第6章 憑き従う糸
怪しき集い

 柚紀と阿鬼都が帰り、鬼沙羅は薫と共にお風呂に入って1日の疲れを洗い落とした。そして現在は、薫の部屋に敷かれた布団に身を沈めて両足をぱたぱたと動かしている。
「えへへー。独りでお泊まりするのって初めてー」
 薫は癖毛を櫛で必死に整えつつ、そんな鬼沙羅を見た。お風呂上がりだからだろうか、桜色に上気した頬が鬼子の可愛らしさを際立たせている。そして、ひときわ目立つのは艶やかな黒髪である。毎朝毎晩といっていいほど癖毛と格闘し続けている者からすると、思わず感嘆してしまう程に綺麗だった。
 ――ノンシリコンのトリートメントにすればいいのかなぁ。……いや、あれは別に癖毛を直毛にするわけじゃないか。素直にストパーかけるとか? でも髪が傷むって聞くしなぁ。うーん
「薫? どうかしたの?」
 難しい顔を浮かべている薫を瞳に映して、鬼沙羅が小首を傾げた。柚紀に薫のことを頼まれているゆえ、一応は気を遣おうということらしい。
 一方、付喪神のことなどすっかり忘れて、別件で頭を悩ませていた少女は、はっと顔を上げて微笑む。
「あはは、何でもない何でもない。それより大丈夫? 独りで寂しくない?」
 尋ねながら薫は、自分が初めて独りでお泊まりをしたのはいつだっただろうかなどと考える。いつのことかは判ぜないが、ホームシックになって大泣きした記憶がある。大泣きしたとなると、流石に幼稚園くらいだっただろうか、と苦笑した。
「寂しくなんてないもん! 子供じゃないんだからね!」
 ぷいっとそっぽを向いて頬を膨らます鬼沙羅。子供ではないと言いながらも、実年齢も言動もまさに子供である。
 ――可愛いなぁ。妹が居たらこんな感じかなぁ
 ごめんごめん、と軽く謝りながら、薫はそのようなことを考える。彼女は1人っ子の人間の例に漏れず、兄弟姉妹に憧れていた。幼少時には弟か妹が欲しいとよく言っていたものだった。
 ――クリスマスプレゼントに妹をくださいってお願いしたこともあったけ。子供ながらに無茶な要求をしたものだよね
 思い出にふけって苦笑する薫。
 ぴくっ。
 一方で、鬼沙羅がやにわに布団から身を起こす。目つきを鋭くして窓の外に視線を向けた。
「どうしたの?」
「……薫。来たみたい」
 端的に紡がれた言の葉。その意味するところは当然――

 プルルルル! プルルルル!
 机に置いていた携帯電話がけたたましく鳴り響いた。柚紀は濡れた髪をバスタオルで拭きながら音の元へと急ぐ。ディスプレイを見ると『柑奈』と出ていた。
「こんな時間にどうしたのかしら? ……ケーキの念押しじゃないでしょうね」
 報酬である綺羅星堂のケーキは、週末に天笠家を訪れた際の手土産として渡すことになっている。本日は水曜日であるからして、まさか水、木、金と毎日電話で釘を刺されるのでは、などと顔を顰める。とはいえ、忌避してばかりもいられない。
 ピッ。
「もしもし、柑奈? そろそろ24時よ。あんまり遅くなってからの電話は遠慮しなさい。私が相手だから今回はいいとしても、よその方には――」
『もぉ! そんな場合じゃないよ、お姉ちゃん! それに柑奈だって子供じゃないんだからそのくらい分かるもんッ!』
 そのような場合ではないと口にしながらも、しっかりと反論して頬を膨らます柑奈。しかし、直ぐに口調を硬くして早口でまくし立てる。
『薫さんのとこに集まりだしてるの! 気龍寺にヘルプの電話はかけたけど…… 幽華さんが居ないとなるとキツいかもなの! だから――』
「ちょ、ちょっと待って! 例の付喪神は大して強くないんでしょ? 薫のとこなら鬼沙羅が泊まってるし、別に……」
 そこまで口にして、柚紀は違和感を覚えた。柑奈は『集まりだしている』と言った。
「もしかして……例の付喪神だけじゃないの?」
 柚紀が尋ねると、電話口からは肯定の声が響いた。
『数十、ひょっとすると、100以上のモノが薫さんの家の周りに居るみたい。幽華さんが居るなら100くらいどうってことないけど、実明さんたちだけじゃ…… お兄ちゃんも別件で遠出してるし……』
 気龍寺の木之下幽華、そして、柑奈の兄で柚紀の弟である天笠慎檎(しんご)は、共に龍ヶ崎町有数の実力者である。単純に妖怪や幽霊を撃破するという点において、彼ら以上の適任者は居ないと言ってよい。
 しかし、先の柑奈の言葉にもあるとおり、彼らはタイミング悪く他の仕事で龍ヶ崎町を離れているという。
『とにかく、お姉ちゃんと阿鬼都くんも薫さんの家に向かって!』
「わ、分かったわ! 阿鬼都!」
 言葉の前半を柑奈へ向けて、後半を阿鬼都へ向けて放つ。
 すると、阿鬼都は既に状況を了解しているらしく、準備運動をして窓の外を見ていた。
「僕は飛んでくよ。柚紀は後から来て」
 そのように言って、窓を開け放つ。冬の冷たい空気が部屋内へ入り込んだ。
 柚紀はぶるっと震えて、それから、はっと何かに気づいて口を開ける。
「阿鬼――」
「ていっ」
 しかし、阿鬼都は構わずに窓から飛び出してしまった。ぷかりと中空に浮かび上がり、そして、不気味さをはらみ始めた闇夜を勢いよく翔る。数十メートルの距離を移動して――
 ひゅっ。
 落ちた。
「あ、阿鬼都! 柑奈、切るわね!」
『うん。柑奈も行くから、またあとでね』
 ピッ!
 電話を切って駆け出す柚紀。目指すはアパート前の道路である。しかし、外へ出る前に部屋内へ引き返して、机の抽斗をあさり始めた。数秒で目的のものを見つけて引っ掴む。そして、ようよう玄関から飛び出した。
 落ちた鬼子は、アパートの前を通る道路の中央にあぐらをかいて座っていた。
「ちょっと、大丈夫!?」
「まあ、なんとか…… 指輪から離れすぎると動けなくなるの忘れてたよ」
 言って、彼はすたっと立ち上がる。そして、右の手を差し出した。
「指輪貸してよ。自分で持ってれば離れすぎることないし」
「オッケー。ほら」
 柚紀は右手人差し指につけていた指輪をすっと外して、先ほど机の中から取りだしてきたものに納める。それは、巾着袋であった。
「……懐かしいの出してきたね」
「反応薄いわね。買ってきた時は喜んでたくせに」
 苦笑する柚紀に、阿鬼都は呆れた瞳を向ける。
「僕は元々そうでも…… 鬼沙羅が喜んでたから嬉しかっただけだよ」
 そのように口にしつつ、巾着袋を受け取った。紐を引っ張って口をしっかりと閉じ、おもむろにズボンの右ポケットに突っ込む。
「ま、指輪だけよりは無くしづらくていいかもね」
「……実質的で頼もしいこと。気をつけて行きなさいよ」
 柚紀の言葉を受けて、阿鬼都はふわりと浮かび上がる。
「うん。山田柚紀かっこ旧姓天笠柚紀かっこ閉じ、になる予定だった天笠柚紀!」
 ぶんッ!
 無言で振るわれた拳を、空高く飛び上がることで避けて、阿鬼都は意地悪く笑う。そして、柚紀の頭の上を1度旋回してから、久万月家の方向へ向けて飛び出した。
 駅前の繁華街の明かりが照らし出す龍ヶ崎の空を行きながら、阿鬼都は右の手を強く握る。力が右手に集い、ネオンライトに負けぬよう輝いた。
 ――やっぱり柚紀が怒った方が強い力が出るや。指輪経由で柚紀の力を受け取れないのは痛いけど、これでちょっとはマシかな……
 そのようなことを考えている間に、久万月家へ向かう途中にある稲荷神社が見えてきた。そこまで行けば、久万月家はもう直ぐだ。
 表情を引き締めて阿鬼都は前を見る。そうしながら、ズボンの右ポケットを探った。手には巾着袋の感触が伝わる。その手触りにほんの少しだけ表情を和らげてから、彼は夜空を翔る速度を上げた。

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