第6章 憑き従う糸
塵芥より変じた王

 久万月家の瓦屋根の上に鬼沙羅が立っていた。パジャマ姿が冬の空の下において寒々しく映る。彼女は後方に視線を向けて、目に見えない何かを睨み付けた。
 ぱぁんッ!
 すると、激しい物音が鳴り響く。ちなみに、一帯には音を遮断する結界が張られている。騒動によって野次馬が生じるようなことはないだろう。
『なにゆえ邪魔をされますかや?』
 鬼沙羅の位置から遠く離れて、鬼面の女が言った。
 先ほど鬼沙羅が攻撃を加えたのは彼女ではなく、他に数多居る雑多な霊や妖である。鬼面の女に視線を送る今も、絶えず同じような霊や妖を葬り続けている。
「薫は友だちだもん! 助けるのは当たり前だよ!」
『鬼が人を友と呼ぶ。世も変わったものじゃ』
 鬼面は呟き、薄く笑った。
「貴女は鬼じゃない――少なくとも、鬼の世の『鬼』じゃないよね? 付喪神の1種だって聞いたけど、何のために薫を襲うの?」
 妖は問いに答えず、後退した。
「待って――」
 追いすがろうとした鬼沙羅は、しかし、直ぐに元の位置へと戻る。
 四方八方から霊や妖が襲い来る現状において、薫――いや、久万月家を守るためには、屋根にて全体を見渡して対処するしかない。鬼面の付喪神を追うわけにはいかない。
 ――このままじゃ消耗するだけだよぉ。どうしよう……
 表面上は強気で、しかし、心中ではこれ以上ないくらいに弱気で辺りを警戒する鬼沙羅。
「鬼沙羅ちゃん、だいじょ――」
 ぱぁんッ!
 薫の声が、部屋の窓がある方向から聞こえ、続けて、何かが破裂したかのような音が響いた。
「もぉ、薫! 窓開けちゃダメだってば! わたしならだいじょぶだから!」
「ご、ごめんね。気になっちゃって……」
 年下の少女に叱られ、薫は謝りつつ素直に窓を閉じる。
 先ほどの破裂音は、薫を襲った霊を鬼沙羅が吹き飛ばした際に生じたものだった。そうして調伏した霊や妖は、今や50弱にも及ぶ。
 ――うぅ。お兄ちゃーん、早く来てぇ
 兄ならば異変に気づいて駆けつけてくれるだろうという望みを抱いて耐え続けるが、気合いで乗り切るにしても限界がある。いずれも弱々しい相手ばかりとはいえ、相当な数である。いまだ残っているモノは、既に倒したモノたちの4倍、5倍には達するだろう。更には、鬼面の呼びかけによるものだろうか、次第にその数を増やしている。
「……柚紀ぃ」
 思わず弱気になって、呟いた。
 そうして生まれた隙を縫って、妖の1匹が薫の部屋の窓へ向かう。久万月家には簡単な結界を全体に張っているが、度重なる霊や妖の突進を受けて弱まってしまっていた。
「あ――」
 パアァンっっ!!
 大きな音が闇夜に響き渡り、続けて、静寂が落ちる。
『鬼の次は鬼流かえ?』
 夜に紛れていた鬼面が姿を顕して、鬱陶しそうに独白した。その視線の先には、気龍寺の住職である木之下実明を先頭に、同寺の僧侶たちが立っていた。
「やあ、鬼沙羅くん。私たちも微力ながら尽力させて頂こう」
 実明が言った。その後ろに控えるのは気龍寺の僧、白夜知稔(びゃくやちねん)、根津英俊(ねづえいしゅん)、上谷安孝(かみやあんこう)である。。
 いずれも鬼流として多少の力を有しているのだが……
 ――ちねちゃん以外は本っ気で微力だなぁ。てか、ちねちゃんも強いとはいえないし…… さっきのフォローは助かったけど、あんまり頼りに出来なそう
 皆、鬼流とはいっても、阿鬼都や鬼沙羅、柚紀と比べて大きく劣る力しか有していない。
 ――ただ、これだけ数が居ればさすがに…… お兄ちゃんと柚紀も来るだろうし、それまで持ちこたえられれば……
『まったく…… 荒事は好まぬのだがのぅ』
 鬼面が呟いた。すると――
 ぞわッッ!!
 鬼沙羅や鬼流たちの体を悪寒が駆け抜ける。辺りを強い気が満たしていた。
 唐突に生じたその気配は――
『この程度の奴らに手こずるとは…… 弱くなったな、文車妖妃(ふぐるまようひ)』
『なればこそ、蜘蛛憑きの力を欲するのじゃ。すまぬが力を貸しておくれ、塵塚怪王』
 闇夜に浮かぶ鬼面の女の隣に、2メートルを超える身の丈の、筋骨隆々とした男が顕れた。ギョロリとした大きな目が特徴的で、口には大きな牙が生えているようであった。当然ながら人間ではない。塵塚怪王と呼ばれる付喪神である。
 塵塚怪王は悠々と近辺を見渡し、鬼沙羅に視線を向ける。
『鬼の世の者か。なるほど、今の文車妖妃では荷が勝っているか』
 びくっ。
 鋭い視線を向けられて、鬼沙羅は身を固くする。
 塵塚怪王の力は、これまで相手にしていた霊や妖と比べて格段に強大である。鬼沙羅に対処できる相手でも、ましてや、気龍寺の者たちにどうこうできる相手でもない。
『そちらは――鬼流か。弱いな。つまらん』
 そこまで口にして、塵塚怪王は何かに気づいたように視線を遠くへ向ける。そして、笑んだ。
『いや、もう1人、鬼の世の者がこちらへ向かっておるな。天原の民も1人、2人…… 他にも、コイツは同類か。ふむ。揃えばそれなりに楽しめそうだ』
 ――鬼の世のって……お兄ちゃん! それに柚紀と、柑奈かな? 同類っていうのは誰だか分かんないけど
 当の塵塚怪王にはまだまだ余裕がありそうだが、鬼沙羅からすればその増員は非常にありがたい。少なくとも、大いに心の支えとなってくれる。
『塵塚怪王や。遊ぶのもよいが、妾に蜘蛛憑きを供してからにしてもらいたいの』
 その時、鬼面の女が――文車妖妃が言った。
 彼女の言葉を受けて、塵塚怪王は面倒そうに顔を歪めながらも、ゆっくりと右の手を上げる。そして、久万月家の2階の窓、薫の部屋の窓へと力を向けた。
 さっさと面倒なことは済ませてしまおう、という心づもりのようだ。
 ――ま、まずい!
 鬼沙羅は大いに焦り、屋根から飛び降りる。窓の前に浮かび上がって、全ての力を込めて守りに徹した。
「祓(はら)ひ給(たま)へ 清(きよ)め給(たま)へ 神(かむ)ながら 守(まも)り給(たま)へ 幸(さきは)へ給(たま)へ!」
 彼女が素早く祝詞を奏上すると、光の壁が塵塚怪王との間に生まれる。
 しかし、強大な付喪神は余裕の笑みを浮かべている。
『残念だな。1人減るか』
 呟きに伴って、力が放たれた。元々が、久万月家に張られた結界を壊して、薫を生け捕りにするために放った力である。鬼沙羅の命を奪うまでの威力はない。しかし、彼女の戦闘力を奪うには充分すぎる。
 ぎゅっと瞳を閉じて、鬼沙羅は衝撃に備えた。

 ぱぁん!!
 大きな音が響いて、闇夜を光が照らす。その光に照らされた塵塚怪王は楽しそうに口の端を上げていた。
『ほぉ。やるな』
「そりゃどうも。僕のいない間に妹が世話になったみたいだね」
 付喪神の言葉に応えたのはもう1人の鬼。
「お兄ちゃん!」
 軽く涙を浮かべつつ、鬼沙羅は嬉しそうに叫んだ。その視線の先には兄の阿鬼都の背中があった。
 阿鬼都は首だけで振り返って、笑顔を妹へ向ける。しかし、直ぐに前を向いた。塵塚怪王を睨み付ける。
「鬼沙羅は鬼面と他の雑多な奴らを頼むよ」
「えっ? でも……」
 阿鬼都のみで塵塚怪王の相手をするのは無茶に思えた。かの付喪神の力はそれほどに強大だ。
 しかし、当の阿鬼都は笑みすら浮かべていた。
 その顔を瞳に入れて、鬼沙羅は迷いながらも頷く。
「わかった。気をつけてね。さねさね! ちねちゃん! ザコは任せたからね!」
 ひゅっと窓の前から飛び出して、鬼沙羅は文車妖妃に迫る。久万月家の守りについては、気龍寺の面々に任せたようだ。実際、雑多な霊や妖の相手くらいであれば、気龍寺の面々でも対処可能である。
 文車妖妃を追い始めた鬼沙羅、そして、雑多な霊や妖を相手にする鬼流たちを瞳に入れて、塵塚怪王は楽しそうに笑む。そして、口を開く。彼の視線が向く先は――阿鬼都である。
『独りでよいのか? 小僧っ子よ』
「ま、頑張ってみるよ。あと、僕は阿鬼都だ」
 鬼子が名乗ると、塵塚怪王は感心したように眉を上げてみせた。
『では、あの少女は『鬼沙羅』か…… まさかこちらの世にかの有名な双子が顕れていようとはな』
「塵くずの間でも名前が知られてるなんて光栄だね」
 軽口を叩いてから、阿鬼都は大きく深呼吸をする。そして、キッと相手を睨み付けた。
 ぱぁん!!
 大きな音が響いて、塵塚怪王が吹き飛ぶ。
「臨 兵 闘 者 皆 陣 列 在 前!」
 そして、付喪神に体勢を立て直す暇を与えず、素早く九字を切る。対幽華戦の際にはたどたどしかった印も堂々としたものである。
 どんッッ!!
 力強い言葉に伴って滅魔の光が付喪神を襲った。

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