じーじーじーじーじー。
土曜日の午後。最後のあがきとばかりに、アブラゼミが盛んに鳴いている。彼らの声はどこか寂しげで、その寂寥感こそが秋の気配を際立たせる中、天笠柚紀(あまがさゆずき)と阿鬼都(あきと)、鬼沙羅(きさら)、そして、長谷部健太(はせべけんた)が野辺商店前というバス停に佇んでいた。
秋と呼ぶに遜色ない時季だというのに、けたたましい声音と同様に強い日差しが四名を襲う。
「あっついわねー。もうそろそろ秋だってのに」
手差しで日光を避け、柚紀(ゆずき)が呟いた。
その傍らで、双子の鬼が神妙な顔で腕を組む。
「環境破壊に勤しんだ人間が背負う業の一形態だね。まさに自業自得」
「いまさらエコとか言い出しても無駄なんだね。身から錆が出ちゃったんだよ、うん」
「そこ。不吉なこと言わない」
阿鬼都(あきと)と鬼沙羅(きさら)の言葉に、柚紀(ゆずき)が目つきを鋭くして、ビシッと注意した。
双子が不満げな声を漏らす。事実を認めないのはよくない、と珍しく正論を口にする。しかし、それをここで議論したとて、残念ながら、益はない。どうしても何かしたいのならば、卿都(きょうと)府で議定書でも策定すればよろしい。何もしないよりはマシ、という程度のことはできるだろう。それを為す力が有るか否かはまた別の問題であるが……
議論というよりは無駄話でしかない会話を眺めて、健太が苦笑する。何を話しているのかいまいち分かりかねたが、気にせずに口を開く。
「ところで、あとはゆうかさんと、もう一人、ゆずきさんのお友だちがいらっしゃるんですよね?」
そう。今、大事なのは時間だ。待ち合わせの時刻を五分ほど過ぎている。
「あ、うん。そう。幽華(ゆうか)はちょっと遅れるって連絡来てたけど、薫(かおる)の家はここから比較的近いし、もう来るはずなんだけど……」
柚紀(ゆずき)がそう口にして視線を巡らすと、丁度、くだんの久万月薫(くまづきかおる)が曲がり角から顔を見せた。
たったったっ。
小走りでやってきた彼女は、相変わらずのクセ毛を無理やりまとめている。そして、その茶のクセ毛によく合う、朱色の浴衣を身に着けていた。
「ごっめーん。髪が思ったよりまとまりにくくて。この湿り気具合は、明日と言わず夜から雨かもだねー」
あまり嬉しくない情報開示と共にやってきた友の恰好に、柚紀(ゆずき)は思わず黙り込んでしまう。友に問題があるわけではない。どちらかといえば、柚紀(ゆずき)の方にこそ問題があるやもしれない。
「……てかさ、薫。浴衣ですか?」
「え。あれれ? 柚紀(ゆずき)、ジーンズ? お祭りだよ?」
非常に意外そうな視線を向けられ、柚紀(ゆずき)が項垂れる。そういうノリだったんだ、と。お祭りといえば浴衣、という論理は頷ける。しかし、彼女はこれまでの人生において、そういう選択肢を採らずにきたのだ。理由はたぶん、分相応とか、常識的とか、身の程を知れとか、そういう類の空気を読んでのことだった。周囲の者たちがそのようなことを実際に考えていたかどうかは別として。
とはいえ、まだ柚紀(ゆずき)にも希望はあった。もう一人の友、木之下幽華(きのしたゆうか)が普段着であれば、寧ろ浮いているのは薫の方だ。
くいくい。
「ん? なに? 鬼沙羅(きさら)」
天へと祈りを捧げる柚紀(ゆずき)の服の裾を引っ張ったのは、突然縮こまった鬼沙羅(きさら)である。どうやら人見知りスキルが発動した模様だ。
柚紀(ゆずき)は腰を屈めて、鬼沙羅(きさら)と目線を合わせる。
頬を染めた鬼子が、薫へ視線を送り、口を開く。
「あの人が着てるの、可愛いね」
「ん? ああ。あれは浴衣っていって、まあなんていうか、お祭りの戦闘服みたいなものかな?」
適当な説明が為されると、鬼沙羅(きさら)の瞳が輝き始める。
ちなみに阿鬼都(あきと)の瞳には呆れの色が濃い。『戦闘服』という勇ましい発言に肩を竦めている。
一方で、彼の妹は無邪気に柚紀(ゆずき)の腕を取る。
「ねーねー、柚紀。アレ、わたしも着たい。ねー」
「あ。じゃあさ、うちおいでよー。子供の頃に私が着てたやつ、まだあったからさー」
にぱっ。
いつの間にやら柚紀(ゆずき)たちと目線を合わせていた薫(かおる)が言った。
知らぬ間にすぐ隣にしゃがみ込んでニコニコしている薫に気付いて、鬼沙羅(きさら)が頬を真っ赤に染める。
「ひゃっ。あ、あの…… えっと……」
すくっと勢いよく立ち上がって、鬼子が戸惑い顔で佇む。完全に腰が引けている。
すると、薫は鬼沙羅(きさら)の人見知りを知ってか知らずか――
「私、久万月薫。薫でいいよ」
満面の笑みと共に自己紹介した。そうしてから、笑顔のままで待つ。にっこりとお日様のような輝きを放ち、鬼沙羅(きさら)の反応があるのを、ひたすらに待つ。
しばらくすると――
「……あ、あのね。わたし、鬼沙羅(きさら)。その、ユカタ、いいの? 薫」
「もっちろん! おいでおいでー。ね?」
「……………うん……………」
まだ薫に慣れたわけではないようで、俯き加減で返事をし、鬼沙羅(きさら)がこっくと小さく頷く。
とことことこ。
二名はぎこちなく手を取り合って久万月邸へと向かった。
彼女たちをぼんやりと目で追い、柚紀(ゆずき)が微笑む。そして、阿鬼都(あきと)と健太の背をぽんっと押した。
「ほら。薫たちについてって。ここで待ってても暑いでしょ。幽華(ゆうか)は私が待ってるから」
「ん。りょーかい。麦茶でももらおーっと」
「はい、わかりました。ゆずきさん。またあとで」
たったったったっ。
駆け足で場を辞する、阿鬼都と健太。
そして、野辺商店前には柚紀(ゆずき)のみが残る。一度大きく伸びをしてから、首をコキコキと鳴らした。
「さて、と。幽華(ゆうか)もそろそろ――」
ぶっぶー。
定刻通りにバスがやって来た。流石、日本の交通機関は時間に正確だ。スピードを緩めて、停留所の横につく。
がたっ。
扉が開いた。乗り込む者は誰もおらず、降車する者もそう多くはない。
必然的に、姿を見せるのは――
「ごめんなさい、柚紀(ゆずき)」
鈴の音のように甲高く、しかし、不快ではない優しい響きが柚紀(ゆずき)の耳朶に届く。ここ数日ですっかり耳慣れた友の声音である。
「着付けに時間がかかっちゃって」
少女がタッと大地に降り立った。彼女は、藤色に染まった布地に淡い藍色の紫陽花を描いた浴衣を身にまとい、背に流れる艶やかな黒髪を大きな赤いリボンで彩っている。更には、頬を桜色に染めてはにかむ様子が人の目を惹きつける。華道の家元のお嬢様です、と紹介されたならば、すんなりと納得したに違いない。まさに、大和撫子であった。
柚紀(ゆずき)は寸の間、呆けて、それから、がっくり項垂れた。
――か、可愛すぎる…… 薫に加えて鬼沙羅(きさら)も浴衣に着替えるみたいだし、それでいて幽華(ゆうか)がこれじゃ、ジーンズの私は完全アウェー
頭を抱え、彼女は悩ましげにうなる。
「? えっと、どうしたの? 柚紀(ゆずき)」
「イヤー、ナンデモナイデスヨー。アハハ」
「??」
渡来人の如くカタコトで喋る柚紀(ゆずき)に、幽華(ゆうか)が不思議そうに小首をかしげた。
「よーし、健太ー! あれやるぞー!」
「薫ー! わたし、あのぬいぐるみ欲しー!」
阿鬼都(あきと)、鬼沙羅(きさら)、それぞれが、健太と薫の手を引いて駆け出した。
ちなみに鬼沙羅(きさら)は、約一時間かけて久万月家の女性陣――薫と母の弥生のおもちゃとなり、着せ替え人形よろしく、何度も着替えさせられたり、髪形をいじられたりと、色々と手を加えられた。その際に打ち解け、今や鬼沙羅(きさら)は薫にすっかり懐いている。そんな女児は、桃色の素地に白や黄の水玉がちりばめられた子供用の浴衣に身を包み、腰のあたりまである黒髪をアップにしてうなじを見せている。年が年ゆえに色気は皆無だったが、十人中九人は振り返るだろう愛くるしさを振りまいていた。
その一方で、阿鬼都(あきと)は、赤のブイネックシャツに黒のハーフパンツというラフな出で立ちである。くしゃっと柔らかい黒髪には寝癖までついている。妹に比べて華が足りない、というよりも、いっそだらしがない。
とはいえ、双子の兄妹といえども男と女、服装などに対する姿勢が違うのも当然だろう。
どちらかといえば阿鬼都(あきと)寄りな柚紀(ゆずき)は苦笑し、小さく息を吐いてから、続けて、すぅっと大きく吸う。
「ほら! 二人とも走らないの!」
『はーい!』
柚紀(ゆずき)の注意喚起に素直に応えながらも、双生の鬼子は小走りで目的の店へと突っ込んでいく。阿鬼都(あきと)は水ヨーヨーすくいの出店へ、鬼沙羅(きさら)は射的の出店へ向かっている。
そして――
『ああああぁああぁあー!!』
それぞれ早速失敗し、百円玉を無駄にした。
「やれやれ…… あれじゃ、直ぐにお金なくなるわね」
「阿鬼都(あきと)くんと鬼沙羅(きさら)ちゃん、お金持ってるんだ」
幽華(ゆうか)の呟きを受けて、柚紀(ゆずき)が応える。
「百円玉を十枚ずつ渡してるわ。あのくらいの子なら、そんぐらいでしょ」
そう口にして、微笑んだ。
幽華(ゆうか)がおかしそうに口元を隠す。
くすり。
「何?」
「ふふ。柚紀(ゆずき)って、二人の親みたいね」
「……せめて姉でお願い」
項垂れる柚紀(ゆずき)を目にし、幽華(ゆうか)がクスクスと笑みをこぼす。
「あ、ねえ。それより、私たちも何かやろ」
「うーん。何かって言っても、この歳で何を……」
稲荷神社の境内を見渡すと、金魚すくいやスーパーボールすくい、射的、型抜き、くじ引き、水ヨーヨーすくい、そして、各種食べ物屋さんが連なっている。二十歳近くにもなって、児童が興じるような遊びに食指が動くはずもない。飲食物は飲食物で、こういった場で出されるものは無駄に値段が張り、味は大雑把というのが定番だ。まったく期待できない。
柚紀(ゆずき)は腕を組んでうなった。
しかし、その一方で……
「あ、柚紀(ゆずき)! 見て見て! 型抜きに金魚すくいに輪投げ――あ、亀釣りだって! あっちにはチョコバナナ売ってるよ! 素敵ね! ね!」
幽華(ゆうか)はあちこちの出店に瞳を向け、その全てにキラキラと表情を輝かせる。
そんな彼女の純粋な様子に、柚紀は穢れた魂を悔い改めたとか改めなかったとか。
ぽちゃ。
「あー! また失敗! くっそー!」
みたびヨーヨーを水に落とし、阿鬼都(あきと)が頭を抱えた。
その様子を瞳に映して、健太が苦笑する。阿鬼都(あきと)は、ヨーヨーをすくう釣り針のついた紙を何のためらいもなく水につけている。あれでは紙がふやけてしまい、ヨーヨーの重さに耐えることなくすんなり切れてしまうのが道理だ。
「んーと、あきと。水ヨーヨーすくい、はじめて?」
「うん。てか、お祭りが初めて」
「え。そうなの? どおりできあいがはいってると……」
そこで、健太が視線を逸らす。瞳は射的の屋台へと向いていた。
「……えと、じゃあさ。きさらも?」
阿鬼都(あきと)同様、射的に苦戦しつつも楽しそうに笑っている鬼沙羅(きさら)を瞳に映し、健太が尋ねた。
「うん。そーだよ」
と、阿鬼都(あきと)のお応え。
それを耳にして、健太がぐっと拳を握る。彼は若輩ながら、射的には自信があった。
あとの問題は、愛らしい桃色の浴衣姿に緊張しすぎて近寄りがたい現状のみである。
すーはー。すーはー。
深呼吸をする。
すうぅうはあぁあ。すううぅうはああぁあ。
もう一度。より深く。
一方で――
「おっちゃん! もう一回頼むよ!」
ちゃりん。
「あいよー」
阿鬼都(あきと)は元気に四枚目の百円玉を放り投げた。
ぽんっ。
六丁目の銃から発射されたコルク弾が宙を舞う。しかし、目的の箇所を襲うこともなく、見当違いの板壁を襲撃し、ぽとりと床に落ちた。
「うわーん! 意外と難しーよー!」
「うー、ごめんねー。私も射的は苦手なんだー」
泣きそうな鬼沙羅(きさら)と、すまなそうな薫(かおる)。共に、射的屋の前に陣取ってまなじりを下げている。
鬼沙羅(きさら)が射とめようとしているぬいぐるみは絶妙な加減の位置にあり、もう少しで棚から落下しそうなのである。偶然にもコルク弾がジャストミートし、落ちるか!? 落ちないか!? という場面を何度か迎えているのだが、なかなかフィナーレを迎えることはなかった。
「き、きさら!」
「うにゃ? どーしたの、健太」
背後からかかった声を受けて振り返り、鬼沙羅(きさら)が不思議そうに小首をかしげた。彼女の視線の先には、頬を紅潮させた長谷部健太がいる。
健太は鬼沙羅を見返さず、斜め下に視線を向けながら一歩を踏み出す。意識してそうしているようだ。
とことことことこ。
ちゃりん。
そして、彼は屋台のおっちゃんに百円玉を三枚手渡した。
「三丁ください」
「……ふっ。いい顔するじゃねーか、坊主。健闘を祈るぜ」
おっちゃんが渋めの顔を作り、健太の要求どおり三丁の銃を渡す。
健太はその三丁の握り心地を順番に確かめながら、浴衣姿の鬼沙羅(きさら)に瞳を向けることなく、前方を真っ直ぐに見やる。
「ボクにまかせて」
にこり。
微笑み、それから健太は狙うべき対象を注視する。ずしっと鎮座するぬいぐるみに鋭い視線を向けた。
射撃対象は概算で全長五十センチほどのパンダのぬいぐるみ。重心は首の少し下あたりかと想定できる。しかし、何度かコルク弾が当たっているにもかかわらず、あまり動く気配がないようだ。そうであるとするならば――
すっ。
健太が右腕と左腕を同時に持ち上げる。その双方に、銃が握られていた。
「二丁同時!?」
横からにまにまといやらしい笑みを浮かべつつ眺めていた久万月家の長女が、驚愕に表情を引き締めて叫んだ。
――おそらくは、あのぬいぐるみは下半身がおもい。ふつうにうってもダメだ
きっ。
ぬいぐるみをきつく睨みつけ、健太は唇をかみ締める。
瞳を細く絞り、精いっぱい狙いを定めた。それでいて肩と腕の力は適度に抜く。最善の状態へ身体をもっていき――
ぽんっぽんっ。
右、左と順番に、銃からコルク弾が飛び出した。それぞれのコルク弾は一直線にパンダのぬいぐるみへと向かっていき、間断なく連続で彼の者の胸を襲う。
一発目では後方に小さく傾き、二発目で更に大きく傾く。しかし、それだけだ。ぬいぐるみはとうとう、棚から落ちなかった。
もはや駄目かと思われた、その時――
「いけっ!」
ぽんっ。
ぬいぐるみの傾きが静まりきる前に、健太は素早く三丁目の銃を手にとり、三つ目のコルク弾を放った。弾は黒で染まった眼窩を射る。
ぐらっ。
白黒が傾いた。先ほどよりも、更に、大きく。
そして――
ひゅう。
瀬戸際で人の手に落ちずにいた者が、重力にその身をゆだね、棚から床へ、真っ直ぐに落ちていった。
ぽとり。
………………………
沈黙。しかし、それも寸の間のことだった。
「やっっったああぁあっ!!」
鬼沙羅(きさら)が嬉しそうに叫び、健太に抱きつく。
「ちょちょちょちょちょっ!」
「ありがとー、健太ぁ!」
「あ、う、その、むぅ……」
あたかも言葉を解さぬ生物であるかのような、不審な言動を繰り返す健太。その顔は紅葉のように、真っ赤に真っ赤に染まっていた。
にまにまにまにまにまにまにま。
そんなお子様二人を、薫と屋台のおっちゃんが生暖かく見守っていた。
ぼよんぼよんぼよん。
「ふふん」
水ヨーヨーを両手で操りつつ、阿鬼都(あきと)が微笑みを浮かべて佇んでいる。百円玉十枚を使いきり、それでも何とか二つだけ手に入れることが出来たのだった。一般論で語れば、戦果としてはいまいちだろう。しかし、本人はいたくご満悦だ。
彼の妹――鬼沙羅(きさら)はぬいぐるみを両手で抱きしめて、鼻歌を口ずさみながら拝殿前の階段に座り込んでいる。彼女は、柚紀(ゆずき)から渡されていたお金の残額を健太へのプレゼントで消費した。ゆえに、兄同様、手に百円玉はない。しかし、ご機嫌だ。白黒の人形をよほど気に入ったと見える。
彼女から綿アメやチョコバナナ、スーパーボールを受け取った健太は、それらを大事そうに抱えている。食べ物については早めに召し上がってもらいたいものだが、何か、食べてしまうのをためらう理由があるらしい。顔に笑みが絶えないことから類推するに、具合が悪くて食べられないというわけではないだろう。
そして、ご満悦な三名の児童たちを眺めている者がいる。薫だ。彼女もまた楽しげに微笑み、子供たちを見守る。
各々が、幸せな時を過ごす。
「あ。そーいえばさ、健太くん。射的上手なんだね」
突然、薫が適当な話題を振った。特に意味などない、世間話だろう。
健太は右手で頭をかき、照れた様子で口を開く。
「いえ、それほどでも。母がとくいで、前におしえてもらったんです」
双子が共に、満面の笑みを友へと向ける。
「凄かったよなー」
「健太、かっこよかったー」
少女の言葉に、少年の頬が一気に紅潮した。
薫がにまにまとした笑みを顔中に刻む。微笑ましき少年少女に、表情筋をだらしなく弛緩させる。
その時、柚紀(ゆずき)と幽華(ゆうか)が姿を見せて、四名に合流した。彼女たち二人は、じゃんけんで負けてラムネを人数分買いに行っていたのだ。
ちなみに、代金は柚紀(ゆずき)持ちである。じゃんけん勝負の底辺決定戦、柚紀(ゆずき)ヴァーサス幽華(ゆうか)のひと勝負にて敗北したためだ。
「おつかれー、ユズキング」
薫の言葉を耳にして、柚紀(ゆずき)はギロリと友をひと睨みし、それから、ラムネを一壜さしだす。
なお、彼女の明らかにイライラしている様子を見逃さないのは、双子である。
「スーパーユズキングコング。僕にもちょーだい」
「わったしもー。女帝ユズキングさまー」
「――うるさいっっ!!」
柚紀(ゆずき)は叫びながらも、律儀に二壜さしだす。そうしてから、双子を追い回す。
双子は走りながらも器用にラムネの口を塞いでいるビー玉を押し込み、しゅわわーとラムネを撒き散らしている。
「やれやれ、あの三人は…… はい、健太くん」
「あ、はい。ありがとうございます、ゆうかさん」
にこり。
健太に微笑みかけてから、幽華(ゆうか)は両手に一壜ずつラムネを持ち、階段の二段目に腰掛ける。そうしてから、走り回る柚紀(ゆずき)と双子を眺めた。顔には笑みが浮かんでいる。
「あはは。あの三人、元気だねー」
「ですね」
「そうね。それに、楽しそう」
ぽつり。
その時、境内の石畳を水滴が濡らした。小さな小さな染みが生まれる。
しかし、直ぐに染みは広がっていく。
「うわー。やっぱ降り出したかー」
薫が夜天を見上げると、月が隠れていた。曇天が光明を遮り、世には暗闇が広がっていた。その闇から、数多の水滴が降りきたる。
柚紀(ゆずき)と鬼子たちも追いかけっこを止め、拝殿前へ戻る。
拝殿前は、一応ながら、雨を防ぐ屋根があるのだが、全員が雨宿りするだけの広さはない。更にいうなれば、いつ降り止むか分からぬ以上、こうして待っているのは賢いとはいえない。
とはいえ、柚紀(ゆずき)たちが乗るべきバス停までは少しばかり距離があり、なおかつ、バスの到着時刻までまだ時間がある。馬鹿正直にバス停へ向かうのも、屋根のないバス停で待つのも、正しい判断とは言い難い。
状況を把握した近隣住民がシュタッと手を上げる。
「みんなうちに来てー。傘貸すよー」
近隣住民――久万月薫がそう言った。
久万月家は、山麓の寂れた地域の一画にあった。近所といえる家屋の全てが古びているのが壮観である。久万月家もまた瓦屋根が目を引く、旧日本家屋という佇まいである。それでも、手入れが行き届いているのだろう、比較的新しく見えるという事実が、どうにもアンバランスな印象を与えた。
幽華(ゆうか)はここまでの道程にて既に違和感を覚えていた。
久万月家へと向かう道が細く心もとないものとなり、道の両脇が草原になり始めた頃合から、ある気配がこの近在にとどまっていることを感じ始めたためである。しかしその気配は、やはりここ数日感じているように、邪気のようなものを帯びていない。
捨て置くべきか、何かしら対処すべきか、迷っていた。
一方で、阿鬼都もまた表情を険しくしていた。彼は、鬼沙羅が着替えをする際に一度ここへ来ていたが、その時には感じなかった気配をただいま察知していた。
――この気配、たぶん
彼がそのように考えた時、薫が小走りで久万月家の玄関口へと向かった。
「あれ? 電気ついてないや。誰もいないのかなー」
そう呟いてから、破顔一笑する。
「ま、いーや。入ってよ。タオルを人数分見つけるのに苦労しそ――」
彼女が鍵をショルダーバッグから取り出そうとした、まさにその時に、視界の端を影が横切った。少しばかり不思議に思いながらも、薫はその事実を気のせいだろうと無視する。
その直後、頬を空気の流れが撫でる。
ばんっ!
大きな音が響いた。
「……え?」
気が付くと、薫は柚紀(ゆずき)と幽華(ゆうか)の背にかばわれていた。
そして、なぜか数メートル先の地面には、男性二名がうずくまっていた。彼らはそれぞれ、ぴくりとも動かない。しかし、かろうじて息だけはしているようだ。
その男たちは、先ほど薫の腕をとって無理やり連れ去ろうとした。薫自身が認識できぬほど、迅速に。
その凶行を直前で止めたのが柚紀(ゆずき)と幽華(ゆうか)であり、先の大きな音は、柚紀(ゆずき)が拳で、幽華(ゆうか)がビー玉の一撃で、それぞれの男性を吹き飛ばした結果である。
こういった物騒な展開とは無縁の二名――薫と健太が、目を点にして佇んでいる。
一方で、幽華(ゆうか)は険しい表情を鬼子に向ける。
「彼ら、ただの暴漢――というわけでもなさそうね。阿鬼都(あきと)くん」
「……ああ。こいつら、僕らの知り合いだよ。星熊(ほしぐま)と虎熊(とらぐま)ってゆーんだけど――」
「人を襲うなんてそんなこと……」
阿鬼都と鬼沙羅が呟いた。阿鬼都の瞳は険しく、鬼沙羅の瞳は哀しそうであった。彼らの知る星熊童子や虎熊童子は、無意味に他人を傷つける者たちではない。
鬼子二人は、あり得ない状況に混乱していた。
「別に、襲ったわけじゃねぇんだがな」
『!?』
突如、野太い声が響いた。そして、鮮やかな金の髪を逆立たせた男性が姿を見せる。
「お前!」
「何やってるの!」
阿鬼都(あきと)、鬼沙羅(きさら)の両名が瞠目して叫ぶ。見知った相手のようだ。
一方、幽華(ゆうか)もまた見覚えのあるその姿に瞳を細め、冷たい声を出す。今眼前に居る者は、数日前に柚帰宅へ赴く途上で遭遇した鬼であった。
「……私が言ったこと、忘れたかしら? 邪気がなかろうと、悪さをするならば――」
しゃっ!
懐から素早くヨーヨーを取り出し、幽華(ゆうか)が勢いよく放った。ヨーヨーは数メートルほども伸び、さらには、避けようとした男を追って自由自在に動き回る。
「ほぉ…… こいつはおもしれぇな」
呟くと、男は筋骨隆々とした右腕を薙ぐ。
がっ!
ヨーヨーは弾かれ、幽華(ゆうか)の手元へと戻った。
「いいねぇ。その力、本当に、あいつによく似てやがる」
そう呟いてから、男がにやりと笑う。
幽華(ゆうか)は臨戦態勢を取り、唇を噛む。相手の力が半端なものではないと察したのだ。弾かれたヨーヨーは勿論、ただのヨーヨーではない。幽華(ゆうか)の鬼流(きりゅう)としての力を大量に込めたヨーヨーだ。阿鬼都(あきと)や鬼沙羅(きさら)に向けていたものとは異なり、彼女の最大限の力を込めた玩具なのである。それが易々と弾かれた。
「……貴方は?」
「ああ。そーいや名乗っていなかったな。わりぃ。俺の名は、酒呑童子(しゅてんどうじ)。まあ、鬼だ」
その名を耳にして、幽華(ゆうか)がより一層強く唇を噛む。
彼が本当に酒呑童子(しゅてんどうじ)なのだとすれば、相当強力な鬼である。かつて悪行の限りを尽くし、平安の世を恐怖色で染め上げたはずの者の名が、酒呑童子だ。先ほど地に伏した星熊童子(ほしぐまどうじ)と虎熊童子(とらぐまどうじ)もまた、彼の仲間と伝えられる。
――ちっ。相変わらず邪気はないけれど……いったい何が目的?
鬼流(きりゅう)が相手の出方を探る一方で、鬼は楽しげに口の端を上げる。
「へっ。せっかく戦いがいのありそうな人の子に会ったんだ。紅葉御前(もみじごぜん)にゃあ悪いが――」
ざわっ!
童子の纏う空気が変化した。
幽華(ゆうか)と阿鬼都(あきと)は身構え、柚紀(ゆずき)と鬼沙羅(きさら)は立ち竦む。
そして、薫と健太はわけも分からず、不安にかられた。何が起きているのかすら、分からなかった。
鬼はそんな人々を瞳に映して――
にやり。
「さあ、仕合おうや!」
楽しげに笑った。