第2章 流れを汲む者
異端へ請い願う刻

 極楽の余り風が龍ヶ崎町(りゅうがさきちょう)を駆け抜ける。涼風に揺られる青葉が、さわさわと耳触りの良い音を人の世に満たす。
 町の住宅地にあるアパートでは、天笠柚紀(あまがさゆずき)が机に向かっていた。彼女はパソコンのキーボードを軽快に叩いていた。
 しかし、彼女の同居人――いや、同居鬼たちが、順調な作業を許さない。
 時は、柚紀(ゆずき)が双子の鬼――阿鬼都(あきと)と鬼沙羅(きさら)を川辺に捨てて、直ぐさま連れ戻して、という奇行をとった翌日である。
「柚紀(ゆずき)ー、アイス食べたいなー」
「わたしはこだわり卵のとろけるプリン」
 そこで双子は一拍置き、
『買ってきて』
 言葉を揃えて命じた。
 ぶち。
「ふざっけんなああぁあぁあっ!」
 授業で提出するレポートを書く手を止めて、柚紀(ゆずき)が叫んだ。彼女に、買い出しに行く暇などない。レポートの進捗具合は、芳しくない。
「うるさいなー」
「近所迷惑だよー、柚紀(ゆずき)」
「やかましい! いいのよ、まだ昼間なんだから!」
 柚紀(ゆずき)はそう叫ぶが、当然ながらいいことはない。良い子も悪い子も真似してはいけない。
「そんなことより! 私、一応ここの家主! あんたらは居候! なんで私がパシられなきゃいけないのよ!」
 もっともな意見だった。しかし――
「わたしたちのこと、捨てようとしたくせに……」
「僕ら、凄く傷ついたのに……」
「う」
 ごもっともな心理的反撃に、柚紀(ゆずき)はぐぅの音も出なかった。
「……はい。いってきます」
『いってらっしゃーい』

「ありがとうございましたー」  愛想のいいコンビニ店員に見送られ、柚紀(ゆずき)は家路についた。
 彼女が手にしている袋の中には、カップアイスとプリンが3つずつ。さらには牛乳1パック。
「たくっ。あいつらいつか泣かせてやるっ」
 そう悪態をつきながらも、レジ袋の中身は優しさで満ちているのだから、素直じゃないにも程がある。とはいえ、はた目には鋭い目付きでドシドシと歩く女だ。その上、悪態までついている。道を行く人々が目をそらすのも、自然な流れだろう。
 しかし、1名だけ例外がいた。
「もし。ご婦人」
「?」
 柚紀(ゆずき)が声をかけられて振り返ると、そこには、僧服に身を包んだお坊さんがいた。頭には笠をかぶっている。
 見るからに仏教徒である。宗教関係者である。
 正直なところ、柚紀(ゆずき)はあまり関わり合いになりたくなかった。そうなれば、採るべき道はひとつである。すなわち、早々に立ち去る。
「……あー。私、キリスト教徒なんで。じゃ」
「これ。勧誘では御座いませぬ。少々お待ちいただけませぬかな?」
 そう下手に出られては、無下にして立ち去るのも気が引けた。観念した柚紀(ゆずき)が立ち止まり、坊主と相対す。
「何か用ですか?」
「ご婦人。物の怪に困っておいでではないですかな?」
 どきっ。
 正直に言えば、柚紀(ゆずき)は当然ながら困っている。しかし、それをこの場で口にするわけにはいかない。
 目の前にいる人物は、見るからに除霊といった類いの事柄が得意そうなのだから。見た目だけで判断するならば、神父様や巫女さん、陰陽師などと並ぶトップランカーだろう。
 柚紀(ゆずき)も少し前であれば、これ幸いとばかりに2つ返事を返し、双子の退治を頼んだろう。
 しかし、今は――
「別に困ってなんかいません。それでは失礼します」
 余計なことを口にする前に、早々に立ち去った。
 お坊さんは彼女を見送り、瞳を細めた。
「……………鬼の気配」

 がちゃ。
 柚紀(ゆずき)宅の扉が開けられる。部屋の中から、涼やかな空気が外界へと漏れ出る。
 夏場のクーラーは偉大と言わざるを得ない。柚紀(ゆずき)はそのようなことを考えながら、ひと息つく。そして、すぅっと息を吸って、微笑んだ。
「ただいま。2人とも」
『おかえりー』
 双子が玄関まで走ってきて出迎えた。そして真っ先に、柚紀(ゆずき)の右手のレジ袋に飛び付く。
「あー、アイス3つあるじゃん」
「プリンもー」
「どうせだから全員分買ってきたのよ」
『うわぁ、ありがとー!』
 満面の笑みで礼を述べたあと、なぜか双子は揃って首を傾げた。
「? どうしたの?」
『その人だあれ?』
 阿鬼都(あきと)、鬼沙羅(きさら)ともに柚紀(ゆずき)の後方を指差す。
 そこには――
「やはり物の怪がおるではありませんか」
「うきゃはああぁあ!」
 背後に立っていた坊主に驚き、柚紀(ゆずき)が奇声を上げた。
「あはははは!」
「柚紀(ゆずき)、おもしろーい」
 双子が楽しそうに笑った。
 一方で、柚紀(ゆずき)は顔色を青くして、口をパクパクさせている。
 ――阿鬼都(あきと)と鬼沙羅(きさら)が退治されちゃう!
 危機感を覚えた柚紀(ゆずき)は、腰を落として坊主に素早くタックルした。
「うわっ! い、いけませんぞ! 拙僧は仏にお仕えする身。貴女様のお気持ちに応えるわけには……」
 馬鹿なボケを坊主がかましている一方で、柚紀(ゆずき)は真剣な面持ちで叫ぶ。
「阿鬼都(あきと)! 鬼沙羅(きさら)! 逃げて!」
 必死の叫びがこだまする。
 しかし、当の双子は目をパチクリさせて、小首を傾げるだけだ。
『なんで?』
「なんでって、このお坊さんがあんたらを退治しようとしてるからよ!」
「拙僧はそのようなこといたしませぬぞ?」
「ほら――って、へ?」
 柚紀(ゆずき)はタックルをかましたままの態勢で、呆けた。

 詳しく話を聞いてみると、坊主は確かに鬼を退治しようとしているが、その対象は阿鬼都(あきと)と鬼沙羅(きさら)ではないとのことだった。
 もっと危険で、人に害を与えそうなモノがこの界隈をうろついているらしいのだ。
「ちょーっと失礼じゃない?」
「僕らのこと眼中にないってことだもんなー」
「こら! 変なこと言わない! ならせっかくだし、とか言い出したらどうすんのよ!」
 柚紀(ゆずき)が坊主の顔色をうかがいながら慌てた。
 しかし、双子たちは全く気にした様子もなく、笑顔で拳をぐっと握る。
『返り討ち』
「はっはっはっ! 勇ましい子らだ」
 坊主は豪快に笑い、阿鬼都(あきと)の頭をガシガシとなでた。続けて鬼沙羅(きさら)の頭に狙いを定める、が……
 タタタタタ。
 鬼沙羅(きさら)は小走りで柚紀(ゆずき)の陰に逃げ込んだ。
「……髪、みだれちゃう」
 ――鬼とはいっても、女の子ねぇ
 頬を膨らまして不満げな鬼子の様子に苦笑しつつ、柚紀(ゆずき)は坊主に疑問をぶつける。
「ところでお坊さん。お名前は?」
「あぁ。これは失礼いたしました。拙僧の名は白夜知稔(びゃくやちねん)。気龍寺(きりゅうじ)の僧です」
 気龍寺(きりゅうじ)は、柚紀(ゆずき)宅と柚紀(ゆずき)の実家の中間辺りにある寺だ。この近辺ではもっとも大きな寺で、大体の家はここを菩提寺としている。
 ついでに言えば、柚紀(ゆずき)の家――天笠(あまがさ)家もまた、そこの檀家である。
「知稔(ちねん)さんですか。私は天笠柚紀(あまがさゆずき)。そしてこちらは、阿鬼都(あきと)と鬼沙羅(きさら)です」
『はじめまして』
 声を揃えて挨拶した双子を、知稔(ちねん)は柔らかい笑みを携えて見つめる。
「可愛らしいですなぁ。昨日感じた邪気とはえらい違いだ」
「昨日感じた邪気ですか?」
「ええ。昨日午後7時頃、強大な邪気が近所の川原付近から感じられたのです。大量虐殺など朝飯前でしょうな、あれほど強大な力があれば」
「ふぅん」
 適当な相槌を打ちつつ、柚紀(ゆずき)は買ってきた牛乳をゴクリとひと口。そこで、ふと気づく。
 ――昨日の午後7時頃で川原っていうと……

『…去ね。獣』
『それとも奈落に堕つるか?』

 ――もしかして、阿鬼都(あきと)と鬼沙羅(きさら)が、犬にぶちギレたとき?
 そのような疑念を抱き、柚紀(ゆずき)は不安になる。
 ゆえに、その不安を払拭するために、尋ねる。
「あの、ちなみに、その川原ってどの辺りですか?」
「あぁ、それは――」
 ……結局、不安が払拭されることはなく、寧ろ、圧し掛かった。

「それでは拙僧はこれで。失礼いたしました。牛乳、美味でありました」
『ばいばーい』
 阿鬼都(あきと)と鬼沙羅(きさら)がニコニコと機嫌よく手を振る。
 そんな彼らに対して、知稔(ちねん)もまた、微笑みを浮かべて手を振り返している。
 その微笑ましい光景を瞳に映しながら、柚紀(ゆずき)は神仏、悪魔、閻魔様、それぞれに対して節操なく祈っていた。
 ――どうか知稔(ちねん)さんが、阿鬼都(あきと)と鬼沙羅(きさら)こそが探している相手だと、一生気づきませんように!

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