番外編 天原の軌跡
生まれて消える都市の怪

 とある地方にある龍ヶ崎の町は、平野に築かれた平凡な町である。町外れには高い山もあるのだけれど、基本的には人が過ごしやすい平坦な地形を有している。それゆえということもなかろうが、開拓精神は乏しく、のんびりとした気風の者が多いという特徴があった。
 そんな平和な田舎町で、このところ物騒な噂がまことしやかに流布している。
 曰く、町の外れにある廃ビルにて、何人もの人々が異次元に吸い込まれて行方をくらましている、とのこと。
 十中八九眉唾ものなこの話は、噂好きの女子高生を中心に、学生の間でささやかれる。その一方で、常識的な大人たちにとっては一切の価値ない話として打ち捨てられる。仮に彼らの耳に入る機会はあっても、常識という枠に縛られているゆえ、当然ながら気にも留めない。
 結果としてまともに調査されることもなく、その話はただの噂に成り下がる。
 しかし実際のところ、行方知れずの者は確かに出ていた。その中には、龍ヶ崎町にある臥龍大学(がりゅうだいがく)の学生も多く、親御さんから捜索願が警察に提出されることもあった。
 それでも、親も警察も、馬鹿げた噂と現実の事件を結びつけることは決してしない。常識があるゆえだ。
 そうして事件は、解決の糸口があるにもかかわらず、それを無視して迷走を続けることとなった。
 1週間が経ち、常識を持ち合わせたまともな大人たちがいよいよ音を上げる。そもそも、遺体が見つかったり、脅迫状が届いたりしたわけでもない。事件か事故か、家出かどうかすら区別もつかない現状で、いつまでも捜査を続けられるわけもない。
 龍ヶ崎署の警察官は、1人、また1人と担当を外れ、他の事件に割り当てられる。
 最終的に、その事件のお鉢は、現実的なプロセスでどうにもならない事件を扱う部署、捜査一課0係へ回ってくることとなった。

「なんだかねぇ。胡散臭いことこの上ない。まともな警察官が相手にしないのも頷けるってぇもんだ」
 自席でお茶をすすりながら、0係の係長櫻田和真(さくらだかずま)は独白した。はあぁあ、と深いため息もついている。それは誰に向けたものでもなかったのだが、同じ部屋にいた者のうち1人が楽しそうに反応した。
「櫻田さんも大変ですねー。事件発生から1週間もたって情報を渡されて、さあ解決しろ、だなんて嫌な役回り。柑奈なら御免だなぁ。あはっ」
 満面の笑みを浮かべて、天笠柑奈(あまがさかんな)という女子中学生が言った。彼女は天原の民という、霊能関係者の間では一目置かれる一族の者である。能天気な笑顔を浮かべて麦茶をごくごく飲む様子からは、決して類推できないが。
 その彼女の隣で、同様に天原の民の一員たる天笠慎檎(あまがさしんご)が息を吐いた。彼は高校生であり、柑奈の兄であり、この場ではある意味彼女の保護者という役割も請け負っている。
 こつん。
 兄は妹の頭を軽く小突き、目つきを鋭くする。
「余計なことを口にするな、柑奈。すまない、櫻田さん。話を先に進めてくれ」
 頭をさすりつつ、柑奈が頬を膨らませている。が、和真は少女のその様子を気にするでもなく頷き、口を開く。
「当方で掴んでいる話は先の通り、妙な噂があることと行方不明者が7名存在することのみだ。あとは、事実関係はともかく、噂の方は君ら学生の方が詳しかろう。0係でも聞き込みを続けるが、慎檎くんや柑奈ちゃんの方でも情報収集をお願いしたい」
 そこで言葉を止め、和真は慎檎と柑奈を順に見る。
 天笠兄妹は警察官の瞳を真っ直ぐ見返し、こくりと頷いた。
「よろしく頼む。……まあ、とは言っても、一番大事な情報は既に知れている。君らに頼みたい主立った仕事は寧ろそちらの方だ」
「つまり――」
 当該噂は端的に言えば、廃ビルで人が消える、のひと言に尽きる。これ以上、何を調べる必要があろうか。
 勿論、まともで常識的な事件として考えるのであれば、消えたあと被害者がどうなり、どこへ運ばれたか、を調査すべきだ。しかし、今回の事件はまず間違いなく、異常で非常識な事件だ。全てはその廃ビルに帰結する。
「廃ビルに居るであろうモノを退治しろ、ということですね?」
 こくり。
 慎檎に問われると、和真はゆっくりと頷いた。
「ああ。気龍寺は何やら立て込んでいるらしくてね。是非とも君たち天原の民の力を請いたい。頼む」
 がしゃ。
 椅子から立ち上がり、深々と頭を下げる櫻田和真係長。相手が年下であろうと、学生であろうと、自分の仕事は礼節をもって頼み込むことに尽きる。彼はそう考える。
 そして、そのように下手に出られたらば、無下にできないのが人情だ。
「勿論、お引き受けします。そもそも、うちの当主阿聖(あせい)にも話を通して此度の会合は開かれているわけですから、俺らが断る道理はありません」
「うんうん。美少女探偵柑奈にお任せあれ、だよ! 名探偵は警察を助けるものだしね!」
 ごつん。
 先ほどよりも強めに妹の頭を叩く慎檎。
 柑奈は頭を押さえてうずくまり、真面目くさった表情の兄を恨めし気に見つめた。
「……少々不安だが、よろしくお願いする」
 和真の頬を一筋の汗が伝うのも、仕方がないというものだろう。

 ばふっ。
 柑奈は自宅へ帰り着き、クーラーの効いた居間のソファに身を沈める。途中で買ってきた缶ジュースのプルタブを開け、ごくごくと勢いよく飲んだ。
「ぷはぁ! おいしー! 夏はやっぱり炭酸だぁ!」
「飲みすぎると太るぞ」
 ぼそっと呟いた慎檎。冷蔵庫を開け、麦茶を取り出す。
「お兄ちゃんの無神経! 馬鹿! だからモテないんだよ!」
 はいはいと適当に反応しつつ、慎檎はごくりとひと口、麦茶を飲み下す。
 そこへ彼らの母が姿を見せた。名を天笠瑠実音(るみね)という。
「あらあら。おかえり、2人とも。0係の方、何だって?」
「調査も頼まれたけど、メインは調伏依頼だったよ。それで、これから調伏のために町外れの廃ビルに向かうんだ。勘九郎を連れて直ぐに出る。夕飯までには戻れると思うよ」
 慎檎の端的な説明に、瑠実音はにこりと微笑む。そして、小首を傾げた。
「ふーん。そうなんだ。よく分からないけど、無理はしないでね、2人とも」
 にこにこ。
 能天気に微笑む母親を瞳に映し、慎吾は小さくため息を吐いた。
 実際のところ、今回の仕事が危ないかどうかと問われれば、そこまで危険なことはない、という結論に達するだろう。阿聖経由で斡旋される仕事はそういうものばかりだ。しかし、全く危険がないわけではない。多少は心配するのが親というものではなかろうか。
 勿論、瑠実音が天原の民の能力を有さないこと、それどころか、霊力の欠片すらないことを考えれば、彼女が現状を理解するのが難しいことは確かである。その上、彼女は龍ヶ崎町の住人らしく、楽観的な気質の持ち主だ。
「お母さん、今日の夕飯なにー?」
「うふふ。秘密。帰ってきてのお楽しみ」
「えー、気になるー!」
 きゃっきゃとじゃれ合う母娘。能天気なところがよく似た2名を瞳に映し、慎檎は家族でもっとも現実的な思考の持ち主、姉の柚紀が恋しくなった。
 ――姉ちゃんの突っ込みは大事だな。切実に
 男勝りの姉の顔を思い出しつつ、彼は手にしたコップをぐいっと傾ける。冷たい麦茶が食道を流れ落ちて行った。

 竹刀袋を手に、慎檎は町外れに佇む廃ビルを見上げた。彼の隣には柑奈と、先程まではいなかった、舞台役者のような風体の美男子がいた。
「ここがくだんのビルディングかい? 嫌な気配がぷんぷんするねぇ。そうだろぅ、慎檎」
 問いかけた美男子に対し、慎檎は訝しげな様子で応える。
「そうなのか? 俺はまだ何も感じないな」
「あちきさん。お兄ちゃんは感知が苦手なんだよ。まったくもぉ、こんなにはっきり感じるっていうのにねー」
 肩をすくめて柑奈が言った。
 慎檎は憮然とした様子で腕を組む。鋭い視線は常に廃ビルへ向いている。
「仕方ないだろーが。誰にだって苦手なもんはある。それより勘九郎。ここにいる奴をどう見る?」
 尋ねられると、美男子――勘九郎は瞑目した。意識を廃ビルに集中し、そこに集っている力の質を見極めんと努める。
「……そぅだねぇ。あちきたち付喪神とは違うねぇ。かといって、慎檎たちのような特別な力を持った人間でも、人間霊でもなさそぅさな。動物霊や妖怪でもない。さてなぁ」
 アナログテレビに魂が宿った存在、付喪神である勘九郎は、大げさな仕草と共に考え込んだ。しばし、ああでもないこうでもないと呟いていたが、芝居がかった様子でぽんっと手を打ち、にかりと笑った。
「これは何かがいるわけじゃないね。場に霊気が溜まりに溜まっただけのことさぁ。こういう場では人々の畏れが具現化すると聞いたよ。確か、噂が霊気を持ったモノ――都市伝説というのだったかねぇ」
 その言葉を耳にし、柑奈はぐっと親指を立てた。勘九郎同様ににかりと笑みを浮かべる。
「ナイスジャッジ、だよ。その判定でたぶん正解。あちきさん、なかなかヤルねー」
 柑奈は慎檎とは異なり、霊的な感知の能力に長けている。こういった場合に限らず、彼女の判定は慎檎が知る限りで外れたことがない。
 勘九郎もそのことを聞かされていたので、自分の感知にいよいよ自信を持ち、嬉しそうに笑う。
「おぅ。ありがとうよ、柑奈」
 ワイワイとじゃれ合う2名。
 その傍らで、慎檎はふぅんと感心している。廃ビルを見上げ、手にした竹刀袋をぎゅっと強く握る。
 ――そういうモノか。ならば全てが噂に準拠するはず。今回の噂、知る限りでは、行方知れずのあとどうなるかまでは語られていなかったな。さて……
 被害者たちが最終的にどうなるか。それは現状、唯一の憂うべき点である。
 ――人死には勘弁して欲しいもんだが、ね

 かつん。かつん。
 廃ビルの非常階段をゆっくりと上りつつ、柑奈は携帯電話を操る。ぽちぽちとキーを押し、それから腕を高く掲げた。
「ありがとねー、送信、と。お兄ちゃん。あちきさん。噂の詳細、わかったよ」
「あぁ、さっき受信したメール、今回の噂がらみか。で、何だって?」
 3階フロアへ進む扉の前で立ち止まり、慎檎が尋ねた。勘九郎も興味深そうに携帯電話を見ながら、柑奈の言葉の先を待っている。
 柑奈はこほんと小さく咳払いし、笑顔を浮かべて話し始める。
「まず現場はこのビルの6階。窓ガラスが全部割れてる北側のフロアだって。うーん。もうちょっと上らないといけないねー」
 6階、という言葉を耳にし、さっそく慎檎は足を進める。先程まではくだんの場所がどの階かわからなかったため、1階2階と順番に調べていたが、これで無駄な時間を過ごさずに済む。
「でねー。そのフロアで『臨 兵 闘 者 皆 陣 列 在 前』って唱えると、血塗れの女の人が顕れて異界へ引き込まれるらしいよ」
 ここで唱えよと指定されているものは『九字』。真言密教の秘術であり、本来であれば悪しき者を退ける退魔の法である。慎檎のような力在る者が唱えれば頼り強い術式となろうが、素人が悪戯に唱えても何も起きないはず――なのだが……
「あららー。無駄に力の溜まってる場所で素人が九字なんか口にしたら、そりゃー何か起きても不思議はないよねー」
「印は組むのか?」
 尋ねた慎檎に対して、柑奈は首を左右に振る。
「少なくともメールには書いてないよ。てゆーか、九字の印ってけっこーめんどくさいし、こんな馬鹿げた噂でそこまではやらないんじゃないかなー?」
 九字は詠唱と共に、両の手を用いて印を組むものである。この印は力を安定して行使するためのものだという。しかし、受信したメールにそのような印を組むという記述はない。
 そこで勘九郎が首を傾げ、口を開く。
「ふぅん。九字ってぇと何やら大仰な密教の術だろぅ? それを適当に唱えたりして、大丈夫なもんなのかい?」
「通常なら問題はないはずだ。その詠唱に見合うだけの力が集まらないからな。ただ、今回はお前の言うとおりなら力自体はそのフロアに溜まっている。結果、何かしら起きてもおかしくはない。それでいて、唱えた本人に制御する力がないのであれば――」
「暴走、かな? で、例の噂があるから、力はその噂のままに動いてしまうってとこ? 呪文がもっとテキトーなものだったら、実際に行方不明者が出るまでの事件にはならなかったかもねー」
 そういうもんかい、と勘九郎が呟く中、一行は廃ビルの6階へと至る。目の前にある扉を開けば、いよいよくだんの現場である。
 この場まで来ると、さすがに慎檎にも問題の力を感知出来た。まともな力の量ではない。人に害なすレベルの悪霊がいる地であっても、当該空間ほどの霊力は溜まらない。
「中々やっかいそうだな…… 単純に誰かをぶった斬ればいいっつー話でもなさそうだしよ」
「だねー。あ、そーそー。異世界に引き込まれた後のことについては、噂中に設定がないみたいだよ。設定にない以上、たぶん異世界で放置されてるんじゃないかな−?」
 行方不明者が出るような都市伝説の場合、その後の設定が存在しないのであれば被害者は生きているのが通例である。あまり時間が経っていると餓死していたり、絶望して自殺していたりする場合もあるが、都市伝説自体が原因となって亡くなることはまずない。加えて、今回の失踪事件は1週間前に発生したものが最も古い。被害者が生きている可能性はきわめて高い。
 慎檎はほっと一息ついてから、柑奈と勘九郎に瞳を向ける。
「さて。じゃあ開けるぞ。いいか?」
 勘九郎は真剣な面持ちでこくりと頷いた。一方で――
「よし、頑張ろー!」
 脳天気に腕を振り上げる柑奈。
 慎檎はそのような妹に対して呆れた瞳を向ける。しかし直ぐに目つきを鋭くし、ドアノブに手をかけた。
 ぎぃ。
 非日常への扉が開く。

 問題のフロアは、進入したのみであれば何も発生しないようだった。霊気が大量に溜まっているためか、感知能力に長ける柑奈は若干体調を崩したが、慎檎と勘九郎は平然としている。
「うぅ。力強すぎて気持ち悪い…… 早く終わらせよーよー」
「終わらせるのはいいが、どうする? 調伏対象が明確にいるわけでもないし」
 竹刀袋を握りつつ、慎檎が言った。彼が手にしている袋の中には、三日月宗近という銘の刀が入っている。龍ヶ崎町にはびこっていた悪しきモノを慎檎と共に幾度も調伏してきた、彼の相棒である。
「とりあえずさっきのを唱えればいぃんじゃないかねぇ。小手調べにあちきだけ異世界へ行くかい?」
 勘九郎の提案に、慎檎は首を左右に振る。
「いや。お前だけじゃ駄目だ。異なる空間から逃れようと思ったら、その空間を形成している核を見つけ出して破壊する必要がある。その空間の形成強度にもよるが核は見つけづらいことが多い。念のため感知に長けた柑奈を連れて行け」
 そのように勘九郎へ声をかけてから、慎檎は妹に瞳を向ける。
「柑奈。辛いところ悪いが、頼む」
「……綺羅星堂のチーズスフレ」
 突然、好物を呟いた柑奈。
 慎檎は小さくため息をつき、諦めたように1度頷いた。
「今回の報酬が入ったら買ってやる」
「ホント! ならやるやる! あちきさん!」
 生き生きとした様子になり、柑奈が満面の笑みで叫んだ。
「げんきんだねぇ。さて――」
 勘九郎が呟き、瞑目した。そして、すぅと息を吸う。
『臨 兵 闘 者 皆 陣 列 在 前!』
 びりっ!
 柑奈と勘九郎の詠唱にともなって、フロアに溜まっていた力が集う。濃縮された力は人型を採り、直ぐさま血塗れの女が顕れた。
 がしっ。
 女は柑奈と勘九郎の腕を取り、引っ張っる。すると、彼らの姿はかき消えた。
 続けて、女は慎檎の腕もまた掴もうとする。
 しかし――
「オン・キリキリ・オン・キリキリ・オン・キリウン・キャクウン!」
 慎檎は女の手を逃れて跳び退り、不動金縛りの法という術を行使した。この術はその名の通り、相手を縛り付けるものである。
 血塗れの女――集った力は、その場に縛られた。
「柑奈たちが戻ってくるまで、大人しくしててくれ」

 ぶんっ。
 現世とは異なる空間に、少女と男が現れた。柑奈と勘九郎である。
「だ、誰か来た」
 ざわっ。
 その空間にいた男性の1人が言った。憔悴したその顔は、絶望に満ちていた。
「おや。お前さんは確か……」
 勘九郎が男性の顔をまじまじと見つめ、考え込んだ。
「あちきさん。この人、知ってるの?」
「行方不明事件の被害者の1人さねぇ。お前さんらが持ち帰った資料に載ってたよ。柑奈こそ見てないのかい?」
 尋ねられると、柑奈は決まり悪そうにぴーと口笛を吹いた。
「見たけど忘れたの」
 勘九郎は苦笑し、首を振るった。そうしてから、空間を見渡す。
 行方不明者の数は7名。ここにいるのも7名。全員いるようだ。
「何名かは生命力が弱ってるよぅけど、大事には至っていないよぅだねぇ」
「そだねー。ひと安心だぁ。人死に出ちゃうとやっぱヤだもん」
 そう言ってホッとひと息つく柑奈を横目に、しかし、勘九郎はため息をつく。
「とはいえ、これからどぅするんだい? たしか、空間の核を破壊するんだったよねぇ。そんなもの、あちきには全く感知出来ないけどねぇ」
 空間は予想外に広く、視線の先には地平線のようなものすら見える。この中から目的の物を見つけ出すのは不可能のように思えた。
 しかし――
「ちっちっちっ。やっぱあちきさんもまだまだだねー。この空間の核ならもう見つけてあるよ!」
 へ、と間の抜けた声を出し、勘九郎は柑奈を見る。
 当の柑奈はにこりと微笑み、右手を大仰な動作で掲げた。
「高い高い天の1点。現世であれば太陽が昇るそこに、強い強い力の核がある。さぁ、あちきさん。破壊はあちきさんの出番だよ!」
 感知を得意とする柑奈の力は、破壊には全く向かない。それゆえ、あとは勘九郎の仕事であった。
「ふぅ。まったく。テレビ遣いの荒いお人だよぅ」
 苦笑し、アナログテレビの付喪神はきっと上空を睨んだ。力を集め、放つ。
 ばあぁんっ!

 血塗れの女と睨めっこをし続けるという苦行を為し、慎檎はうんざりとしていた。
 そのような中――
 ばあぁんっ!
 音が響いて、突然フロアに9名の姿が現れた。
 内2名はよく知った顔。他7名は、今回の仕事の資料で見た顔。
「おっ。全員帰ってきたな。誰も死んでないか?」
 尋ねた慎檎に、柑奈が笑顔で親指を立てる。
 慎檎は満足そうに頷き、竹刀袋の口を縛っている紐を解いた。
「それは何より。さて――」
 すら。
 慎檎は竹刀袋から愛刀三日月宗近を抜き放ち、正眼の構えを取る。
 血塗れの女は未だ縛られたままであり、これから放たれる強い退魔の力を防ぐすべはない。
「すまん。恨むなよ」
 ずんっ!
 勢いよく振るわれた刀は、女を真っ二つに切り裂いた。それに伴い、集った力はゆっくりと霧散し、ただ噂に沿って顕現しただけの存在は、苦痛の呻きも恨みの叫びも上げることなく消え去る。
 こうして、現代が生んだ新たな怪異――都市伝説のひとつが、あまりにもあっけなくその幕を下ろした。

 天笠家の居間にて、柑奈がだらりと寝転んでいた。ソファに横になりながら、少女漫画を読んでいる。
 ぷるるるるる。
 電話が鳴った。
 父の櫂(かい)は仕事、母の瑠実音は昼食の買い出し、そして慎檎は部活で出かけている。付喪神たる勘九郎を数に入れなければ、家にいるのは柑奈のみだ。
 そのため、仕方ないと彼女はソファから立ち上がる。
「はいはいはい」
 がちゃ。
「もしもし、天笠ですよー」
『柑奈か。私だ』
 受話器から聞こえてきたのは、耳慣れたしわがれ声だった。
「あ。おじいちゃん。どしたの?」
 相手は天笠家当主、阿聖である。
『この間の報酬を櫂の口座に入金した。確認しておいてくれ』
「あ。この間の都市伝説事件? りょーかい。そだ。ところでおじいちゃん。このところ暑いけど元気?」
『あぁ。変わりはない。心頭を滅却すれば火もまた涼しというだろう。流石に扇風機の世話にはなっておるがな』
 おーと感心してみせつつ、柑奈はエアコンのリモコンを手に取る。設定温度が24度になっていたが、80歳の祖父が扇風機で頑張っていると聞いたなら考え直さねばなるまい。ぴっぴっと28度まで引き上げた。
『柑奈』
 阿聖が孫に呼びかけた。
 当の孫はリモコンと格闘している最中である。
「んー? 何−?」
 生返事。
 それに対し、
『よくやった。ご苦労』
 端的な言葉のあと、電話ががちゃりと切れた。
 つーつーつー。
 受話器を見つめ、瞳をぱちくりさせる柑奈。そして、苦笑した。
「もぉ。相変わらず照れ屋なんだから」
 とことこ。
 先程まで寝転んでいたソファへと戻る。
 ばふっ。
「えへへ」
 再びソファに体を預けた少女の顔には喜色が浮かんでいた。
 達成感が彼女の胸に満ちていた。

『You've got mail』
 家の近所のバス停に降り立った時、慎檎の携帯電話に電子メールが到着した。送信者は彼の妹、柑奈であった。
「なんだ?」
 メールの文面を瞳に映し、彼は苦笑した。
「……ふぅ。ま、帰り道だからいいけどよ」
 そして、鞄から財布を取り出す。目的を達するための資金があるかどうか確認した。……どうやら、大丈夫なようである。
 慎檎は財布をしまい、歩みを進める。
 その進路には彼の家に加え――
『報酬入ったなう。約束の☆チースフよろ〜』
 綺羅星堂というケーキ屋がある。
 チーズスフレが売り切れていないことを祈りつつ、慎檎は真夏日の道路をしっかりとした足取りで進んだ。
 龍ヶ崎町。この地は今日も平和だ。

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