第4章 漆黒の悪魔
誰そ彼刻の約束

 夜空と呼ぶにはまだ早い、明るい天に、ぽつりぽつりと星が照っている。寒々しい空気が空を澄ませ、弱き光を地上へ届けているようだ。
 そのような時間帯に、阿鬼都(あきと)とゴキブリ少女はアパートの階段に座り込み、話をしていた。家主の天笠柚紀(あまがさゆずき)と鬼沙羅(きさら)が、部屋の中に少女がいることを断固拒否したためであった。
 幸い少女は、外に出てくれないか、という申し出に快く頷き、現在の状況に落ち着いている。
「僕は阿鬼都。それで、えーっと……名前、聞いていい?」
 こくり。
「……黒絵(こくえ)……そう……みんな呼ぶ……」
 頷いてそう呟くと、黒絵は真っ直ぐ阿鬼都を見つめ、沈黙する。ひたすらに。
 じー。
 …………………………
 阿鬼都は何とはなしに緊張し、とりあえず口を開く。沈黙に負けたようだ。
「で、黒絵は何をしてたの? 正直、うちって柚紀と鬼沙羅が掃除しまくってるし、生ゴミも溜めてないし、別に食べる物落ちてないだろ?」
「……うん……部屋……綺麗……」
 無表情で賞賛してから、黒絵は言葉を続ける。
「……黒絵……黒羽(くろう)……探してる……」
「黒羽? 黒絵の仲間?」
 こくり。
「……そう……ずっと一緒……兄様……」
 呟いた黒絵は、とても寂しそうな表情をしていた。涙こそ見せないが、辛く、哀しい心に耐えていた。
 阿鬼都は彼女の様子を目にし、自分が柚紀や鬼沙羅と離れ離れになったらと想像し、胸を痛める。大切な者を想う気持ちに、人も鬼も違いはない。
 いつかは必ずやってくる別れ。それでも、出来うる限りそうならず、ただただ幸福に在りたい。そう願うのは、人も鬼も、そして、虫も同じだ。
 ゆえに、彼は決意し、微笑んだ。
「僕も――黒羽を探すの手伝うよ」
 黒絵が目を瞠る。
「……ほんと……?」
「うん。僕、けっこう暇してるし、困った時はお互い様ってゆーし。まかせてよ」
 そのように阿鬼都が言うと、黒絵は微笑んだ。これまでの無表情をすっかり忘れたように、表情を輝かせた。
 にこり。
「……ありがとう……」
 心から喜んでいる様子が伝わってくる、温かい笑顔であった。
「そんな、いいって。さて、じゃーまずは、黒絵が知っていることを教えてよ。黒羽とはどこではぐれたの?」
 尋ねられると、黒絵はまた無表情に戻り、考え込む。
「……山……」
「山? どこの山?」
「……どこかの……黒絵たちは……昔から蜘蛛の山……呼んでた……」
 そう口にしてから黒絵は、でも人間が何て呼ぶかは知らない、という旨の発言をした。
 山など無数にある上、知れたのがゴキブリの間での名称では、あまり手がかりにならないだろう。阿鬼都は頭をかかえた。
 しかし、いつまでもその山の正体に頭を悩ませていたのでは、話が先に進まない。違う疑問をぶつけることにする。
「えっと…… その蜘蛛の山で、どうして黒羽とはぐれたの?」
「……突然……光……みんな……バラバラ……」
 此度の黒絵の発言は意味不明であった。単語をぽつりぽつりと呟いただけ。
 しかし、阿鬼都は何かが気になった。紡がれた単語の集合は、彼に何かを想起させた。
 彼は熟考する。
 そして、解を得た。
 ――わかった! この間の酒呑(しゅてん)たちがやったあれだ! 蜘蛛の山は、あの平地になった山だ!
 その答に確信を得るため、阿鬼都は黒絵に再び疑問をぶつける。
「黒絵。バラバラになったあと、蜘蛛の山には行ってみた?」
「……行こうとした……けど……なかった……山……まっ平ら……」
 彼女の言葉は、阿鬼都の推理の枠をしっかりと補強してくれた。
 続けて、彼女が更なる有益な情報を呈する。
「……だから……黒絵……阿鬼都たちの家……来た……あのとき感じた……光の力……阿鬼都……あっちの二人……感じる……」
 あの場にいた阿鬼都たち三名に、紅葉(もみじ)や酒呑童子(しゅてんどうじ)、清姫(きよひめ)が放った力の残滓を感じたとしても、決して不思議ではない。それに導かれ、黒絵は街を駆け、ここまでやってきたのだ。
 しかし、そうであるならばどうしたものか。
 すでに霧散したのか、もとからなのかは分からないが、黒絵自身からは、紅葉たちの力を感じ取ることは出来ない。そうなると、黒羽についても同じことが言えるだろう。
 加えて、酒呑童子や清姫たちに情報をもらいたいところではあるが、阿鬼都は彼らの居所など知らない。
 ――ふぅ。即時解決、とはいかなそーだな
 嘆息しつつ、阿鬼都は頭を振った。
 しかし、そう悲嘆してばかりもいられない。気を取り直して黒絵に向けて笑いかける。
「だいたいの状況はわかったよ。黒絵たちがまきこまれた光、僕らも関わってたんだ。だから、一緒に思い当たる節を探ってみよう。ぬか喜びさせたくないから、あまり大きいことはいえないけど、頑張るよ。約束する」
 にぱっ。
「……うん……約束……」
 にこり。
 夕焼けが暗闇に変わる頃合、誰そ彼刻に微笑みあう鬼と虫。
「しばらくの間、よろしくな。黒絵」
「……よろしく……阿鬼都……」
 握られる手と手。
 双方、人ならざる者であるけれど、その姿は人の幼子と何も変わらない。
 微笑ましき光景が龍ヶ崎(りゅうがさき)の町に広がっていた。

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