第5章 天女の没落
集いし鬼の末

 日本の某所。情緒あふれる古都風景が並ぶ街中から離れた一画。山に分け入って少しばかり歩いた辺りに、廃寺と間違わんばかりに古い寺がある。平素であれば、その寺は閑散とし、妖怪や幽霊、もしくは不良のたまり場にでもなっていそうな佇まいである。
 しかし、一年に一度、年末年始の五日間だけは、嘘のように息を吹き返す。ボロボロな見た目はともかくとして、埃は取り払われ、人の声が響き渡る。昔の役目通り、活気あふれる集会所へと変貌を遂げるのだ。
 かつて、その寺は――全国に広がる鬼流(きりゅう)たちの寺の総本山であった。

「よくお集まり下さった。まずは儂から、鬼流総代として挨拶させて頂こう」
 すっきりと禿げ上がった白髭の老人――城島藤三郎(きじまとうさぶろう)が、上座にて口上を垂れた。そして、長々と退屈な挨拶を続ける。鬼流総代という大層な名の割に話していることは、今年一年の世情や自分自身の日常、飼っている猫の話など、至って普通の話題であり、何とも平和なものである。
 末席に座る鬼流の一人、木之下幽華(きのしたゆうか)は真面目な顔を努めて造り、退屈しているという実情など一切見せずに前を向いている。そうしながらも――
 ――はぁ。毎年毎年、よく飽きもせずにこんなくだらない集いを続けるものよね。藤三郎様だって普段はここにいないんだから、いい加減ここに集まるのやめればいいのに。去年までは暇だから別によかったけど…… はぁ。柚紀(ゆずき)と初詣行きたかったなぁ……
 脳内では文句を紡ぎすぎな程に紡いでいた。
 ――せめてケータイが繋がればツイッターも使えるしいいんだけど、圏外だし…… 帰りたいなぁ。帰りたいなぁ。本っ当、帰りたいなぁ……
「嬢」
 ――柚紀、何やってるかなぁ。年末の三十日は毎年、天笠(あまがさ)本家だって言ってたし、たぶん天笠の実家に帰ってるよね。天原(あまはら)の集いは確か、鬼流とは違って各家のご当主だけが元日に集まるはずだから、天笠家は阿聖(あせい)様だけがご出席かな。まだ代替わりしてないはずだし。いいなぁ、天原。今からでも木之下家、天原になれないかなぁ。近代になって天原と鬼流どっちも一緒みたいな扱いになってるんだし
「幽華?」
 ――そういえば、天笠家って阿聖様のご長男の樹徒(きと)様が次のご当主よね。でも樹徒様にはお子様がおられないはずだから、次の次の当主って柚紀になるのかしら? それとも、阿澄(あすみ)様ということもあるかしら? けど、阿澄様も独身だし、結局最後には柚紀に回ってきそう。どうなるんだろ? 天笠家当主柚紀、か。ふふ、ちょっとかっこいいかも
「幽華ちゃんや」
 そこで、幽華はまっすぐ前に向けていた瞳に光を戻す。退屈なときにありがちな、目は向いているけれども機能していない、という状態になっていたらしい。ついでに、聴覚もまた音を遮断していたようだ。
 気が付いた時には、集っている鬼流の瞳は全て幽華に向いており、皆、訝しげにしている。先ほど聞こえた声は総代、城島藤三郎のもの。つまりは、藤三郎が幽華に呼びかけたが、それに対する幽華の返答がなかった、というのが現状なのだろう。
「は、はい! 木之下幽華、ここにおります!」
「ほっほっほっ。そう大きな声を出さずとも聞こえておるよ。幽華ちゃんがぼーっとしとるとは、珍しいのぅ」
「いえ、その、申し訳ございません…… 藤三郎様」
 座布団からおり、幽華は深々と頭を下げた。
「よいよい。前々から幽華ちゃんは真面目すぎると思っておった。爺のたわごとなど適当に聞き流すのが若者というものじゃよ」
「父上、そこまで卑下しては総代としての威厳が……」
 総代の隣に座る男性が呆れた声を出した。藤三郎の息子、次期総代の城島武彦(きじまたけひこ)である。父親の遺伝子の為せる業か、白髪交じりの頭は禿げ始めている。
「威厳などいらんいらん。やれ鬼の末裔じゃ、天津(あまつ)様の懐刀じゃと意気込むような時代ではもはやない。平和に楽しゅう生きられればよかろう。総代なぞ今や、年末年始の飲み会の幹事と一緒じゃよ。ほっほっほっ」
「……ふぅ。父上から総代を引き継ぐ日が待ち遠しくなりましたよ」
 武彦が苦笑した。
 藤三郎はもう一度たのしそうに声をあげて笑い、それから幽華に向き直った。
「さて、幽華ちゃん。改めてお願いするよ。若者代表として挨拶を願えるかな?」
「挨拶、でございますか?」
 それはまた突然な、と幽華は呆れた。あらかじめ頼まれていたのであれば考えてもこれようが、こうも唐突では…… とはいえ、断るわけにもいかない。
「承知いたしました。不肖木之下幽華、ご挨拶させて頂きます」
「固いのぅ。まあよい。ではお題は来年の目標じゃ」
 お題があるとは思わなかった。幽華は心内でのみ苦笑し、立ち上がる。
 すぅ。
「お集まりの皆々様。わたくし、鬼之下(きのした)家当主、実明(さねあき)の娘、鬼之下幽華でございます。世は平成となれども、怪異はあいもかわらず生じ得るようで、わたくしどもの地元たる龍ヶ崎(りゅうがさき)町でも、本年は鬼や妖怪が何体も現れ出でました。幸い町民の方々に被害はございませんでしたが、色々と考えさせられる事件でございました」
 阿鬼都(あきと)と鬼沙羅(きさら)の出現。
 彼らや柚紀との戦い。
 土蜘蛛(つちぐも)や酒呑童子(しゅてんどうじ)、他の様々な鬼の出現。雲澄山(くもすみやま)の消失。
 黒一族(くろいちぞく)の黒羽(くろう)、黒絵(こくえ)との交流。
 一年間というよりも、ここ半年で生じた事件である。その中でも特に大きかったのは――
「話は変わりますが、わたくしはこの体に流れる血が、鬼の血が憎くございました。鬼流であることを厭い、その不満の全てを鬼にぶつけ、鬼を殺すことを目標とするのが常でございました」
 ざわざわざわ。
 ざわめきが生じた。幽華にそのような感情があることは周知の事実であった。しかし、彼女の口から明確に語られたことはない。
 藤三郎が嬉しそうに笑う。
「鬼と聞けば憎み、鬼と見れば調伏してまいりました。圧倒的な力を持つ鬼。彼らが人に害を為し得るのは紛うことなき事実であり、彼らが調伏されるのは当然であると考えておりました。けれど――」
 そこで幽華の顔に浮かぶのは、微笑み。
「それは違うと仰って下さった女性がおりました。鬼だから、ただそれだけで全てを決めるのは間違いだと。鬼にも心がある。わたくしが鬼流ではなく木之下幽華という人であるように、鬼にも名があり、尊ぶべき命がある。そう、仰って下さったのです。わたくしは、彼女のその言葉を信じたい」
 彼女の隣に座る白夜知稔(びゃくやちねん)と、そのまた隣の木之下実明が、やはり笑みを浮かべた。
 数秒の沈黙を経て、幽華が語る。
「ここで、わたくしの翌年の目標を述べさせていただきます。わたくしの目標、それは――強くなること。鬼流の血や鬼を憎む心などに負けず、大切な彼女の言葉を信じられる強い心を持つこと。そう在りたいと想う自分で在りたい。ただただ幸福に、生きていきたい。私はほんの少しだけ強く、そして、ほんの少しだけ幸せになりたい。そう、願っております」
 その場に集う者――鬼の末たる鬼流たちは、皆が皆、笑っていた。幽華の心にあった傷を知る者は、皆、嬉しそうに笑っていた。
 皆、彼女の想いを祝福していた。
「お聞き苦しき点が多々ございましたかと存じます。申し訳ございません。若輩ゆえに拙き口上となってしまいましたが、以上をもちましてわたくしの挨拶とさせて頂きます」
 ぺこり。
 幽華が恭しく礼をした。艶やかな黒髪が肩を流れ、するりと落ちる。
 その『するり』を追いかけるように――
 ぱちぱちぱちぱち。
 盛大とはいえない、けれど、温かな拍手が響いた。
 少女は頭を上げ、ぱちくりと瞳をしばたたいて周りを見渡す。そして、指先で髪を整え、照れくさそうに笑った。

 その後も幾名かが挨拶し、時には歓声が沸き、時には野次が飛んでいた。鬼流総会としての荘厳さなど微塵もなく、どう贔屓目にみたところで忘年会の前座の様相を呈しはじめた。そして、当然の如く飲み会に移行する。
 藤三郎のひと声で影に控えていた給仕たちが姿を現し、各々の前に豪華な食事が置かれていく。
「さあて。挨拶やら何やら、堅苦しいことはこれまでじゃ」
 ここまでもそれほど堅苦しいことはしていなかった気もするけど、などと幽華は考えたが、深く突っ込まないことにした。大なり小なり、毎年この調子である。今さら言うまい。
「鬼流の皆よ。今年一年、全国各地でよく頑張ってくれた。今日から五日間は儂ら鬼島(きじま)家からの感謝のもてなし。存分に寛いでくれ。では、飲み物は行き届いたかね?」
 全員できょろきょろと周りを見回す。自分の手、自分の隣の者の手、それぞれにコップが握られていることを確認した。そして、頷きあう。
「よろしい。では、過ぎ行く今年一年に。そして、来年一年の我らの平穏を祈って、乾杯じゃ!」
『かんぱーい!』
 かぁんっ!
 そこここでコップを合わせる音が響く。
 幽華もまた隣の知稔や、気龍寺(きりゅうじ)の他の僧、根津英俊(ねづえいしゅん)、上谷安孝(かみやあんこう)とオレンジジュースの入ったコップを軽く合わせ、甲高い音を打ち鳴らした。ちなみに、実明のカップは華麗にスルーした。
「っと。それじゃ、ちょっと席外すわね。何か聞かれたら適当に応えといて」
「嬢。どちらへいかれるのですかな?」
 知稔の問いを受けて、幽華がスカートのポケットからスマートフォンを取り出した。
「電波入るとこがないか探してみる。柚紀と連絡取れないの嫌だし」
 その応えに、知稔以下、鬼流たちは皆、苦笑した。
 五日間の集いとはいえ、五日間まるまるこの寺で過ごすわけではない。昼間は観光で街中へ出ることもあるし、希望すれば自由行動を取ることも可能なのだ。この場にいる間くらいは外との交流を一時忘れてもよいだろうに。
「じゃ。ちょっとしたら戻るわ」
 ひらひら。
 右手をやる気なさそうに振り、幽華はふすまを開けて、出て行った。

「うぅ…… やっぱどこも電波ないなぁ。明日、柚紀に年賀メールだしたいのに。それに、ツイッターをのぞければ向こうの様子もわかるのになぁ…… 帰りたいなぁ。本っっ当、帰りたいなぁ」
 彼女が今いる場所――鬼流の総本山であった寺は、古びているだけで、栄えていた頃の名残ともいえる広大な敷地は未だ健在である。幽華はその敷地内を西へ東へと歩き回るが、残念ながら電気信号をキャッチすること能わない。
「くちっ」
 ずず。
 小さくくしゃみをして、鼻をすすりあげる幽華。さすがに真冬なだけあって寒さがこたえる。彼女は両腕で体を抱いだ。
 と、そこに――
 ざっ。
「あら。藤三郎様」
 鬼流総代が御身を現した。
「やあやあ、幽華ちゃん。こんなところでどうしたのかね?」
 好々爺然とした人当たりのいい微笑みが、心持ち寒さを緩和する。
「いえ。スマートフォンを使える場所がないか、探していたところです」
「ほぉほぉ。それがスマホかい? 儂のような爺は、そういうはいてくな品はさっぱりでなぁ」
 大げさに感嘆し、藤三郎が言った。
 幽華は思わず苦笑する。
 藤三郎は確かに結構な年ではあるが、体も精神もまだまだ健康であり、なおかつ、その頭脳も身体能力も下手をすれば三十代で通用する。その気になればスマートフォンくらいは使いこなしそうだ。
「ふふ。お戯れを。時に、如何なされました? 私に御用ですか?」
「うん? うむ。まあ、直接用があるのは儂ではないがのぅ」
 歯切れ悪く言うと、藤三郎は幽華を手招きした。
 彼が向かう先は、離れの一室である。
 幽華は首を傾げ、しかし、逆らうことなくついて行く。
「入りますぞ」
「どうぞ」
 藤三郎の問いかけに、部屋の中から女性の――いや、少女の声がした。
 がらっ。
 丁重に開け放たれた障子より、微かな月の明かりが進入する。
 部屋の奥で膝をおっていた少女が照らし出された。彼女はゆっくりと振り返る。ぬばたまの黒髪が揺れた。
 すぅ。
「幽華さん。お久しぶりです。以前に国津(くにつ)とのいざこざでお世話になった時以来でしょうか」
 表情を変えることもなく、少女が言った。アルトの声音が心地よく響く。
「ひ、照(ひかり)様……?」
 幽華は面食らった様子で、呆けた。
 部屋にいた少女の名は天津照(あまつひかり)。十五歳という若さで、天津(あまつ)家の当主を務めている。天津家というのは、高天原(たかまがはら)より降臨したという絶対者の霊気を代々受け継ぐ者たちで形成される家であり、照自身は天照大神(あまてらすおおみかみ)という神の霊気を受け継いでいる。
 つまり、ありていに言えば、天津家は神々の家系であり、照は神様ということになる。
「突然の訪問、申し訳ございません。本来であれば、しかるべき手順を踏んで龍ヶ崎町まで赴くべきなのでしょうが、ちょうどこちらへいらしているとお聞きし、藤三郎様のみにお話を通して、このようなお楽しみの時にお邪魔をすることとなってしまいました。お許しください。私は何かとしがらみが多いもので……」
「いえ、それは構いませんけれど…… なぜ照様が私に?」
 問われると、照は一度目を閉じ、それから話し始めた。
「酒呑童子(しゅてんどうじ)と一戦交えられたと聞きました。……強かった、ですか?」
「……? ええ。他の鬼の横やりがなければ負けていたでしょう」
 訝りながらも、幽華が頷いた。
 その様子を、照の瞳がまっすぐに見つめる。
 しばらくその場を、沈黙が支配した。
「あの? 照様?」
 照が真一文字に結んでいた唇を開く。
「何か他に、ありませんでしたか?」
「……………?」
 幽華が、心の底から不思議そうに、ただ首を傾げた。
 彼女のそのような様子を瞳に写し、照はようやく視線を和らげた。息をふぅと吐き、緊張を解いたようだ。
「すみません。少し心配だったのです。私の体には古代から脈々と続く天照大神の霊気が流れています。その霊気に宿る記憶に、酒呑童子と呼ばれる藤原保輔(ふじわらのやすすけ)がおり、そして、幽華さんの祖先である橘時重(たちばなのときえ)がおりました。仮に、我々天津神同様に、幽華さんにも橘時重の記憶――いえ、霊気が少しでも宿っていたなら、その記憶は貴女の心を蝕むだろうと、そう勘ぐっていたのです。古い縁は悲しみを秘めておりますから」
 そう口にした照は、小さく微笑んだ。哀しそうな、微笑みだった。
 彼女は年若いというのに、永遠ともいえる時を過ごしてきた記憶をもって、生きているのだ。
 その苦しみも、彼女が口にした古い縁も分からないけれど、幽華はやはり寂しそうに微笑む。
「さて、忙しき滞在となっていましましたが、私はこれで失礼いたします。藤三郎様、ありがとうございました」
 照がすぅと立ち上がり、流れるように礼をした。
「なんのなんの。詠(よみ)様と佐乃(さの)様にもよろしくお伝えください」
「ええ。今は年末年始。私も本家に戻っておりますので、あの方たちと嫌でも顔を合わせますし……っと、失言でした。お忘れください」
 神が悪戯っぽく笑った。
 対する鬼流たちも、一人はおかしそうにほっほっほっと声を上げて笑い、一人は困ったように苦笑する。
 詠と佐乃というのはそれぞれ、月讀命(つくよみのみこと)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)の霊気を継ぐ者である。
 天津詠は八十五歳の老人で、年若い照に助言を与える役割を持っている。役職としては当主代理だ。しかし、実質、天津家の当主権限は彼が握っていると専らの噂で、傀儡と化している照は彼を大層苦手にしている。
 天津佐乃は四十四歳の中年男性である。天津家の戦闘部司令官を務めている。彼は腹芸の出来ない性格で、照を政治的な意図で操ろうなどとは一切考えていない。しかし、何かと武術訓練を押し付けようとする体力馬鹿の気質があり、やはり照は苦手としているようだ。
 そういった苦手意識が全てではないだろうが、現在、照は北の地――青林(あおばやし)に居を構えて、かの地の県立中学校に通っているという。苦手な御二方にお会いするのも久しぶりなのだ。
 照の先の失言は、そのような事情から来るのだろう。日本神話の最高神であっても気苦労が絶えないのが、現代のストレス社会なのだ。
 嫌な親戚との嫌な会席、という庶民らしい事情はともかくとして、天津家は鬼流や天原から見れば上流階級の者たちと言ってよい。ある意味では日本の中枢でもある。幽華も、歳の近い照とは交流の機会もあるが、詠や佐乃とは話をしたことすらない。
 下手な発言は控えたいというのが本音だった。ゆえに、幽華は二の句を継げずに苦笑し続ける。
 一方で、藤三郎はさすがに年の功。柔和な笑みを浮かべて、恭しく礼をし、挨拶を口にする。
「天津宗家の皆様も年末年始はお忙しいでしょう。照様もご自愛なされよ」
「はい。気をつけます。藤三郎様もご無理をなさいませんように」
 照はそう応えてから、幽華へと視線を向ける。
「幽華さんもよい年末年始を」
「え、ええ。照様もよいお年を」
 動揺から回復しきっていない幽華が、引きつった笑みを浮かべて年末の挨拶を口にした。そして、丁寧に礼をする。
 ぺこり。
 天照大神もまた深く頭を下げ、すぅと足音を立てずに移動する。
 たっ。
 部屋から縁側へと出た彼女は、寒空へとその身を投じた。天神は羽衣もなく、夜空を翔け上がっていった。
 そうして、数分と経たずに星の瞬きに混じり、訪問者はその姿を消した。

 古い時代に都として栄えた街。そこから直ぐの山――大江山にて、大柄な男が腰を下ろしていた。火を囲み、暖を取っている。男は大きく伸びをしてから、地面に転がしておいた古文書を手に取った。
 ぱらぱらぱら。
 薄暗い火を光源に書を読む。そこには、男にとって既知のことしか書いていなかった。
「俺様と頼光(よりみつ)、茨木(いばらぎ)たちと天原の民の戦い。結末は、頼光――当時の素戔嗚尊が率いる天原軍勢の勝利。酒呑童子の軍勢――俺たちは敗れ、部下を二名、金童子(きんどうじ)と熊童子(くまどうじ)を失った、か。ふぅ。俺たちのこたぁ書いてるが、時重(ときえ)のことが書いてねぇんだよな、どの資料も」
 どさっ。
 古文書を放り投げ、男――酒呑童子が寝ころぶ。
「ふわあぁあ。ねっみぃ。もお、めんどくせぇや。あとは茨木、虎熊(とらぐま)、星熊(ほしぐま)に任せて、寝るか。たまにゃあ、夢に興じるのもいいだろ」
 ごろん。
 ……ぐおぉおぉおおぉお。
 直ぐにいびきが響き始めた。
 さわさわ。
 大江山の古参の木々は、懐かしい騒音を耳にし、ざわめいた。

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