龍ヶ崎町。大晦日の18時30分頃。天笠櫂(あまがさかい)、瑠実音(るみね)、柚紀(ゆずき)、慎檎(しんご)、柑奈(かんな)の5名が、天笠本家がある関西方面から戻ってきた。新幹線と鈍行電車、バス等を利用した5時間の旅路に、全員がぐったりしていた。
瑠実音がショルダーバッグから鍵を取り出し、錠を開ける。そして、直ぐさま末っ子の柑奈が荷物を兄、慎檎に押しつけ、奥へと向かった。暖房をつけて心地よさを甘受するために、居間へと急いだ。
「あれ?」
そこで、彼女は不可思議な事実に直面する。居間の電気が煌々と輝いていたのである。
天笠家には彼女たち5名の他に誰も居ないはずだ。つまり、出かける際に電気を消し忘れたのでもない限りは、居るはずのないモノが居間にいるということになる。
柑奈はそこにいるだろうモノを探るため、瞳を閉じた。意識を集中し、気配をとらえる。
――ん? この気配って……
はっと視線を上げ、彼女はぱちくりと瞬きをする。そうしていると、後ろから荷物を持った姉の柚紀がやって来た。
「ちょっと柑奈。自分の荷物は自分で持ちなさい。慎檎だって疲れてるんだからね」
飛んだ注意の言葉を意に介さず、柑奈は姉に悪戯っぽい視線を向ける。
にぱっ。
「お姉ちゃん。居間にフリーダムな子たちがいるみたいだから、怒鳴る準備しといてね」
「は?」
訝しげに尋ね返した姉を尻目に、妹はトトトッと軽く駆ける。そして、勢いよく居間へと続く扉を開けた。
そこには――
「やっと帰ってきたし。この家、おやつあんまりないし餓死するとこだよ、まったく。柚紀、僕お肉食べたい」
「わたしには新しいお菓子の作り方教えてー。もらったレシピ本、全部作っちゃった」
「……外……寒い……おじゃま……してます……」
鬼が2名、妖怪が1名いた。それぞれ、名を阿鬼都(あきと)、鬼沙羅(きさら)、黒絵(こくえ)といった。
彼らがくつろいでいる空間は、お菓子の袋が方々に散乱しており、お菓子くずもまたポロポロとこぼれ落ちている。きれい好きの人間から見れば、まさしく惨憺たる有様といったところだろう。
柚紀はその様子を見渡し、こめかみをひくつかせた。阿鬼都と鬼沙羅が宿る指輪を天笠家の自室に置いていったのは彼女自身である。また、お腹が空いたら冷蔵庫のものを食べてもいいし、テレビなどを観てもいいとは言ってあった。しかし、ここまで自由に振る舞って良いなどと言った覚えは勿論ない。更に言えば、黒絵については招き入れた覚えすらない。阿鬼都が勝手に招いた可能性は大だろう。
「阿鬼都。鬼沙羅。何を……しているの?」
尋ねられると、鬼2名は考え込んだ。改めて何をしているかと問われると、どう応えたものだろうと悩ましかった。
小首を傾げてかわいらしく考え続け、そして――
『紅白観る準備中』
何とも日本人らしい結論を導き出した。
イラッ。
柚紀の口元が歪んだ。そして、目つき鋭く、彼女は叫ぶ。
「やかましいっっ!! さっさと片付けてそこに正座ぁっ!!」
柚紀の小言中も、阿鬼都と鬼沙羅は憎たらしい茶々を入れ続けた。結果、説教タイムはのびに伸び、その終焉は小1時間ほども後のこととなった。
「紅白始まっちゃったじゃん。柚紀空気読めよなー」
「KYだよねー。そんなだから山田柚紀になり損ねるんだよー」
イラッ。
再三の憎まれ口に、柚紀は懲りもせずに腹を立てる。
しかし、いい加減にしないと一晩中怒り続けることになりそうだ、と気を取り直し、居間でくつろいでいる家族に瞳を向ける。彼らにはまだ、正式に鬼子たちを紹介していなかった。
「こほん。皆、もう人づてに聞いてるのかもしれないけど、改めて紹介するわね。この子たちは阿鬼都と鬼沙羅。ひょんなことからこの指輪に宿ることになった鬼の子よ」
柚紀は右の手の平を開き、2対の結婚指輪を皆に見せる。
それらは嫌な思い出が満ちあふれている物のはずではあるが、当の柚紀は特に気にした風もない。そのような彼女を瞳に映し、天笠家の面々は小さく微笑んだ。
一方で、柚紀は彼らの様子に気づく風もなく、示す腕を鬼子2名から妖怪へと遷移させる。
「それと、そちらにいる子は黒一族とかいう妖怪一族の子で、黒絵ちゃん」
そう口にしてから、柚紀は阿鬼都たちに向き直る。そして、彼らには天笠家の面々、櫂から始まり、年齢順に瑠実音、慎檎、柑奈を簡単に紹介した。
「よろしくー」
「……よ、よろしく」
「……………」
元気よく手を上げる阿鬼都。
阿鬼都の陰に隠れておどおどと呟く鬼沙羅。
無言で深く礼をする黒絵。
三者三様の挨拶を瞳に映し、天笠家の顔ぶれもまた、それぞれに軽く挨拶した。彼らは鬼子たちと彼らに付随する一連の事件について、以前から認識していたため、特に驚いた風はない。
しかし、柑奈のみは訝しげな表情を浮かべ、しゃがみ込んだ。阿鬼都たちの顔をのぞき込み、尋ねる。
「おかしいなー。君たちだけ? 他にも気配を感じるんだけど?」
「勘九郎じゃないのか?」
紅白に意識を集中しながら、慎檎が言った。
勘九郎とは、彼の部屋に置いてあるアナログテレビに宿る付喪神である。平素であれば慎檎の部屋で大人しくしているのだが、用さえあれば居間にも台所にも顔を出す。
「ううん。あちきさんじゃないよ。あんまり感知したことのない気配だもん。ただ、前に何かの時に感じた――あ! そうだ!」
ぽんっ。
手を打ち、姉の柚紀に瞳を向ける柑奈。
柚紀は驚き、ぱちくりと瞬きした。
「な、何?」
「お姉ちゃんと鬼沙羅ちゃんに頼まれて黒絵ちゃんのお兄ちゃんを探した時、駅前から感じた気配と一緒だ。悪さをしそうな気配でもなかったし、あの時は気にしなかったけど…… たぶん、阿鬼都くんたちと一緒で、鬼の世の鬼だと思うよ」
柑奈の言葉に柚紀は首を傾げる。『鬼の世の鬼』という表現に疑問を覚えたためであったが、その疑問は一旦忘れることとする。それよりも、天笠家内にいると柑奈が主張している存在に意識を向けるべきだろう。
「鬼? そういえばあの時、清姫さんが阿鬼都たちと一緒に居たわよね? ……あんたら、黒絵ちゃんだけじゃなくて、清姫さんも勝手に入れたの?」
その問いかけに、心外だという風に阿鬼都が頬を膨らませる。
「清姫なんて知らないよ! 何でもかんでも僕らのせいにされちゃ困るなー!」
「ほんとだよ! 柚紀ってばひどーい!」
ぷいっ。
そっぽを向いて口をとがらせる鬼子たちに、柚紀は眉根を寄せる。彼らの様子は、偽りを述べている風ではない。とすると――
ちらり。
黒絵の様子を盗み見るが、彼女もまたきょとんとした表情を浮かべて阿鬼都を見ているだけである。あまりよく知らないだろう鬼を招き入れた様子はない。
「……柑奈、気のせいじゃない?」
「むぅ。それは柑奈も心外だよ! こんなにはっきり感じるんだもん! 間違えようがないよ!」
3人目がへそを曲げた。柚紀の周りで文句を紡ぐ声がどんどんと増殖していった。
彼女がうんざりと項垂れる一方で――
「あらまあ、皆様。わたくしのために争わないで下さいませ。清はどなたに招き入れて頂かずとも、お宅にお邪魔いたすことができますわ。壁抜けが得意なんですの」
にこり。
居間の壁を抜けて顕れた女性――清姫が、柔らかく微笑みながら言った。
彼女の手には、柚紀の部屋にしまわれていたDVDポータブルプレイヤーが収まっていた。画面からは、何やらアクション映画らしき映像がちらほらと窺える。
そこで清姫は、はっと何かに気づいたようにDVDプレイヤーを食卓に置く。そうしてから、深く深く腰を曲げた。
「お初にお目にかかります。わたくし、清と申します。ご挨拶もなくお上がりしてしまいましたこと、誠に申し訳ございませんでした。この年の瀬に独りでいるのが寂しく、つい……」
瞳を落とし、着物の裾で目元をぬぐう清姫。
その様子を呆気にとられて見つめ、天笠家の面々は沈黙する。
その一方で、鬼子たちはぶーぶーと文句を紡ぐ。
「清姫のせいで僕ら無駄に疑われたじゃんかー!」
「清ちゃん空気よめー!」
ぽんぽんと飛び出す不満に、清姫はぺこぺこと丁寧に低頭する。
「申し訳ございません。申し訳ございません。阿鬼都様。鬼沙羅様」
「そう簡単には許せないなー。あ、僕ちょっとプリン食べたいなー」
「わたしもー。あとチーズケーキもー」
要求が出された。
清姫は自信満々に頷き、踵を返す。
「お任せ下さいませ、阿鬼都様。鬼沙羅様。これよりこんびにえんすすとあに赴きまして、倉にございます甘味数点をお持ちいたし――」
「ストップ! ストップ! 待って!!」
常識的な思考回路を持った人の子が、慌てて清姫を抱き止める。
突然後ろから抱きつかれた清姫は、小首を傾げ、あら如何いたしましたか、と不思議そうに呟いた。
はぁ。
苦労の絶えぬ人の子は、鬼に抱きついたままで小さくため息をついた。
美しい高画質の画面を誇るディジタルテレビから流れ出るメロディに、鬼女たる清姫と天原の民たる柑奈が瞳を輝かせ、非常に楽しそうにリズムを取っている。今にも立ち上がって踊り出しそうな様子である。
一方で、他の天笠家の面々や鬼子、妖怪は思い思いに過ごしている。
天笠家の大黒柱、櫂は読書、細君の瑠実音は編み物、息子の慎檎は携帯ゲーム、娘の柚紀は双子の鬼と妖怪の相手をしている。
そして鬼子である阿鬼都、鬼沙羅と妖怪である黒絵は、ジグソーパズルを組み立てていた。500ピース程の手頃なサイズのものではあったが、阿鬼都と鬼沙羅は早々に飽きて柚紀をからかいにかかっている。その傍ら、黒絵は熱心に完成を目指してピースを合わせていた。
ぱち。ぱち。
順調に出来ていく絵に、柚紀が感心する。
「凄い集中力ね。あんたらも見習いなさい」
前半を黒絵に向けて、後半を阿鬼都と鬼沙羅に向けて言った。
阿鬼都はぷいっとそっぽを向き、口をとがらせる。
「無理。イライラする。サッカーの方がいい」
「わたしもどっちかってゆーと料理の方がいーなー。柚紀、何か教えてー」
鬼沙羅が柚紀の腕に抱きつきねだるが、夕食は既に済ましており、夜食にしては早すぎる。そもそも誰もお腹は空いていないと思われる時間だ。作ったとしても冷蔵庫に放置する結果となるだろう。
「駄目。パズルが嫌なら紅白観てなさい。黒絵ちゃんはやってていいからね。もっとやりたければ違うのもあるから」
押し入れには未完のジグソーパズルが多数ある。実のところ、過去に柚紀が阿鬼都たち同様に飽きて放置していたものである。
「……うん……」
コクリと頷き、黒絵は小さく笑う。
その様子を瞳に入れて柚紀は、彼女が例の黒い虫から変化した妖怪でさえなければ素直に可愛いと思っただろうに、と苦笑する。黒絵に未だ触れられないのが、彼女の悩みであった。
――まあ、徐々に慣れていこう。なるべく
人知れず決意する一方、柚紀は阿鬼都と鬼沙羅をテレビの前に連れて行く。
「ほら。あんたらも歌好きでしょ?」
「演歌はいやー」
「次はK−POP? 韓流もきらーい。違う特番みない?」
拳をきかせている女性を瞳に入れ、まず鬼沙羅が文句を言った。続けて、阿鬼都が白組の次のアーティストに眉を潜めた。
そんな彼らの言葉に反応を示すのは、彼らと同じ世よりやって来た女性である。
「まあ、阿鬼都様。鬼沙羅様。清はこのように様々なお歌を拝聴するのは初めてなのです。後生でございますから、どうかこのまま観させてくださいませ」
瞳に涙を浮かべ、清姫が深々と頭を下げる。
そこまでされると、阿鬼都も鬼沙羅もあえて他の番組を観たいとは思わないよう。しかし、意地の悪い笑みを浮かべてから考え込むふりをした。これを機に、清姫に何か要求をしようという腹づもりのよう。
そして、
「じゃあ暇つぶしに清姫の昔のこと話してよ」
「あー、いーねー。ちゃんと聞いたことなかったし」
そう言った。
清姫は瞳をぱちくりさせて寸の間黙ってから、にこりと微笑んだ。
「ようございますよ。わたくしなどの昔話でご満足いただけるのであれば。ただ、てれびじょんが気になりますので、たまに中断することもございましょうけれども……」
「別にいーよ、そのくらい。ねー、お兄ちゃん」
「だな。どうしても聞きたいとか集中して聞きたいとかってわけでもないし」
阿鬼都のあんまりな言葉に、しかし、清姫は気にした風もなく、それでは、と微笑んだ。
一方で、
「……話をねだっておいてそれはどーなの?」
横で聞いていた柚紀が、代わりに思わず呟いた。
しかし、鬼たちは人の言葉に反応することなく、ようよう昔語りを始めた。