第6章 憑き従う糸
蜘蛛憑き

 人の世から隔絶された空間にて、女性が腕を組んで佇んでいた。その女性は口を真一文字に結び、苦々しげな表情で真っ直ぐと前を見つめている。彼女の視線の先には――巨大な蜘蛛が居た。彼は濃い闇に紛れて草地にうずくまっている。
「……土蜘蛛よ。食事もせずに、いつまでそうしておるつもりだ」
「………………………………………………………………………………」
 はぁ。
 特に反応を示さずに口を噤み続ける蜘蛛に、女性は深く嘆息する。そして、踵を返した。
「貴様の力が弱まれば、なるほど、人の世の蜘蛛憑きの力も弱まろう。しかしな。限界があるぞ」
 遥か遥か昔に土蜘蛛と心を通わせた人間――蜘蛛憑き。異端の力を得たその人は、鬼流の一形態、憑き物筋として差別を受けた。時を経て、蜘蛛憑きは久万月と呼ばれるようになり、久万月家は憑き物筋の家系として近代まで蔑視されてきた。その子孫が、久万月薫である。
 薫はかつて土蜘蛛と心を通わせた人間の性質を強く受け継いでおり、彼女は強大な妖怪である土蜘蛛の力をその身に取り込むことができる。力強さだけでいけば天津神相当と成り得た。
 ともすれば、力の源である土蜘蛛が弱れば、それに伴って彼女の力も弱まる。そして、蔑視の元たる蜘蛛憑きの力も影を潜めるのである。
「鬼の世を隔絶する結界が弱まる中、蜘蛛憑きに影響を与えないためには貴様自身が弱るしかない。しかし、鬼の世の住人たる貴様はどうあがいても死なぬ。なれば、蜘蛛憑きが力を完全に失うことは不可能だ。そろそろ悪あがきをやめて何か口にしろ」
 ざっざっざっ。
 足音を響かせて去って行く女性を見送り、土蜘蛛は視線を落とす。
「……………ごめん……………紅葉……………」
 呟いて、彼は再び草地にうずくまった。女性――紅葉の言う『悪あがき』を続けるつもりらしい。
 彼の大切な者が、人の世で蔑まれることなく済むようにと。

「古くから土地に住まう者にとって、久万月の名は鬼流と同様に穢れの象徴です。儂の妻、より子はその穢れを弥生や薫に背負わせんとして、彼女たちの力を封じました。より子自身の蜘蛛憑きの力、そして、気龍寺の先代住職智慶(ちけい)様のお力により、弥生の力は完全に消し去ることが出来た」
 薫の母である弥生からは、確かに何も感じない。柚紀でさえ、今の薫からは違和感のような何かを受ける。それが『力』であるなら、そのような違和感は弥生にはない。
「一方で、薫に宿る力は強すぎるらしいのです。この世に生を受けた時には既に、より子の持つ蜘蛛憑きの力を凌駕していた。より子であろうと、智慶様であろうと、薫の力を完全に消し去ることは出来ませんでした。せめて、一切の力を持たぬと見せかけるように、彼女の力を最小限に抑え続けることしか……」
 しかし、より子は3年前に他界し、智慶もまた何時までも若くない。その上、薫の力はこの間から急速に強まっている。その結果、彼女の霊的な力強さが雑多な妖怪や幽霊を寄せ付けている。
 そのような細かいことは柚紀の知るところではないが、朝璽の語った内容と現状から、薫の蜘蛛憑きの力が強まっていること、そして、薫が鬼面の女に襲われた原因というのも彼女の蜘蛛憑きの力に依るだろうことを察した。
「天笠様。より子は生前、薫の力を封じ続けるには、智慶様のご令孫、幽華様や、天原の民たる天笠家のお力を借りねばならぬと申しておりました。貴女様がこうしていらしたことで、儂はてっきり……」
 どうやら朝璽は、霊的な力を感知できるわけではないようである。薫に起きている変事について何も知らないらしい。ここで柚紀が何も言わなければ余計な心配をかけることはない。
「……いえ、私は天笠家の人間ですし、一応は天原の民としての力もあります。けれど、今回ここを訪れたのは、そういった事情ではありません。友人の――薫さんのお家を訪ねた、ただそれだけのことです」
 にこりと微笑んだ柚紀。その顔は困ったように陰っていた。当然ながら、長い年月を生きた朝璽を誤魔化せるわけもない。
 しかし、朝璽は同じく困ったように笑い、深く礼をした。
「どうか、薫を――大事な孫娘を、よろしくお願いします」

 朝璽と共に居間へ顔を出すと、阿鬼都と鬼沙羅がおやつを食い散らかしていた。ポテチとプリンは既に食べ終えたらしく、ケーキにフォークを入れている。
「ちょっと! 食べ過ぎは駄目よ! お腹痛くなったらどうするの!」
「別にだいじょぶだし」
「柚紀、心配しすぎだよ。むぐむぐ」
 口いっぱいにショートケーキを含み、くぐもった声を出す双子。全く悪びれる様子が無い。
「駄目って言ってるでしょ!!」
 柚紀はついついいつもの調子で怒鳴ってしまう。そして、直ぐにはっと息をのんでバツが悪そうに頭をかく。
 一方、注意を受けた双子は全く気にする風もなくケーキを食べ続けている。柚紀の怒鳴り声など慣れたもの、といった様子だ。
 ――ったく
 心中のみで毒づき、そうしてから柚紀はふと気づく。
「あ、あの、ごめんなさい。阿鬼都くんと鬼沙羅ちゃんが可愛くてつい甘やかしちゃって…… そうよね…… こんなにおやつばっかり食べさせたら駄目よね…… あう」
 薫の母、弥生が涙をこらえて反省していた。
 非常に困る状況であった。泣く子には勝てないというが、子ではなくても勝てない時には誰が相手であろうと勝てない。
「あ、いや、その…… 別にお母さんのことを怒ったわけではなくて……」
「柚紀ー。うちのお母さん、泣き虫だから気をつけてねー」
 ――情報が古いっ!
 満面の笑みで今さらの情報を開示した友を瞳に映し、柚紀はただでさえきついと言われる目つきを更に険しくして睨み付ける。
「柚紀、こわーい」
 母とは対照的に、娘は睨まれても何処吹く風で脳天気に笑っていた。

 結局、全員でおやつをおよばれして歓談した。双子は、柚紀が弥生に気を遣って大人しくなったのをいいことに、ケーキを更に1切れ追加で頬張った。怒り顔で柚紀も1切れ食べる。そうしているうちに、薫の父、久万月藤也(とうや)が帰宅して、その頃には既に22時になろうとしていた。
「っと、流石にそろそろお暇しないと……」
 柚紀が呟くと、薫はびくっと体を震わせた。
「か、帰っちゃうの?」
 薫が怯えた表情を浮かべ、かすれた声で尋ねる。阿鬼都と鬼沙羅のおかげで付喪神が姿を隠したゆえ、楽しく歓談できるまでに気分も上向いたが、根本的なところが解決していない以上、不安を覚えるのは当然だろう。
 柚紀は寸の間考え込み、左手の人差し指につけていた指輪を外す。その指輪には、鬼子のひとりである鬼沙羅の力が宿っている。
「鬼沙羅」
 柚紀が呼びかけて手招くと、鬼沙羅はくぴくぴと飲んでいたジュースのコップをテーブルに置いて、トコトコとやって来た。そして、そのまま柚紀につれられて廊下に出る。
「なあに、柚紀?」
「薫を襲おうとしてる付喪神って、あんただけで対処できる?」
 突然の質問に、鬼沙羅は瞳をぱちくりと瞬かせる。しかし、直ぐにあっさりと頷いた。
「うん。全然大したことないみたいだし」
 期待通りの答えだった。ならば――
「じゃあ、今夜は薫と一緒に居て。阿鬼都も鬼沙羅も居なくなったら、その付喪神が薫の部屋を直接襲撃してこないとも限らないし」
 指輪を差し出して、柚紀が頼む。
「いいよー。えへへ、お泊まりだー」
 鬼沙羅は快諾してパシっと勢いよく指輪を受け取る。そして、嬉しそうに頬を染めて薫の元へと駆けていった。その後を追って柚紀も歓談の場へ戻る。
「薫、薫ー。今日泊めてー」
「う、うん! 私は勿論いいけど……」
 そこでちらりと父母を見やる薫。
 藤也も弥生もにこやかにしており、断るそぶりはない。
「いいんじゃないか? その子だけなら薫の部屋で問題ないだろうし」
「そうね。天笠さんと阿鬼都くんは? 何なら客間にお布団を敷いて――」
 やはり快諾して、他2名についても予定を尋ねてくる。
 柚紀は阿鬼都の肩に手を置いて、にこやかに首を振った。
「いえ。そこまでご迷惑をおかけするわけにはいきません」
 断りの言葉を紡ぎ、藤也と弥生に向けて丁寧に礼をする。
「鬼沙羅をよろしくお願いします」

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