? 次は?」
瞳を輝かせ、鬼沙羅(きさら)が尋ねた。何かやりたくてウズウズしているのが目に見える。
「これを入れてコトコト煮込めばいいのよ。始めは中火で。しばらくしたら弱火にして放置。あとは、たまにおたまでかき混ぜて、一時間くらいしたら完成かしら」
「えー。じゃあ、もうあんまりすることないのー?」
柚紀(ゆずき)の言葉に、鬼沙羅(きさら)が残念そうに顔を曇らせる。
「まあ、これといってはないわね。ご苦労様。鬼沙羅(きさら)もすっかり料理上手ね」
不満顔を浮かべていた鬼沙羅(きさら)だったが、柚紀(ゆずき)の言葉の後半を耳に入れ、すっかり機嫌がよくなった。えへへ、と愛らしく笑いながらカレールーを鍋にいれて、おたまでかき混ぜている。その姿からは彼女が鬼であることなど想像できない。
――鬼。そう。彼女は鬼。邪鬼なのだ。
艶やかな黒髪が印象的な頭部に目を向け、つぶさに観察してみると、当然ながら鬼の特徴ともいえるアレが――
「ん?」
そこで柚紀(ゆずき)は気づく。かなり今更ではあるのだが、気づいた。
「ちょっと、鬼沙――」
「おーい。柚紀(ゆずき)ぃ。鬼沙羅(きさら)ぁ。まだー?」
その時、もうひとりの鬼がやってきた。
ベッドで独り、お昼寝をしていた阿鬼都(あきと)である。彼は鬼沙羅(きさら)の双子の兄でもある。
「あ。お兄ちゃん。もーちょっとだよ」
「……これがカレー。いい匂いのする野菜汁?」
それが、鍋の中身を目にした阿鬼都(あきと)の第一声だった。
カレーの存在を本日初めて知った以上、途中段階ではなるほど野菜汁にしか見えないことだろう。
「まだ途中なの。このカレールーが溶けて、一時間くらい弱火で煮れば完成だって」
ふーん、と相槌をうちつつ、阿鬼都(あきと)は電気ジャーを開ける。その中には、ほかほかご飯が5合ほど炊かれていた。
「じゃあ先にご飯だけ食べていい? お腹すいた」
そう口にして、返事を待つでもなく阿鬼都(あきと)がご飯に手を伸ばそうとした。
そんな彼に、鬼沙羅(きさら)は鋭い瞳を向ける。
「ダメ! 今日はカレーライスなんだから! カレーも一緒! ライスだけなんて絶対ダメ!」
「……はいはい。りょーかいだよ」
このところ料理に対して真摯で熱心な妹を瞳に入れ、対抗するだけ無駄だと悟った兄は素直に引き下がる。お腹をさすりつつ、あと1時間かぁ、とごちた。
柚紀(ゆずき)は、項垂れている彼の頭にもまた視線を送る。そこにもやはり、あるはずのアレはなかった。
先ほどは尋ねようとした矢先に遮られたが、今度こそ――
「ねえ。二人とも」
『なあに?』
ごくりと唾を飲み込み、喉を湿らす柚紀(ゆずき)。
そしていよいよ…
「――なんで頭に角ないの?」
訊いた。
双子はきょとんとした瞳を携え、互いに顔を見合わせる。そうしてから、声を揃えてのたまった。
『なんで角なんて生えてないといけないの?』
……………………………………
数秒間の沈黙ののち、柚紀(ゆずき)が折れた。
「そうね。角なんて別になくてもいいわよね。ごめん。変なこと訊いた」
「? 変な柚紀(ゆずき)」
「ホントだねー」
常識というものは、しばしば裏切られるものらしい。