第6章 憑き従う糸
届けてはならぬ声

 龍ヶ崎中学校から少しばかり離れた場所に在る小さな公園。昼間であれば親子連れで賑わうその園も、夕刻ともなれば閑散としていた。学校帰りの小学生が2名はしゃいでいる以外は、これと言って特筆すべきことも無い。
 そのような場所に、柚紀と阿鬼都、鬼沙羅、そして、薫は居た。双生の鬼子は子供らしくブランコで遊んでいるが、大学生2名は言葉少なに暗い顔で佇んでいる。
 タッタッタッタッ!
 軽快な足音が聞こえてきた。公園の入り口に瞳を向けると、黒髪の少女がとても嬉しそうに全力疾走していた。
「お姉ちゃーん!!」
 叫びつつ、ガバッと柚紀に抱きつく少女。
「……あのねぇ、柑奈。そろそろその抱きつき癖、直しなさい」
「やだやだ! 柑奈の迸るお姉ちゃんラブはエターナルだもんッッ!!」
 よく分からないことを口走る妹――天笠柑奈を瞳に映し、柚紀は大きなため息をついた。

「それで? 頼みたいことって薫さんのこと?」
 しばし柚紀との雑談に興じた柑奈は、やにわにそう尋ねた。
「まあね。阿鬼都と鬼沙羅が、もっと感知が得意な人に見て貰った方が、って言うのよ」
 柚紀の言葉を受けて、柑奈はブランコで遊んでいる阿鬼都と鬼沙羅に瞳を向ける。そして、苦笑した。
「この間まではふつーだったもんね。何でこんな急に……」
 そう呟いて彼女は、封じるとしたらお祖父ちゃんかなぁ、幽華さんのなんで解けたんだろ、などと独白した。しきりに首を傾げて不思議がっている。
 幽華さんとは、勿論、木之下幽華のことである。そして、お祖父ちゃんとは、柚紀と柑奈の祖父、天笠阿聖(あせい)のことだ。彼は天笠家の当主であり、柑奈の遥か上をいく実力を有しているとか。
 そのような実力者の力が必要ということは――
「……薫を襲った奴、そんなにやばいの?」
 思わず暗い顔になって、柚紀が尋ねた。その隣では、薫が一層顔色を悪くしており、もはや土気色といっていい具合になっていた。
 そんな彼女たちをきょとんとした顔で見回して、柑奈は突如破顔した。
「あー、そっちのお話だったの? なら全く問題なしだよー」
『へ?』
 あっけらかんとした言葉を耳にし、柚紀と薫は全く同時に間の抜けた声を上げる。そして、呆けた。そっちってどっちだろう、という疑問を覚えて首を傾げる。
 一方で、柑奈はケタケタと騒がしい笑い声を上げながら喋っている。
「薫さんの体に残ってる微かな気配からして、襲ってきたのは付喪神っぽいかな。実力的には……そんなでもないね。柑奈は調伏とかお祓いとか、とにかく攻撃全般が苦手だから無理かもだけど、阿鬼都くんや鬼沙羅ちゃんなら全然問題なく追い払えるよ。なんならお姉ちゃんでもだいじょぶかもだよ」
 先程までの重い口ぶりとは裏腹に、軽快に言の葉を繰る柑奈。
 付喪神――長い年月を経た道具が成る妖怪である。大事に扱って貰えた喜びが転じて変ずる和魂(にぎみたま)と、ぞんざいに扱われた恨みが転じて変ずる荒魂(あらみたま)の2種類がおり、薫を襲ったのは後者であろう。
「あんな鬼面のお人形なんて持ってた覚えがないけど……」
「姿形が付喪神に変じる前と一緒だとは限らないですよ。塵塚怪王(ちりづかかいおう)なんていう、塵芥が付喪神に転じた例もあるみたいですけど、塵芥そのままじゃないし。っていうか、塵のまんまだったら風で吹き飛んじゃう」
 箸が転がってもおかしいお年頃というやつか、柑奈が甲高い笑い声を響かせる。騒々しさは辟易ものだが、口にしていることは正しい。なれば、鬼面の付喪神だとて、元が鬼面ということもないのだろう。
「そもそも、最近何か捨てたっけ? 覚えが無いなぁ」
「薫が物をぞんざいに扱う場面が想像できないわね」
 明るい性質で気も優しい薫は、人当たりは勿論いいし、物当たりもいい。付喪神になるほど恨む所持品があるとは思えなかった。
「んー。薫さんのせいで付喪神になったわけじゃないと思うよ。襲われたのは恨まれてるからじゃない」
 柑奈が言った。
 しかし、恨まれているわけでないのならば、なぜ襲われるのか。
「……だから結局、お祖父ちゃんに連絡しなきゃかなぁ。付喪神をどうにかしても、だよね」
『?』
 小さな独白に、柚紀と薫は疑問符を浮かべて黙り込んだ。結局のところ、大丈夫なのか大丈夫ではないのか。よく分からない。
「話終わったー?」
「飽きたー」
 その時、鬼子たちがトコトコとやって来た。ブランコ遊びに飽きたらしい。
 柑奈はしゃがみ込んで、そんな子供たちと目線を合わせる。
「あのね。たぶん分かってると思うけど…… 薫さんを襲ったのは付喪神。阿鬼都くんでも鬼沙羅ちゃんでも、問題なく対処できるレベルだよ」
「知ってるし」
「そのくらいはわかるもん。薫はわたしが守るよ」
 生意気な口調で言い返した双子に、柑奈はアハッと笑みを浮かべて軽く謝る。そうしてから、やにわに表情を硬くする。
「で、疑問に思ったのはこっちだと思うんだけど……」
 柑奈は、阿鬼都と鬼沙羅のみに聞こえるように声を抑えた。
 双子もまた、耳をそばだてて聞く。
「何なんだろ?」
「さあ。っていうか、阿鬼都と鬼沙羅で対処できるなら別に柑奈に会いに来なくてもよかったんじゃないの」
 薫を襲ったのが付喪神だと判じており、なおかつ、鬼沙羅が薫を守ると決意しているのであれば、わざわざ柑奈を尋ねてきた甲斐がない。このあとケーキをおごらされるだろうことを思うと、尚更だ。
 財布の中身を検分してため息をつく柚紀。
 薫はその隣で苦笑する。顔色は未だ悪いが、幾分かマシになったようだ。
「なるほどねー。そーいえば、土蜘蛛(つちぐも)がこっちに来たのも薫のためだったもんな」
 柑奈との内緒話が終わったのだろう。阿鬼都が腕を組みつつ独白した。
 一方で、鬼沙羅は指で髪を梳きながら、不安げに瞳を落としている。
「なら、薫の力がここにきて強くなったのは…… お、お兄ちゃん」
「……まあ、分かってたことだろ? 前からさ」
 ガシガシと乱暴に妹の頭を撫でる鬼子。彼の声は明るかったが、表情には陰りがあった。
「とにかく、薫んちまで行こうよ。そろそろ暗くなってきたし、付喪神も現れてくれるんじゃない?」
 一転、阿鬼都が表情を明るくして言うと、皆、首肯した。
 柚紀と薫などは話についていけていない節があり、色々と尋ねたいのは山々なのだが、まずは当面の問題に片をつけるのが先決と判断した。
「柑奈はお祖父ちゃんに連絡してみるよ。天笠本家当主のお力を借りるとなると、ちょーっとお高くなっちゃうかもだけどねー。あはっ」
 と、柑奈。
 その言葉に、薫の表情がこれまでとは異なる理由でひきつる。ギギギと首を動かして、隣で苦笑している柚紀へと瞳を向ける。
 柚紀が不思議そうな瞳で、どうかしたか、と尋ねると、薫はぎこちない笑みを浮かべた。
「……あのね。……いかほどで……?」
「へ? あー、そういうこと? いや、別に――」
 得心した柚紀がすぐさま否定の言葉を口にしようとした、その時、
「ポテチがいいな」
「わたしはプリン」
 双子が一切の遠慮無く報酬を要求した。
 その上――
「お姉ちゃんは柑奈にチーズスフレを買ってね。お祖父ちゃんへの連絡代としてミルフィーユとショートケーキも。んーと、それぞれ2切れずつがいいな。あ、勿論、綺羅星堂のだよ?」
 と、天笠家の末の妹がのたまった。
 綺羅星堂のケーキはおいしいのだが、割高だ。ケーキ6切れともなると、新渡戸さんが3枚ほど財布から消えるだろう。そのことを思い、柚紀は肩を落とす。今月の残りのやりくりに頭を悩ませることになりそうだ。
 一方で、薫はほっとひと息ついている。現金で高額請求をされるのでは、と考えていたのだが、ポテトチップスとプリンで済むのであれば、新渡戸さんも1枚でいいだろう。天笠家当主、阿聖の助力を請う場合にはおやつなどでは済まないだろうが、当面は金銭的弊害はないと言える。
「どーしたんだろーな」
「さあ?」
 対照的な反応を示している2名を見やり、阿鬼都と鬼沙羅は小首を傾げる。
 そして柑奈は――
「あ、やっぱり季節のフルーツケーキもいいなぁ。あはっ」
 さすが末っ子、わがまま放題で容赦がない。
 時は夕刻。魔物が蠢き始める逢魔時のことであった。

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